ヘドラで思い出した昭和の日本 | 夢老い人の呟き

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願い望むは願望  夢は寝てみるもの 儚く叶わぬもの
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    夢と人の中に老いが入り夢老い人  儚く老いる独り言

人間年を取ると嫌なことは忘れたくなるのでしょうか。

自分を振り返ると誇れるようなことは何も無い人生ですが、せめて良い時代に若き日を生きてきた、幸せな人生だったと思いたい気持ちが働くのでしょうか。

私だけでなく昭和はよかった、高度成長期の日本はよかったと思うご同輩も多いと思います。

 

しかし前記事のゴジラ対ヘドラで次のYouTubeの歌を思い出した人もいるのではないでしょうか?

 

思い返すと私が生まれ育った時代、上京した時代は正に公害の時代でした。

工場の排水で川も海も水質汚濁となり、工場の排煙や自動車の排気ガスで深刻な大気汚染となり、野放図な地下水汲み上げで各地で地盤沈下を起こし、そして多くの人が公害病で苦しんだのも昭和の日本です。

 

現在は芸能人が政治的な発言をすると非難される社会ですが、当時はこの映画の主題歌のように公害が大問題となっていたのです。

 

 音譜水銀 コバルト カドミウム~ 音譜  鉛 硫酸 オキシダン、、、音譜

 

 

 

明治から始まっていた公害
 

大気汚染は明治に入り欧米化が進み、やがて富国強兵・殖産興業政策が推進され、近代産業の規模が拡大するにつれて、大気汚染・水質汚濁・地盤沈下が進みました。

 

そして戦後は復興を目指し著しい工業化が進みましたが、産業と経済成長が優先され、大気汚染を中心とした水質汚濁や自然破壊が深刻となり、大きな被害をもたらしました。

 

 

高度成長期と四大公害病

 

高度経済成長を続けた1960年代の経済成長率は10%を超え、経済は大きく成長しましたが、大気汚染、水質汚濁、自然破壊はより一層進み、住民の健康を害する深刻な被害が発生しました。

 

中でも被害が深刻だったのが四大公害病ですが、公害対策の法体系が未整備な状況であり、原因の究明、発生源対策、被害患者の救済に時間がかかり、いずれも訴訟という経過となっています。

 

公害病は原因となる企業にとっても大きな問題であり、原因を特定し責任を認めさせ認定させるのは大変です。

 

水俣病では熊本大学水俣病研究班の研究によって、原因は「新日本窒素肥料(現・チッソ)水俣工場」から排出された有機水銀でほぼ間違いない」と発表されたが、御用学者の"清浦頼作"(応用科学者・公害問題評論家)は、「有機アミン説」を唱えて有機水銀説を否定し、マスコミ操作も積極的に行った。清浦のアミン説発表により水俣病認定が15年遅れたといわれる。

 

■四大公害病

  • 熊本県の水俣湾で発生したメチル水銀汚染による「水俣病」 
  • 新潟県の阿賀野川流域でのメチル水銀汚染による「新潟水俣病」 
  • 三重県四日市市で発生した主に硫黄酸化物による大気汚染が原因の「四日市ぜん息」 
  • 富山県神通川流域で発生したカドミウム汚染による「イタイイタイ病」 

 

地盤沈下

 

関東平野では近代工業化が始まった明治から地盤沈下が始まり、大阪平野では軍靴の靴音が大きくなり始めた昭和10年頃から沈下が始まっていますが、その他の地域は高度成長期に入った頃から沈下が多きくなり始めています。

 

以下「国土交通省 水資源 地下水保全と地盤沈下の現状」より引用

 地下水の過剰採取による地盤沈下については、関東平野南部では明治中期(1890 年代前半)から、大阪平野でも昭和初期(1930 年代中頃)から認められ、さらに、昭和30 年(1955 年)以降は全国各地に拡大しました。地盤沈下は、地下水の採取規制や表流水への水源転換などの措置を講じることによって、近年沈静化の傾向にあります。

 依然として沈下が続いている地域が多数存在していることや、渇水時には過剰な地下水の採取により地盤沈下が進行することを踏まえ、今後も地下水の保全を図りつつ持続可能で適切な地下水利用を図っていく必要があります。また、臨海部では、地下水の過剰採取によって帯水層に海水が浸入して塩水化が生じ、水道用水や工業用水、農作物への被害等が生じている地域もあります。

 

引用終了

 

 

昭和の日本の発展はこういう犠牲のうえにあったのです。

歴史の汚点が語り継がれなくなると、また同じ過ちを繰り返すことになるかもしれません。

美しい歴史よりも美しくない歴史、歴史の過ちこそ後世に残さねばならないと思います。