国破れてマッカーサー2 | box03のブログ

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 シュメール人はBC2千年に、メソポタミアの地から突如消えました。 彼等の行方は分かっていません。
 著者・岩田氏は、彼等の行方を突き止める為、徹底的に追跡を始めました。
 そして、著者は大胆な仮説に行き着きます。

・・・Welcome To The Real Worlds!!! 

・・『Zipangu』Is Japanese 
Big Picture 。
The XX Files ・・・Third .
Future Generation !
真実と闘え・・・
I Want It . To Believe .(Funny !) 
Zipangu Independence Banzai⁉️
   Go Now ‼️ No Times、No Place⁉️
70Years After The WW2 
   Please Don't Korea❗️
Korean Japanese Is ・・・
 
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■日本の英霊、米国の英霊
   明治元年(1868)の明治維新以来、富国強兵を国の目標とし、日本は世界史上稀に見る国造りに大成功を収めました。
   当時、欧米の植民地に成り下がったアジアで、日本が征服されなかったのは強兵がいたからです。富国となった今、強兵がいません。
   今、米国の強兵が日本にいます。
   S20からS27まで続いた米国の占領中、米国は日本を信念も自信も失くしてしまう国に仕立て上げ自衛も出来ない国にしました。
   米国を頼らなければ、生きていけない国に仕立て上げました。日本にある米軍の大きな基地は、日本が提供しているのではありません。
   米軍が戦利品として没収したものです。米国占領軍は、未だ日本から立ち去らず属国植民地の動静を監視しています。その監視費用も日本が出します。
   広島と長崎の夏の前、日本の国土に外国の軍事基地はありません。
   他国の基地があるのが異常なのです。それどころか職業軍人マッカーサーが妄想逞しく争いのない天国を夢見て、6日間で作った作文を「侵すべからずの聖典」憲法と崇め、いかに世界が日本の現状が変わろうともマッカーサーの夢のまた夢にしがみついているのが、今の日本の姿。
   日本の首相も侮辱を感じないのでしょう。首相が参勤交代するかの様に米国を訪問し、ワシントンのホワイトハウスに招待され、その後必ず隣のバージニア州アーリントンにある国立墓地と無名戦士の墓に参ります。
   連れていかれます。この墓地に米国の英霊が眠っています。日本の首相は常に花輪を捧げます。
   日本にもアーリントン国立墓地に匹敵する厳粛な場所があります。
   ところが帰国して祖国の英霊が眠っている靖国に足を運ぶのか。日本の兵士達は、理由はどうあれ祖国日本の為に死んでいきました。
   この人達に敬意と謝意を払うのは、生きている日本人としての礼儀ではないでしょうか。
 
■玉砕
   マッカーサー元帥指揮による勇猛果敢な海兵隊は、S19年6月サイパン島(日本の重要基地)に猛攻撃をかけました。サイパンの日本兵3万1千人は23日間戦い続け、玉尽き玉砕しました。日本人の子供達も母親と共に北へ追い詰められ、Banzai Cliff から次々と飛び降ります。
   その数およそ5千人。米兵3万5千人戦死。サイパン沖での海戦も悲惨な結果となります。
   日本海軍の航空母艦9隻の内、3隻は撃沈され、473機の零戦は956機のグラマンF6Fとの空中戦でほぼ全機撃ち落とされます。
   このサイパン島からボーイング社の新型B29爆撃機が、福岡、大阪、名古屋、東京へ空襲をかける為、出撃します。
 
■十死零生、神風特別攻撃隊
   零戦(三菱)は日本の技術の粋を結集した世界一の絶品でした。零戦は航空母艦用に設計され真珠湾攻撃、アジア、太平洋空中戦で抜群の旋回性能を発揮し、鍛え上げられた操縦者は向かうところ敵なしで、米空軍は「ゼロを避けろ」と指令を出す程でした。
   しかし、米国はアラスカに不時着した零戦をグラマン社で徹底的に解体、分析し弱点を探し当てました。
   零戦の急所はガソリンタンクと操縦士の座席共に薄いアルミ製で、敵の弾が当たると爆発するか即死でした。
   グラマン社は零戦に改良を加え、米空軍は、グラマンF6FヘルキャットをS18年9月、南太平洋空中戦に登場させました。空中戦で弾が当たってもグラマンは落ちなくなりました。
   零戦が負けだします。サイパンの胸が張り裂ける様な惨劇から35日後グアムの日本兵1万8千人玉砕。
   真珠湾で輝かしい戦果を上げた誇り高い日本の太平洋艦隊は、S19年10月フィリピンのレイテ沖激戦で無数の米国空海軍のグラマンF6Fに敵討ちされ撃沈されました。戦艦大和の姉妹艦、武蔵はここに沈められました。
   マッカーサーはレイテ島に上陸し、日本軍を全滅させます。その翌日、初めて神風特攻隊が死地へ向かって飛び立ちました。
   米国はレーダー探知機を持ってました。レーダーに点々が現れます。
   神風はまだ肉眼では見えません。しかし、その点々の方向に全ての機関銃と全ての対空砲を撃ち始めます。
   10機位の神風が肉眼で見えます。真っ直ぐ航空母艦に突っ込んで来ます。
   米兵達は、気が狂いそうな恐怖に震えながら機関銃を撃ちまくり殆どを30分位で撃ち落とします。
   しかし、時折1機だけがいくら弾を浴びても落ちません。銃弾の波間をかいくぐり、近ずいては逃げ、そしてまた突っ込んでくる、日の丸の鉢巻が見えます。祖国の為に死を覚悟して、己の勇気と誇りに支えられ、横殴りの機関銃の弾雨を見事な操縦技術で避け航空母艦に体当たりし撃沈しようとする恐るべき敵に米兵達は、深い畏敬と凍り付くような恐怖とが入り混じった感動に似た感情を持ちます。命をかけた死闘が続きます。遂に神風は燃料尽き、突っ込んで来ます。その時撃ち落とす。
   その瞬間ドッと大歓声が湧き起こります。その直後耳が避ける様な轟音を発していた甲板上がシーンとして静寂に覆われます。
   米兵達は、その素晴らしい敵、日本人に「なぜ落ちたのだ」「何故死んだのだ」「これだけ見事に闘ったのだから引き分けにして基地に帰れば良かったのに」と言います。
   それは悲惨な戦争の美化ではなく、激戦の末生き残った者達だけが感じる戦争への虚しさでした。
   米軍は圧倒的な進攻を続け36日間の壮絶な戦いの末、S20年3月硫黄島(イオウトウ)を落とします。
   死守しようとした日本兵1万9千人玉砕。米兵6千人戦死。米国の海兵隊が英雄視される転機になりました。
   米軍は、日本の輸送船2394隻を撃沈しました。この数は、日本の民間船の85%であり日本の輸送能力全滅の状態を表します。
   日本海軍は、米国の無数の輸送船の僅か98隻しか沈めていません。
   S20年4月、米軍は沖縄が赤茶色になる程猛爆撃し海兵隊を上陸させました。米国は、50万人の兵を上陸させます。沖縄を死守しようと大本営は、日本の最後の切札、戦艦大和を出動させます。
 
■戦艦大和
   戦艦大和は10年の歳月と巨額1億5千万円を費やし広島県呉市海軍港でS16年12月真珠湾攻撃直後に完成しました。因みに同年の軍事費は国家財政の75.7%、大和は冷暖房完備、エレベーター付き、世界最大の7万2千トン、全長263mの不沈艦で日本海軍の誇りでした。大和がある限り日本軍に敗北はないと誰もが信じていました。
   その大和は、S20年4月乗員2774名と共に燃料4千トンを積込み、援護する零戦は1機もなく、僅か8隻の駆逐艦を率いて沖縄へ出向します。
   この4千トンの燃料は、日本海軍が所持していた最後の燃料でした。
   翌朝、沖縄まではまだ遠い奄美大島沖の海上で、獲物を探していた米空軍に捕まります。大和はグラマン千機の猛攻撃に晒され、魚雷12発を受けます。当時、魚雷1発で沈んだ戦艦は数多くありました。
   PM2時、大和はついに鎮魂の大爆発を起こし、2498名の水兵と艦長と共に深い海に沈んでいきました。
   トルーマン大統領は、ルーズベルトの個人的友人で顧問だったハリーホプキンスをモスクワに派遣しました。
   ホプキンスは、トルーマンに「スターリンは、日本を分割し(本州の一部を)ソ連領にしたいと考えており、占領地域に関して英国と我が国との間に協定を結びたいと希望しております」と報告します。
   ホプキンスがワシントンに戻った後、スティムソン陸軍長官がトルーマンに、将来を見通したメモを提出しました。
   このメモがポツダム宣言になっていきます。
   従ってスティムソンがポツダム宣言を提案した最初の人物となります。
   スティムソンは、大統領に「時期を選んで米国、英国、支那(ソ連)の代表者が、日本に警告を与え、もし日本が降伏するなら将来の平和の為に、完全な非軍国主義化の達成を保証すべく連合国軍による占領を受け入れるよう日本に呼びかけるべきです」と勧めました。
   連合国が日本に降伏を呼びかける理由をスティムソンは次の様に言います。
 
 
出典:国破れてマッカーサー(西鋭夫著)
 
乱筆乱文長文をここまで読んで下さった、奇跡の人には謝意を表します(爆) 
 
(あれっっ???半分にして聞いて下さいね)残念ながらまだ脳幹網様体は正常(だと思います)記憶力は曖昧ですけど(Funny)) 
 
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