国破れてマッカーサー8 | box03のブログ

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 シュメール人はBC2千年に、メソポタミアの地から突如消えました。 彼等の行方は分かっていません。
 著者・岩田氏は、彼等の行方を突き止める為、徹底的に追跡を始めました。
 そして、著者は大胆な仮説に行き着きます。

Zipangu Independence Banzai⁉️
   Go Now ‼️ No Times、No Place⁉️
76Years After The WW2
 
■戦後悲劇・平和教育
   明治天皇は、国造りの為「教育」を使って大成功を収めました。
   マッカーサーは、国潰しの為「教育」を使って大成功を収めました。
   マッカーサーは、キリスト教文明の優越を信じ、それを日本人に鵜呑みさせる為「日本の伝統文化」を異教徒の偶像崇拝と軽蔑し破壊しました。
   この破壊が表面的なものだけであればS27年のサンフランシスコ講和条約の発効で得られた独立と同時に、日本を建て直す事が出来た筈でした。 
   絶えず攻勢に出てくるマッカーサーは、日本の伝統文化を抹殺しただけでなく、その死体に「罪」「悪」「恥」と言うレッテルを必ず貼りました。
   そして、学校教育を利用して、日本の若い世代に『日本は大罪を犯した恥ずべき国』『愛国心は侵略戦争を引き起こす』『君が代は軍隊行進曲』などと刷り込みました。
   所謂、WGIP、ウォーギルト・インフォメーション・プログラム、洗脳です。
   この洗脳は「平和教育」と言う美しい言葉が付けられ、教育現場でも実践されました。
   このマッカーサーの洗脳プログラムに呪縛され、今なお、日本人は70年前の足かせの鎖を断ち切れず、国の意識と行動に無残な後遺症を残したまま、21世紀の大海原に呑み込まれて行きます。
   これこそ、戦後の歴史、同時に戦後の悲劇でした。
   終戦の年、日本人の日常生活は地獄だったので、米国の目も眩む様な富、武力に対して国民の間に劣等感が既に出来上がっていました。
   マッカーサーは、この優劣の関係を更に強化し、利用しました。
   日本国民は「一億総懺悔」させられ、マッカーサーのマリオネットになりました。
   一方永く抑圧されて来た国民の学習欲は、新たな題材を求めて動き始めました。
   戦後、NHK放送会館の中に設立された「民間情報教育局」CIE(Civil Information and Education)が日本教育を担当しました。
   教育局などと称していますが、その役員、職員の殆どは軍人です。
   CIEの使命は、日本人に「民主主義」を教えると共に「日本は米国に戦争を仕掛け、敗け、降伏した」と言う罪悪感を、マスコミや学校教育を通じて国民に徹底させ、日本の教育の中に存在していた「軍国主義、国家主義、軍事教練」を完全に消滅させる事でした。
   もう一つ大切な役割がありました。
   マッカーサー元帥に日本国民の世論の動向をつぶさに、且つ速やかに通報する事でした。
   マッカーサーが、自分の人気を神経質に気にしていた事は有名で、「世論・社会調査部」が設立されました。
   大日本帝国の魂を明文化したものは、「明治憲法」「教育勅語」でした。
   明治憲法は1889年、教育勅語は1890年公布され、国民の陛下に対する忠義と愛国心をはぐくむ為の、人生の『道標』でした。
   マ元帥は、天皇の神聖と忠義心を破壊する為、明治憲法をマッカーサー憲法に塗り替えました。
   しかし、マ元帥は教育勅語について、何ら関知していませんでした。
   先帝陛下は、終戦の詔書で、『耐え難きを耐え、国体を守り、世界の平和と進歩の為に努力する様に』と国民に求められました・・・。
   話は変わりますが、8月18日、前田多聞新文部大臣は、就任記者会見で、「日本の教育の基礎は、教育勅語と終戦の御詔勅抜きでは存在しえない。」と発言しました。
   前田文相は、東大卒、内務省勤務を経て、東京市役所第三助役、在仏日本大使館参事官を歴任。アカヒ新聞社論説委員(当時のアカヒは親日新聞)、ニューヨークの日本文化図書館長を務め、ニューヨーク赴任中に真珠湾攻撃が始まり帰国します。
   GHQから見れば、数少ない親米派、知日派の国際人だったので米国務省も大きな期待をかけていました。
   前田大臣の所信表明とは裏腹に、日本人は血を吐く様な犠牲を払い、お国に尽くした揚句の果て、無残な終戦を迎えていた為、夢も希望もない、心身共に疲労困ぱいし、飢え、教育勅語どころではないと言う社会になろうとしていました。
   前田大臣は、「国民の無関心こそ、昨今の道徳的退廃の根本である」と嘆きました。
   教育勅語の本文は、次の通りです。
   『朕想うに我が皇祖皇宗国を肇(ハジ)むる事、宏遠に徳をたつる事、深厚なり。我が臣民よく忠にかく孝に億兆心を一にして、世世その美をなせるは、此れ我が国体の精華にして、教育の淵源、また実にここに存す爾(ナンジ)臣民父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹己を持し、博愛衆に及ぼし、学を修め、業を習い、もって智能を啓発し徳器を成就し進んで公益を広め世務を開き、常に国憲を重んじ国法に従い、一旦緩急あれば義勇公に奉し、もって天壌無窮の皇運を扶翼すべし。かくの如きは、独り朕が忠良の臣民たるのみならず、又もって、爾祖先の遺風を顕彰するに足らん・・・
   と言うものです。
   GHQは、教育勅語を「極めて国粋主義的で、狂信的天皇崇拝を助長するもの、新しいものが必要だ」と主張していました。
   GHQバンス宗教部長は、オア教育部長に「教育勅語は絶対に学校内に持ち込まれてはならない」と言いました。
   日本の保守派は、明治憲法を死守しようとした「憲法戦線」で大敗しました。
   それだけに、最後の「砦」となる教育勅語は命に代えても守りたいとあの手この手でGHQとギリギリの駆け引きを展開していました。
   しかし、教育こそ政治、マッカーサー憲法の精神である、民主主義 ≒ 人権 ≒ 個人主義 に真っ向からそぐわない教育勅語は、米国が、最も「殺したいもの」でした。
   その死を確実にする為、GHQ民政局が介入し、衆院、参院に圧力をかけ、S23.6.19、教育勅語を正式に葬り去る決議をそれぞれ出させました。
   憲法がそうだった様に、教育勅語も表向きは日本人自らの手で廃止にした形を取りました。
 
   日本社会に、道徳と倫理、忠義心を育み、世界史上稀な「国造り」を成功させた一つの根拠、教育勅語はGHQに抹殺されました。
   これは、世代間の断絶などという生易しいものでなく、「日本史の断絶」「歴史の空白」と言う亡国への前兆。
   そして日本人から、道徳心、倫理感、愛国心は見事なまでに消えてしまいました。
 
■朝鮮戦争
   S25(1950).6.25、朝鮮戦争勃発。
   価値観を共有する隣国、韓国の大チョンコの間では、韓国戦争と命名されているので、ここでは韓国戦争という言葉を使ってみます。
   アジアは、400年間、欧州(ヨーロッパ)の餌食にされました。
   英国、独国、オランダ、ポルトガル、スペイン、イタリア、仏国、ロシア、ベルギー、デンマーク、そして米国は、世界中で弱い国を見つけると、騙し、脅し、手向かうと殺し、征服し入植しました。
   この野蛮な適者生存の掟を目の前で見せつけられていた日本は、祖国を守る為「富国強兵」の下、日清、日露の戦争に訴えました。
   人身的、経済的、政治的にも多大な犠牲を払い、李氏朝鮮と協定を結び、保護国化、そして日韓併合へと突き進みました。
   日韓併合は、当時帝国主義、ナショナリズムを実践していた欧米列強は、当然の如く認めていました。
   終戦を迎えて、日本から独立すると知った朝鮮人は、歓喜と興奮に包まれましたが、日帝時代よりも悲惨な現実が待っていたとは朝鮮人達は夢にも思っていなかったでしょう。
   これは、台湾の一部にも共通した感情です。
   朝鮮半島は、38度線を境に引き裂かれました。
   日本に避難民が朝鮮から密航して来ます。特に済州島からの密航が多かったと言われます。
   38度線には、無数の地雷が埋設され、厚い有刺鉄線バリケードが延々と並べられ、警備兵が機関銃を所持し、この運命のボーダーに近づいた者を射殺しました。
   North Korea は共産独裁国家となりソ連の友邦に、South Korea は強制的に西側米国陣営に組み込まれました。
   覇権を独占しようとしていたソ連、米国の死闘に巻き込まれた「代理戦争」、それが韓国戦争(朝鮮戦争)でした。表面上は、朝鮮半島の内戦ではありましたが、米ソ2つの超大国が覇権を争う代理戦争の為、米本国は現実に第三次世界大戦の引き金になる事を危惧していました。
   ソ連は、核開発に成功していたのです。
   S25.6.2、北の軍は38度線を破り南下して来ました。韓国軍は瞬く間に惨敗。救援に駆けつけた米軍も完敗。ソウルは、北に占領されます。
   UN(United Nations)ニューヨーク本部は、「北が侵略国」と決議します。連合軍も参戦する事になります。
   総指揮を担当したのは、マッカーサー元帥です。
   世界は、毛沢東中共軍が支那中華民国を乗っ取り、ソ連は東欧全土を共産化し、ベルリン封鎖を強行、核配備に成功して、北の武装化に着手したのです。
   S25年9月、マ元帥は、天才的と言われた作戦能力を発揮し、7万人の兵力で韓国の仁川港に上陸しました。
   仁川港は既に北の軍に占領されていましたが、幸い北の守備隊は配備されていませんでした。
   マ元帥は、賭けに勝ち、北の背後から猛攻撃を開始しました。
   10日後、ソウルを奪回し、北の軍を追い、米軍と韓国軍は10月1日、38度線を越え破竹の北進を開始します。
   マ元帥はトルーマンに「中共軍は参戦して来ないでしょう」と進言しました。10月20日、米軍は北の平壌を占領、パラシュート部隊を投入し、北の奥深く北と南から北朝鮮を挟み撃ちにし全滅にする作戦を実行しました。
   11月27日、30万人の支那中共軍が地鳴りを上げ、北朝鮮になだれ込み、米軍の猛進撃を止めました。
   マ元帥は敗北を重ね、南へ後退、ソウルは再度北朝鮮軍の手に落ちます。
   マッカーサーは、焦りを募らせ支那本土にいる共産主義者を攻撃する事を禁止した米国政府の命令は「軍史の中で前例のない極めて大きな障がいとなっており、それが解除されない限り勝つ事は出来ない」とトルーマンを批判しました。
   マッカーサーは、マッカーサー新憲法によって日本の軍隊を解体し、戦争放棄を命じたにも関わらず、韓国戦争が起き、在日米軍の殆どが朝鮮半島へ投入されると、日本の警備の為、今度は警察予備隊の編成と海保の増強を吉田総理に指令します。
   警察予備隊こそは、自衛隊の前身です。
   平和憲法は、その草案者マッカーサー自らの手により僅か2年で破られたのです。このことは、今も昔も9条カルト狂信者達にとって、不都合な真実ではないでしょうか。
 
 
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出典:国破れてマッカーサー(西鋭夫著)、wikipedia japan
 
乱筆乱文長文をここまで読んで下さった、奇跡の人には謝意を表します(爆) 
 
(あれっっ???半分にして聞いて下さいね)残念ながらまだ前頭連合野は正常(だと思います)まだ退行性脳疾患患ってないし(Funny)) 
 
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