国破れてマッカーサー3 | box03のブログ

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 シュメール人はBC2千年に、メソポタミアの地から突如消えました。 彼等の行方は分かっていません。
 著者・岩田氏は、彼等の行方を突き止める為、徹底的に追跡を始めました。
 そして、著者は大胆な仮説に行き着きます。

・・・Welcome To The Real Worlds!!! 

・・『Zipangu』Is Japanese 
Big Picture 。
The XX Files ・・・Fourth .
Future Generation !
真実と闘え・・・
I Want It . To Believe .(Funny !) 
Zipangu Independence Banzai⁉️
   Go Now ‼️ No Times、No Place⁉️
70Years After The WW2 
   Please Don't Korea❗️
 
 
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■国連(United Nations)が日本に降伏を呼びかける理由
   この事を米軍スティムソン陸軍長官はこう説明します。
❶米国の日本上陸と武力占領は長期間を要し、我が方にとって犠牲の大きい困難なものになろう、日本の地形は日本人による長期の塹壕防衛戦には理想的である、しかし、我々の戦車作戦にとっては日本の地形はフィリピンやドイツより遥かにやり易い。
❷日本人は、非常に強い愛国心を持っており、我々の上陸を撃退する為に最後まで抵抗せよという狂信的呼びかけには間違いなく答える。
   こうした事態が起きた時、我々は日本列島をドイツの場合より更に完璧に破壊しなければならない。
 
   しかし、我々には極めて有利な条件があるとスティムソン陸軍長官は続けます。
日本には同盟国がない
日本海軍は、壊滅しており我々の海上及び潜水艦による封鎖により日本国民に必要な食糧、物資の動きを完全に遮断できる
日本は我が軍による大都市、工業地帯、食糧供給地に対する集中的な空襲に全く無防備である
日本にとって米軍と英軍だけが敵ではなく、戦力を強めつつある支那もあり、ソ連の無意味な脅威もある
我々には消耗知らずで無傷の工業力があり、日本には何も残っていない
我々は、日本の奇襲によって受けた犠牲の為に道徳的に優位な立場にある・・・
   現状を具体的に羅列した後、「日本は現在、米国の新聞やその他の論評で伝えられているより遥かにこうした条件に敏感に反応を示すと私は信じております」と更に
   「日本は、我々とは全く異なった精神構造を持った狂信者によって構成された社会ではありません。
   日本人はこの百年の間、非常に頭の切れる民族である事を十分証明しました。
   前例のない程の短期間に、西洋文明の複雑な技術を導入しただけでなく西洋の政治、社会思想までもうまく採用して来ました。僅か6~70年間で日本が達成した進歩は歴史の中で最も驚くべき国造りの偉業であります」・・・
   と高く評価しました。スティムソンは陸軍長官を二度勤めます。国務長官としては日本の満洲建国に強く反対しました。
   米国務省は「日本は米国の支配下に置かれるべき」であり、また「分割されるべきではない」とトルーマンに進言しています。
   これより先、ホプキンスがトルーマンに伝えた様に国務省も「ソ連が樺太、千島列島をして北海道までも占領分割地域に要求してくる」と読みました。
   ソ連に北海道を与える理由は全くないが「米国は、樺太、千島列島をソ連領土として分割する事は黙認しなければならないかも知れない」とホプキンスはトルーマンに言いました。
   国務省はトルーマンに日本を占領する任務は「米国人の連合国軍最高司令官」に授けられるべきであると強く進言しました。
   この米国の姿勢は、もしスターリンが日本占領に部分的にでも参加しようとしたら手強い敵で、共産主義を嫌悪していたマッカーサーと対決しなければならない事を意味していました。
   米国は、このポツダム会議以前に敗戦国ドイツを分割支配する事に同意して既に後悔していました。
   
■東京大空襲広島原爆
   ポツダム会議が、日本をどの様に支配するかを決めていた時、日本の都市は米空軍の思いのまま空爆されていました。ポツダム会議の3年前、東京が日本史上初めての空襲の洗礼を受けます。
   S17年4月、B25爆撃機16機がドーリトル少佐に指揮され、南太平洋に浮かんだ航空母艦ホーネットから飛び立ち1200キロ離れた東京に13機飛来し、焼夷弾を降らせました。屋根すれすれからの爆撃。同時に横浜。
   残る3機は、神戸と名古屋を空襲しました。全機は支那に向かいましたが、1機は燃料不足でソ連のウラジオストックに着陸し、2機は不時着し3人死亡、11人は日本軍に捕らえられました。
   その内、3人は戦犯として処刑されました。終戦後、S21年4月GHQはこれら3人を死刑にした日本の将校4人(沢田中将等)を東京から上海に連行し裁判にかけました。
   死刑を求刑されましたが、重労働5年で命は助かりました。
   大本営、日本連合艦隊は敵討ちに出ます。空母ホーネットの基地であるミッドウェイ島を襲いますが、待ち伏せをしていた米空軍に返り討ちにされ日本海軍は、空母4隻と真珠湾で卓越した才能を発揮したパイロットを数多く失いました。
   日本はこのダメージから二度と立ち上がれませんでした。惨劇はまだまだ始まったばかりでした。
﹅大空襲・焼夷弾とポツダム宣言
   東京は、終戦日までに100回以上の空爆を受け、死臭ただよう黒い瓦礫の山にされます。S20年3月10日、午前零時、空を覆う様なB29の大編隊280機から340機が低空から東京に浸入し民家の上に130万発(2千トン)という信じられない数の火災を引き起こす焼夷弾を降らせました。
   真夜中の東京は、炎の海となり隅田川は煮え湯の様に沸騰しました。
   特に向島、浅草は生き地獄で・・「あの日あの後も地下鉄は動いていた、我々は早稲田大学の院生で教授の家が浅草にあったので心配になって行く事にした。地下鉄駅へ降りて行ったら浅草方面から列車が入ってきた。列車が止まると・・皮膚が溶けた様に焼けただれた人が流れる様に出てきた。服からは煙が。人間の焼ける匂いは決して忘れられない」
   黒焦げになった者、灰になった者、行方不明の総数10万人以上。
   米国は、 「死者数30万人だ」と公言します。
   S20年7月26日、ポツダム宣言発表。ソ連は署名しませんでした。もし、陰謀がないとしたら、これは外交上の儀礼であったと見るべきなのか⁉️
   というのは、ポツダム宣言の最初の草案文には「USSR」とソ連がカッコ付きで含まれており、「もしソ連が参戦してなければカッコ内は削除する」と注釈がつけられていたのです。
   7月26日ソ連は、まだ参戦していません。鈴木貫太郎総理は、ポツダム宣言を黙殺すると返答します。
   8月4日「第20空軍隊が機雷を投下し日本の主要港全てを封鎖した。日本の完全封鎖が今、成立した」との報告をトルーマンは受け取りました。
 
﹅敗戦前夜
   ベルリンのポツダムに集結した米英ソ(ルーズベルト・チャーチル・スターリン)の首脳達は、「日本の無条件降伏」「戦争犯罪人の処罰」を骨子とする停戦合意を纏め、それを「ポツダム宣言」という形で日本政府に突きつけて来ました。
   そのポツダム宣言を受諾するかどうかと言う決断を行う重責を任されたのが、鈴木貫太郎総理大臣(任期S20.4.7~8.17)でした。
   鈴木は、政治家としては強運の持ち主でした。彼は武士としての教育を授けられていました、敗戦直前の4月12日、米国のルーズベルト大統領(真珠湾攻撃時の米大統領、終戦時の米大統領はトルーマン)が亡くなると、海外に向けて「私は深い哀悼の意を米国民に送るものであります」という談話を発表しています。
   戦時中の国のトップが敵国に向けた発言です。どれだけ潔く倫理的な考え方なのでしょう。
   仮に、安倍首相が亡くなったと(あくまで)仮定して、今の中朝韓の首脳だったらどんな談話を発表するでしょう。
   彼等が日本の首相の訃報に素直に哀悼を表するでしょうか。
   話を戻しますと、鈴木には武士道精神が備わっていたのです。
   西洋中世に発達した騎士道と武士道は、相手を重んずるという共通点がありました。
   ところが世界の戦争に米国が参戦する様になって、戦場から騎士道が消えてしまいます。
   WW1の時は、米国が主役を演じていた訳ではないので、騎士道精神も、かろうじて残っていましたがWW2になると、それは完全に消えてしまいます。
   それは何故か・・・。
   米国という国が、そもそも中世抜きで作られた人工国家だからです。
   米国建国の父達は、プロテスタント、特に強烈な清教徒(ピューリタン)が多かった。
   この人達は、中世を暗黒時代としか見ていませんでした。
   米国建国の父達が、何を理想にして国を築いたかといえば、彼等がそれまで教養として持っていたギリシャローマ文明でした。
   それゆえ米国の多くの公的な建物は、ギリシャローマ風に建造され、中世欧州風のゴシック建築は見られません。
   それと軌を一にして、欧州中世に生まれた騎士道の伝統もないのです。
   その証拠に米国は、中世欧州がやっと廃止したギリシャローマ時代の奴隷制度を復活させてしまいました・・・
 
   日本の敗北は決定的でした。無条件降伏の勧告を「黙殺」した為、鈴木内閣はトルーマンに原爆使用の絶好のチャンスを与えてしまったと言われています。
   ウラン製のリトルボーイは身長3m、体重4082キロ、地上603mまで降りて来ます。
   ピカッと走った閃光が網膜を焼き、ドーンと言う大爆発の余韻が消える前に広島が消えました。
   30分後、黒い豪雨が降りだします。
   爆心地に近い程豪雨だったそうです。雨は、焼けただれた肌を癒すかの様に降り続け、息の残っていた人達は街の真ん中を流れる川にはって辿り着き、ゆっくりと瀬戸内海へ流れていきました。
   広島は原爆の代名詞になります。20万人の市民が殺されました・・・
   6時間後トルーマンは『日本は、真珠湾において、空から戦争を始めた。今彼等は何倍もの報いを受けた。それは原爆である。それは宇宙の力を使用したものである。太陽の源となっている力が、極東に戦争をもたらした者に向かって放たれた。』と声明を出しました。
   日出ずる国は太陽によって懲罰されたのか。
   トルーマンは『日本国民を完全な破壊から避けさせる為にポツダム宣言を日本の政府に出したが、日本の指導者はその最後通牒を拒絶した。もし、彼等が今すぐ我々の要求を受け入れなければ、更に破滅の雨を浴びる事になるだろう。それは地球上でかつて想像もしなかった様なものである』・・・と警告しました。
 
   昭和20年(1945年)8月7日、15時30分大本営発表。
   敵米国は、日頃キリスト教を信奉する人道主義を呼称しながら、この非人道的残虐を敢てさせる事により未来永劫「人道の敵」の烙印を押されたもので彼の仮面は完全に剥げ落ち、日本は正義において既に勝ったと言うべきである。敵は引き続きこの爆弾を使用する事が予想されるが、これにより決して正義はくじかれない。1億国民はいよいよ戦意を高めるであろう・・・と。
 
■ソ連の戦線不当介入
   終戦の年、8月8日佐藤駐モスクワ大使は、外相モロトフの執務室に呼ばれます。こう告げられます。
   「ソ連政府は明日、日本に対して戦争状態に入る」と。
   8月9日午前零時、ソ連軍は満洲に突入し組織的壊滅作戦を始めました。ドノバンOSS局長はトルーマンに「ソ連兵は、日本人と支那人を無差別に殺害しています。ソ連兵は掠奪を科学的と言えるほど徹底的に実行し、機械のあらゆる部品、商店及び倉庫のあらゆる商品を持ち去っております。奉天は、ソ連が立ち去る時には空っぽの無人の街になるでしょう」と報告しました。
   和夫一家惨殺事件や、ヨーコ物語、二日市保養所の事を考えれば、日本人の満洲引揚者がどの様な悲惨な体験をしたか想像に難く有りません。
   二日市での中絶手術で、堕胎された胎児にはロシア系が多かったそうです。
﹅シベリア抑留者の証言
   ソ連の捕虜になり、シベリアに連行され生き残った日本人がいます。
   彼は北海道出身で、満洲で捕まりました。彼が言うには
   「ソ連兵は、戦車で日本人の女、子供達をひき殺した直後、戦車の中から出てきた。手にはペンチを持って。女、子供達の死体から、又生きている人達から、ペンチで金歯、銀歯を抜き取り、指輪を取る時は、指ごとペンチで切りちぎるんだ。俺がどうして生き残ったかって?」
   「俺達捕虜は、シベリアの拘留所に連れて行かれた。多くの日本人が着く前に死んだ。飢えと病気、衰弱で死んだ。俺達の拘留所には五百人程の捕虜がいた。食料が不足しているので、毎日朝になると誰かが死んでいた。冬になるともっと死んだ。土がカチカチに凍り、死体を埋葬する事が出来ないので、バラックの外に積んどくんだ。靴とか軍服は剥ぎ取り、俺達が使う。凍った丸裸の死体がすぐに山積みになる」
 
出典:国破れてマッカーサー(西鋭夫著)、渡部昇一の人物戦後史「裸の総理たち32人の正体」(渡部昇一著)
 
乱筆乱文長文をここまで読んで下さった、奇跡の人には謝意を表します(爆) 
 
(あれっっ???半分にして聞いて下さいね)残念ながらまだ前頭連合野は正常(だと思います)まだ退行性脳疾患患ってないし(Funny)) 
 
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