国破れてマッカーサー6 | box03のブログ

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 シュメール人はBC2千年に、メソポタミアの地から突如消えました。 彼等の行方は分かっていません。
 著者・岩田氏は、彼等の行方を突き止める為、徹底的に追跡を始めました。
 そして、著者は大胆な仮説に行き着きます。



・・・Welcome To The Real Worlds!!! 
・・『Zipangu』Is Japanese 
Big Picture 。
The XX Files ・・・Fourth .
Future Generation !
真実と闘え・・・
I Want It . To Believe .(Funny !) 
Zipangu Independence Banzai⁉️
   Go Now ‼️ No Times、No Place⁉️
70Years After The WW2 
Every Thing . Live On This Way .
Sorry . change the world・・・。
   Please Don't Korea❗️

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﹅各政党・団体も新憲法を提案
   さて、憲法改正は公式委員会の他に各政党も独自の提案を出していました。
   GHQが最も感嘆したのは、共産党草案でした。GHQの考えに最も近かったからです。
   しかし、共産党が故にGHQがそれを支持するなど、そもそも反共主義のマッカーサーには口が裂けても言えません。
   市民団体も様々な草案を提案しました。マッカーサーの意図に合う案は一つもありません。GHQに落胆が見え始めました。
   日本人の思想的盲点を見せられた思いだったといいます。
   S21.2.1、松本憲法調査委員会の公式な政府草案が毎日新聞にスクープされ、その後マッカーサーに届けられました。
   マッカーサーは激怒しました。
   「3ヶ月もかかって、明治憲法の言葉を変えたものに過ぎない、全く旧憲法と変わらない、いや、かえって悪くなった」と。
   そして、マッカーサーは自分で新憲法草案を作る事を決断します。

天皇は国家元首の地位にある
皇位の継承は世襲による
国家の権利としての戦争行為は放棄する。日本は、国際紛争解決、自衛の為でさえも、その手段としての戦争を放棄する。
陸、海、空軍は決して認められない。又、いかなる交戦権も与えられない。
日本の封建制は廃止される。
今日以後、貴族特権は政府若しくは民間機関において何ら権力を持たない。
   これがマッカーサー新憲法草案骨子です。
   GHQ民生局は、この新憲法草案をたった6日間で書き上げ、S21.2.10、マッカーサーに提出しました。
   マッカーサーはすぐに承認し、ホイットニー准将がマッカーサー草案として松本憲法博士と吉田茂外相に手渡しました。
   日本の保守派は、天皇陛下を救う為なら何でもする事を、GHQは、まの当たりにして来ました。
   ホイットニー准将は、日本政府にマッカーサー草案をたずさえて出来るだけ早く改正案を作成せよと命令しました。もし、日本側が即刻改正案を提出しなければ、天皇に何が起こっても知らないぞ❗️とまで言いました。
   マッカーサー草案が、先帝陛下の命と交換だったと言う事です。

   実際問題、米国以外の連合国、特にソ連、英国は天皇の処罰と地位剥奪に躍起になっていました。
   この時代の歴史には、皮肉な事が本当に多いです。
   マッカーサー草案の第1条は天皇制の条項です。皮肉にも、マッカーサーが自分の権限で天皇制条項を提出した事によって、天皇陛下の権威と存在は護られたとも解釈出来るのです。
   マッカーサー草案だったから、極東委員会(UN)も、米本国も認めざるを得なかった。
   日本の保守派が作った草案では、永遠に連合諸国の政府は認める事はなかった筈です。
   とは言ってもGHQ「皇室財産の国有化」指令が旧宮家の皇室離脱の引き金になった事は少しも看過出来ませんが。

   ホイットニー准将は、吉田茂外相に「マッカーサー草案は極東委員会の同意を得るだろう」と言いました。
が、それはFakeでした。
   極東委員会(United Nations)は完全に機能していなかったし、事実上存在しないに等しい組織で、日本統治の権限は完全に米軍GHQに任されていた事を把握していたマッカーサーは、極東委員会と協議するなどと気持ちの欠片さえ思ってはいませんでした。
   元帥は、自書「回顧録」の中で、『占領政策が、極東委員会の審議に頼っていたら、ソ連の拒否権発動によって、新憲法は金輪際出来上がらなかっただろう』と述懐しています。

   幣原政権は、即時閣議を招集する慌てぶりでした。日本政府は、マッカーサー草案支持派と、明治憲法護憲派へと二極化します。しかし、マッカーサーが妥協する事などあり得ませんでした。
   マッカーサー草案から二週間後、S21.3.2、最初の日本政府案が完成し、その2日後マ元帥に政府案が提出されました。
   GHQ民生局と日本政府側で、緊密な討議が行われ、翌日所謂『新憲法内閣草案』が出来ました。
   それは、マッカーサー草案そのものだったのです。
   幣原総理は、厚かましくもAP通信記者の取材に「日本側が天皇の新しい定義として国家の象徴を提案した」と発表しました。
   マ元帥から、「そう言え」と言われたのでしょう。
   しかし、幣原総理は苦悩していました。

■幣原総理は陛下にマッカーサー草案を相談
   苦悩の結果、吉田茂外相(次期総理)を伴い3.5深夜、先帝陛下を訪問しました。
   昭和天皇は、『マッカーサー草案を支持する』と示唆されました。
   アカヒ新聞は、画期的な平和憲法などと書き立てました。
   翌日、日本政府は同新憲法を公式決定しました。
   まもなく昭和天皇は、朕は、先に、日本の政治の最終形態は、国民の自由に表明したる意志に依り、決定セラルべき物なるに鑑み、日本国民が、正義の自覚に依り平和の生活を共有し、文化の向上を希求し進んで戦争を放棄して義を万邦に修るの決意なるを想い、すなわち国民の総意を基調とし、人格の基本的権利を尊重するの主義に則り、憲法に根本的の改正を加える事を乞い願う
   と言われました。
   GHQ、マッカーサー草案が日本政府に提出され、ほぼ原文のまま陛下の同意の元、時の政府案として国会の議決を経て、新憲法は公布されました。
   一部の極左共産社会主義者が、幾ら「現行憲法は日本人自ら作成した平和憲法」とうそぶいても喚いても、原文の殆どがマッカーサー草案であるという事は、動かぬ事実なのです。

■大宰相・吉田茂総理大臣就任(任期S21.5.22~S22.5.24)
   S21.4月の総選挙の結果、第一党になったのは、鳩山一郎率いる自由党でした。当然の成り行きとして鳩山が総理に就任する筈でしたが、彼は組閣直前に公職追放されます。
   鳩山内閣成立と思っていたところで、いきなり公職追放と言う命令が下ったのは日本人にとっても大変ショックだったそうです。
   そこで鳩山は、外相だった吉田茂に自由党総裁を引き受けてほしいと頼みました。
   最も自由党総裁に就任したものの、吉田はいわば雇われ党首、外様の総裁で、党内には三木武吉、大野伴睦、星島二郎、広川弘禅といった反吉田の面々がいましたから、党運営にはかなり苦労する事になります。
   吉田がワンマンと言われる様になったのは、「吉田スクール」と呼ばれる子飼いの政治家達を擁して完全に自由党を掌握してからの事です。

﹅強運の大宰相・吉田の経歴
   M11(1878)、高知県宿毛市(スクモ)出身で自由民権派の闘志、竹内綱(タケウチノツナ)の五男として生まれ、父親の親友で横浜の貿易商「ジャーディン・マセソン商会」の支店長をしていた吉田健三の養子となります。
   因みにジャーディン・マセソン商会は、明治維新の影のキーパーソンと目され、坂本龍馬の活動を裏で援護していたスコットランド商人・トーマス・グラバーが在籍していた大手の貿易会社です。勿論、外資系です。
   養父が早世した事により、吉田は11歳にして莫大な遺産を相続します。
   自宅には25畳の勉強部屋を持ち、馬に乗って通学したと言われます。
   養母は、江戸時代の有名な儒者、佐藤一斉の孫娘でしたから、極めてしっかりした婦人で、少年吉田はこの人から厳しい教育を受けたと言われています。
   ところが学歴の方はと言うと、小学校を出ると耕余義塾と言う私塾に通い、それから後の昭和天皇の教育係、杉浦重剛の建てた日本中学高等商業学校(現・一橋大学)へ移っています。ところが「商業は性に合わない」と言って正則尋常中学に転校、更に東京物理学校(現・東京理科大学)に移り、学習院大学に通っていた時に大学科が閉鎖された為、東大へ転入しています。
   驚く程の紆余曲折があり、これを見ても分かる通り秀才コースを歩んだ人ではありません。
   但し、31歳の時に結婚した雪子婦人は重臣・牧野伸顕の長女でしたから、外務省に入ってから同僚よりやや優位な立場にあったと言えます。
   牧野伸顕は、維新の元勲・大久保利通の次男で、反ナチの新英米派でした。
   吉田も、その影響を十分受けたと言えます。とはいえ吉田は、幣原の様な穏健派ではありませんでした。
   外交官としての最初の任地は、支那(天津)で、その後も満洲や支那大陸各地を歴任していますから、反日ムードが高まっていた支那に対してはかなりの強硬派でした。
   S2年、田中義一内閣の元で開かれた東方会議にも加わり「実質上の外相」と言われた外務政務次官・森恪等と共に次の様な方針を打ち出しています。
一、支那大陸で日本の権益が侵される恐れが生じた時は断固たる措置をとる
一、満蒙(満洲と内蒙古)は日本が責任を持って支配下におく


出典:国破れてマッカーサー(西鋭夫著)、渡部昇一の人物戦後史「裸の総理たち32人の正体」(渡部昇一著)、wikipedia japan

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乱筆乱文長文をここまで読んで下さった、奇跡の人には謝意を表します(爆) 

(あれっっ???半分にして聞いて下さいね)残念ながらまだ前頭連合野は正常(だと思います)まだ退行性脳疾患患ってないし(Funny)) 

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