・・The XX Files 20th.
Please Don't Korea❗️
True ・・真実は動き始めた
Han-nichi is Never Over⁉️
This is a Fact
Go Now ‼️ No Times❗️No Place⁉️
Sub Title "The beginning of history.w、Han_nichi_Labo_Station"
SumerJapanese Suite Lounge.
(FunnyBomb).
■ロッキード事件
昭和51年(1976)7月27日、国内航空会社、ANA全日空の新旅客機導入選定に際して、田中角榮元総理、佐藤運輸政務次官、橋本元運輸大臣等が、東京地検特捜部に逮捕された事件。
容疑は、受託収賄と外為法違反の疑いでした。
逮捕者は、それだけではありませんでした。
全日空の社長、役員、社員、ロッキード社の販売代理店である丸紅の役員、社員、又、暴力団、CIAにも繋がっていた右翼の大物、児玉誉士夫等が贈収賄で逮捕されました。
この事件は、関係者の不審死や政治家の大スキャンダルと言う事も手伝い、エスカレートした加熱報道が展開されました。
昭和52年(1977)1月27日、東京地裁で初公判が開かれ、世界からも大きく注目されました。判決は有罪。
田中角榮元総理は、判決を不服として控訴します。
昭和62年(1987)7月29日、控訴棄却。
事件は、日米の外交問題にも発展しました。
戦後最大の疑獄事件でした。
●ロッキード事件・批判論
ロッキード事件に関わる裁判には、一定の批判があります。
田中元総理が逮捕された頃の内閣は、三木武夫内閣(昭和49年(1974)12月〜昭和51年(1976)12月)で、初公判が行われた頃の内閣は、田中元総理の政敵だった福田赳夫内閣(昭和51年(1976)12月〜昭和53年(1978)12月)、三木武夫、福田赳夫の二人は、共に田中内閣の時の閣僚でしたが、田中の金権政治に異を唱え、閣僚を辞任した経緯がありました。両者共、角榮に総裁選で敗北した経過もあります。
特に、三木内閣時、政府と検察、裁判所が癒着していたと言う批判があります。
三木総理は、担当検事と電話連絡を密にし、検事も総理官邸に何度か出向いている事が分かっており、国策裁判、公訴権の乱用との批判もなされました。
初めから有罪ありきだったとも。
三木総理は、ロッキードの解明に熱心で、米国政府にも資料要求しています。
又、裁判では、田中元総理が受け取ったとされる5億円の追求のみが進められ、特に大物右翼の児玉誉士夫へ流れている筈の大金は未解明であり、全体として事件の全容解明に至っていない事、児玉が一度しか裁判に出廷していない事、国会の証人喚問に従わなかった事などが指摘されています。これは、政治主義裁判と言われています。
児玉が、事件に関わって受け取ったとされる金額は、田中角榮元総理が受け取ったと言う5億円とは桁外れの約25億です。
裁判審理は、田中元総理が死の床に伏した後も継続されましたが、後に田中の逝去と共に公訴棄却で幕を下ろしました。
また、贈収賄事件であるにも関わらず、贈った側のロッキードの会長は、何の処罰もされていないのです。
●角榮の独自外交が米国を怒らせた
ロッキードは、角榮の独自資源外交に危機感を持った米国が仕掛けた謀略戦だったのではないかと多くの日本人が感じています。
後年公開された米国務省レポートに「田中は何をやり出すか分からん男。日本の為には優れた政治家であっても、それが米国の利益になるかどうかは未知数である」と書いてあるそうです。
角榮は、オイル・ショック(昭和48年)の苦い経験から、中東依存のエネルギー政策に危機感を持っていました。
カナダからの新規原子炉導入計画、仏国とのウラン濃縮での協力を求める交渉。
これらの角榮の動きは、米資本の大手メジャーによる原子力世界政策への大きな脅威となったのです。
実際、当時の国務省長官、キッシンジャーは「田中の政策と行動は、国際石油資本に対する挑戦である」と激怒したと言います。
ロッキード社からの航空機の調達は、何も日本が必要だったから購入したのではありません。
米国が、日本との貿易収支で大赤字だった為、少しでも赤字解消になる様にと、半ば日本に押し売りしてきたものです。
高度経済成長は、日本のGNPを脅威的スピードで飛躍させましたが、それは同時に"安くて壊れない"日本製品を大量に米国に購入してもらう事によって生まれた利益だったのです。
その対日貿易収支の大赤字が、ニクソン大統領時代から、日米貿易摩擦と言う形で政治課題として表面化し、以来、トランプ大統領となった現在でも尾を引く問題となっているのです。
角榮が、日本のエネルギー政策を大きく見直そうとしたのは、そう言った時期だっただけに尚更米国の怒りは倍増したのかも知れません。
角榮は、終生疑惑を否定し「一銭も貰っていない」と否定し続けたそうです。
「角榮の言葉を信じる」。
これは、角榮に近しい人々や、秘書、後援会役員、支持者ほぼ全員に共通した思いの様です。
この事件の不可解な点は、贈収賄事件にも関わらず贈賄側のロッキード社の人間が何のお咎めも受けていない事です。
■アントニオ猪木vsモハメド・アリ戦
昭和51年(1976)6月26日、新日本プロレスでアントニオ猪木vsモハメド・アリの異種格闘技戦が開催されます。
その後、新日本プロレスはヨーロッパでもテレビ放映され、猪木の知名度を上げていきます。
■「欽ちゃんのどこまでやるの」放送開始
昭和51年(1976)10月6日から萩本欽一のテレ朝系番組・通称「欽どこ」放送開始。
共演者に、真屋順子、藤本正則、斎藤清六、小堺一機、関根勤等が出演し、昭和61年(1986)9月まで放映されました。
■ハリウッド映画・ROCKY公開
昭和51年(1976)11月21日、米国でシルベスター・スタローン初主演作の「ロッキー」が公開。
日本公開は、翌昭和52年(1977)4月。
アカデミー賞三冠を受賞し、シリーズ化されます。
興行収入(日本)12億1600万円。(世界)2億2500万ドル。
■第18回日本レコード大賞
昭和51年(1976)12月31日開催。
受賞曲は、都はるみの「北の宿から」。
作詞賞に、山口百恵の「横須賀ストーリー」。
■ドリフ大爆笑、放送開始
昭和52年(1977)2月8日、フジテレビ系番組「ドリフの大爆笑」放送開始。
以来、平成7年(1997)まで月一放送され、平成8年(1998)からは総集編として年一で不定期に放送されます。
■芸能界マリファナ汚染事件
昭和52年(1977)9月から10月にかけて、研ナオコ、内藤やす子、にしきのあきら、美川憲一、井上陽水、上田正樹等がマリファナ所持や使用容疑で各々、逮捕、起訴、起訴猶予などの処分を負う。
■第19回日本レコード大賞
昭和52年(1977)12月31日開催。
受賞曲は、沢田研二の「勝手にしやがれ」。
最優秀新人賞に、清水健太郎の「失恋レストラン」。
大衆賞に、ピンク・レディーの「ウォンテッド(指名手配)」他。
■歌番組「ザ・ベストテン」放送開始
昭和53年(1978)1月19日、民放局TBS系列歌番組、ザ・ベストテンが放送開始。
司会は、当時の局アナ、久米宏と黒柳徹子。
■キャンディーズ解散
昭和53年(1978)2月25日、キャンディーズが最後のシングル「微笑がえし」をリリース。初のオリコンチャート1位を飾る。
昭和53年(1978)4月4日、後楽園球場で引退コンサートを開く。
■インベーダーゲーム
昭和53年(1978)6月、日本で流行した史上初のテレビゲーム。インベーダーの大ヒットがキッカケとなり、日本中にインベーダーハウスなる施設が乱立し、後にそれがゲームセンターと呼ばれる事になります。
又、インベーダーは、喫茶店等にも多く出荷されていました。
開発メーカーのタイトーは、インベーダーのヒットにより、一躍上場企業となりました。
インベーダーの後継機として、ギャラクシアン、ゼビウス等がリリースされました。
■ハリウッド映画「スター・ウォーズ」公開
昭和53年(1978)6月24日、日本で初めて公開され、人気を博し以来シリーズ化される。
配給収入43億8000万円。
■第20回日本レコード大賞
昭和53年(1978)12月31日開催。
受賞曲は、ピンク・レディーの「UFO」。
最優秀歌唱賞は、沢田研二の「LOVE(抱きしめたい)」。
最優秀新人賞は、渡辺真知子の「かもめが翔んだ日」。
■第二次オイルショック
昭和54年(1979)に起きたイラン革命の影響で、イラン国内の石油生産が止まった為、日本を含む先進国で世界的な原油価格の高騰を引き起こしました。
■西城秀樹「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」リリース
昭和54年(1979)2月21日
■サザンオールスターズ「いとしのエリー」リリース
昭和54年(1979)3月25日
■SYOGUN「男達のメロディー」リリース
昭和54年(1979)4月
■ツイスト「燃えろいい女」リリース
昭和54年(1979)4月5日
■日テレ系ドラマ「熱中時代・刑事編」放送
昭和54年(1979)4月7日から10月6日まで全26話放送。
主演・水谷豊、共演・ミッキー・マッケンジー、宍戸錠、藤岡琢也、小松方正、細川俊之、森本レオ。
■水谷豊「カリフォルニア・コネクション」リリース
昭和54年(1979)4月21日
■さだまさし「関白宣言」リリース
昭和54年(1979)7月10日
■日テレ系ドラマ「探偵物語」放送
昭和54年(1979)9月18日から昭和55年4月1日まで全27話放送。
主演・松田優作、共演・成田三樹夫。
挿入歌・SYOGUN「BAD CITY」。
エンディング・テーマ・SYOGUN「LONELY MAN」。
■MAD MAX(マッド・マックス)公開
昭和54年(1979)12月15日、日本公開。
日本配給は、ワーナー・ブラザーズ。
配給収入11億円。
Mel Gibson(メル・ギブソン)の出世作。
従来の刑事ドラマでは考えられない斬新なストーリー性と鬼気迫るカー・アクションが異才を放つサスペンス・タッチのバイオレンス映画で、世界的大ヒットとなり、シリーズ化される。
撮影中の激しいカー・アクションに巻き込まれ人身事故が起き、エキストラに死者が出た事が囁かれたが、この事は公式には関係者から否定されている。
ストーリーは、近未来のオーストラリア。
暴走族の首領トーカッターと、トーカッター等に家族を殺されたMFPと呼ばれる警察隊の刑事マックスが命懸けで死闘を繰り広げる復讐劇。
映画に出てくる大勢の暴走族は、仇役のトーカッターを除き、殆どが実際のオーストラリア人暴走族。
■第21回日本レコード大賞
昭和54年(1979)12月31日開催。
受賞曲は、ジュディ・オングの「魅せられて」。
最優秀新人賞は、桑江知子の「私のハートはストップモーション」。
■田原俊彦レコード・デビュー
昭和55年(1980)6月21日、ジャニーズ事務所所属の田原俊彦がシングル・レコード「哀愁でいと」でデビュー
■ 山口百恵が引退コンサート開催
昭和55年(1980)10月5日、山口百恵の引退コンサートが日本武道館で開催。10月15日正式に引退。
乱筆乱文長文をここまで読んで下さった、奇跡の人には謝意を表します(爆)
出典:vol.15参照