・・・Welcome To The Real Worlds!!!
・・『Zipangu』Is Japanese
Big Picture First.
Asian Boogey Men
(South Korean)
(Korean Brain)
J.FRB Hannichi Labo.Act.❶
From・・・
Please Don't Korea❗️
(무섭지 않아요)
Sub Title "Sumer・Babylonia01"
Any Time I'm Like You(Funny)
The Danger Increased More・・
このSite も、とうとぅVol.8を迎えました。
これも、ひとえにご覧頂いている読者の皆様のお蔭です。
ここで、ユダヤ神の歴史は一休みします。
ユダヤ神の潮流を説明する為には、時間は、遡り唐突で恐縮ですが、Babylonia(バビロニア)の歴史について説明しなければなりませんでした。
それは、ユダヤとの関わりにも不可欠な側面があるに違いないからです。必然的にシュメールの関係性にも触れる事になります。
◆Japanese・Sumerian
所謂、弥生人の容姿の特徴は、古日本的な所謂『面長』、或いは『出歯』切れ長の目です。
鼻は、低く目は一重、唇は薄いそうです。髪は直毛。Blood Type は主に、TypeAだったそうです。
背は高く、北方からZipanguに渡来した種族だと言います。
一方、現日本人の祖先、縄文人の容姿は、南方系のJapaneseで頭部が前後に長く、気になる目は、二重で、唇は厚かったそうです。
鼻は高く、髪は縮れ毛。Blood Type は主に、TypeOだったそうです。
弥生人(Yayoi Period)が7割、縄文人(Jomon People)が3割で日本人は構成されていると言われます。
彼等と一線を画す、もう1つの原日本人が、紀元前にZipanguの地に漂流しました。
シュメール人です。
彼等、シュメールは瞳が黒く、目は大きく、顎は小さく、美しい黒髪を蓄えていたそうです。
■Babylonia.History
=シュメール文明に始まる
それは、今から6千年以上も前の事です。
筆者によれば、ユーフラテス川とチグリス川の二つの巨大な流れの畔りに、恐らくは東方から、それもインド奥地の西部から移住して来たシュメール人が定住する様になりました。
厳密な話をすると、シュメールの出自は高度情報化社会となった今でさえ、よく分かっていません。
インド西部から移動して来たと言うのは、一つの学説です。
しかし、遺跡から発掘されたメッセージや造形物、描画等々から察するに、六千年も前の種族にも関わらず、異常に天文学に詳しく、遺伝学を知っていたと思われる記述や、宇宙人を彷彿させる容姿などから、シュメールは宇宙からやって来たと言う説さえ存在します。
シュメール文明は、想像さえ及ばない、気の遠くなる時代、それらはノアの方舟の洪水伝説よりも前から始まる歴史です。
粘土板にはこうあります。
「王権が天より地上に降りた時、王国はエリドゥにあった」。
このエリドゥと言う地名は、当時既にメソポタミア地域に存在した地名でした。
シュメール人は、前から定住していた先住民、オベイド族ととても良好な関係を持ったそうです。
オベイドも、中々の文化的発展を遂げた民族である事が分かっており、そのNation(国)は良く組織され、人工的な灌漑を基盤とする農業、畜産を土台として非常に栄えていました。
シュメール人は、そこに定住し都市を出現させます。
⬛️シュメール文明のレガシー
スメラギ・イヤサカ
その都市が、エリドゥ、ウル、ニップール、キシュ、ラガシュと言い、各都市には最高神官が配置され統治していました。
シュメールの都市は、次第に経済力を発展させ地球上初めての文字、象形文字を産み、更には楔形文字を発明しました、又陶芸家が用いるろくろや、円筒印章等を有効に活用する知識を彼等は知っていました。
特質的な事は、楔形文字がその後AD2016、現在に至るまで英語、ペルシャ語、ヘブライ語、ロシア語、ギリシャ語、ウイグル語、アルタイ語等々、殆どの文字のルーツとなった点です。
しかし、シュメール人は繁栄を遂げた結果、極めて非平和的な民族を呼び寄せる事になり、長くは幸運に恵まれませんでした。
時は、BC2600年頃の話です。
シュメールの都市、ウルとラガシュは権威と影響力を増大させていました。
ウルは、BC2000年紀中頃、貿易と文化の一大中心地でした。
しかし、ラガシュは隣国都市ウンマとの紛争に悩まされ続けていました。
ラガシュは、ウンマのルーガルザギシに敗れ侵略されます。
ウンマは、その後四半世紀に渡りシュメールの地に帝国を建設し支配を続けます。
⬛️アッカド人の侵攻とシュメール人の消失
更には、BC2350年頃、アッカドのサルゴン王率いる北方のセム語系民族が、シュメールの各都市に侵攻を始めます。
そして、そこにアッカドの都市が置かれました。
セム族は、その後二百年間その地に住み着きます。
アッカドのサルゴン王は、尊大な態度で四界の王を自称し、北方のアッシリアと、東方のエラムを懐柔させ、領土を拡大します。
しかし、サルゴン王の亡き後、継承者は帝国を存続させる事に失敗します。
彼等セム族は、ザグロス山脈から帝国内に侵入した種族、グティウムによって覇権を奪取され、それから1世紀の間に帝国は完全に荒廃させられてしまいます。
その後のラガシュでは、シュメールの古い伝統を復活させる事に成功し、再びシュメール文化を開花させました。
これを歴史論壇の間では、シュメールのルネッサンスと呼んでいますが、それも儚い運命をたどる事になります。
既にシュメールの都市に侵入していたセム族、エラム人等がその権利を奪い合ったからです。
シュメール文明の大きな財産のうち、ウル第3王朝の創始者でシュメールとアッカドの王だったウルナンム王の断片的な法典がありますが、これは今日知る限り、人類史上最古の法律です。
そしてシュメール人は、忽然と歴史上から消失します。
それが、天変地異によるものだったのか、虐殺された為なのか、他民族との混血となり埋没していったからなのか、それとも別の新天地に大移動したからなのかは、全く記録はありません。
◆都市バビロンの出現
Babylon
そうして、その地には新たにマリ、アッシュール、バビロンと言う都市が建設されていきました。
ここで特筆すべきは、バビロンと言う呼称です。
「バビロン」とは都市名なのです。
対して「バビロニア」と言う場合は、国号つまり国家名を指します。
しかし、それら新興勢力が生活上拠り所としたものは殆どがシュメールの遺産でした。
人類史初、世界水準の文字と文学、高層神殿ジックラート(ジグラト)をはじめとするほか、彼等はハンムラビ法典を粘土板に記録しました。
現在、人類が「バベルの塔」と言う言葉を口にする時、それは無意識にジックラート神殿を示唆している事になります。
バベルの塔は、ジックラートの隠喩に他ならないからです。
時代は変わっても、シュメールの神々や王は名を変えてバビロニアの神殿に存続しました。
バビロンは、最初のうちBabilla(バビラ)と呼ばれていました。
そして、そこにセム語族の一種族、アモリ人(アムル人)がやってきて、バビラの事をBabilim(バビルィン)即ち、神々の門と言う意味に解釈しました。
そして、時代が下りギリシャ人によってバビルィンがBabylon(バビロン)と呼ばれる様になりました。
出典:バビロニア・古代メソポタミア永久の夢の果てに(Petra Eisele著、片岡哲史訳)、wikipedia