慰霊の日 | 夢老い人の呟き

夢老い人の呟き

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1985年8月12日、午後6時12分に羽田空港を飛び立ったJA8119、日航123便大阪行きジャンボ機は12分後に相模湾上空で操縦不能となり、迷走飛行の末、午後6時56分30秒群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(標高1,565メートル、通称御巣鷹の尾根)に墜落しました。

乗客乗員520人が亡くなられた痛ましい事故から36年、ご遺族の皆様も高齢となられた方も多く、また今年もコロナ禍の中での慰霊の日となりましたー-合掌--。

 

昨日NHKニュースに事故調査官の手記が掲載されました。

調査官限りの内部文書とされ、これまで決して表に出ることのなかったおよそ100ページにわたる手記との事で、新たな事実が出るかと期待ましたが、技術的には既知の内容でした。

 

 

日本人は安全神話が好きですが、人間の作ったもの、特に精緻で複雑なものになるほど完璧な物など無く、運用しながら不具合を見つけ、解決してゆかなければなりません。

例えば日ごろ使うWindows、iOS、アンドロイドOSがどれほどアップデートされ続けるか考えてみてください。何年経とうともセキュリティホールとパッチの戦いは終わりませんが、そういう事実に目を瞑るのが安全神話です。

 

この事故も何年たとうとも、忘れさせてはいけない、風化させてはいけないことです。
 

 

1.事故の概要(原因については3項ご参照)

 

事故の原因を作ったのは1978年6月2日、大阪伊丹空港で起きた日航115便の尻もち事故です。

※尻もち事故の原因となったスポイラーの誤操作に対しては、低高度ではスポイラーレバーを「ARM位置」を超えて引けないように改修されました。

 

この事故でJA8119号機は機体後部の圧力隔壁を損傷しましたが、この修理は航空会社に認可されている修理の範囲を超えるため、ボーイング社の修理チームが来日して修理を行いました

 

しかしこの時、ボーイング社から送られた部品の不具合から、誤魔化しの修理が行われました。

この修理が原因で圧力隔壁の修理部位には過大な応力がかかり、飛行による応力の繰り返しから金属疲労を起こし、一部が破断しました。

 

この破断箇所から客室内の与圧された空気が、その後部の非与圧域である水平尾翼取り付け部であるStabilizer Comprtmentに吹き込み、➀そのさらに後方にある補助動力装置のコンパートメントを吹き飛ばすとともに、➁垂直尾翼下部のアクセスホール(点検孔)から垂直尾翼内に吹き込み、垂直尾翼後部を方向舵ごと吹き飛ばしました

 

ジャンボ機には独立した4つの油圧系統がありますが、方向舵には故障に対する冗長性を持たせるためにアッパーラダーに2つ、ロワーラダーに2つ、計4つの油圧系統全てが使われています。このため全ての油圧系統の作動油が失われ、JA8119は操縦不能となりました。

 

 

2.日米の事故調査の違い

 

日本には事故調査の専門機関はありません

また日本の事故調査は警察主導の、刑事の法的責任追及を伴うものとなります。

 

これが独立した事故調査機関であり、法的責任追及よりも事故原因究明と再発防止を優先する米国の “国家運輸安全委員会(NTSB)” との大きな違いです。

NTSBは事故の当事者に刑事免責を与えた上で原因究明に全面的に協力させる「司法取引」の制度があります。

 

アメリカからはボーイング社から5名、アメリカの国家安全運輸委員会(NTSB)から2名連邦航空局(FAA)から2名連邦航空局(FAA)の日本駐在官1名の計10名の調査団が来日したが、実質的にアメリカ主導で事故調査が行われました。

  • 来日したNTSBの調査官は圧力隔壁に注目し、その後の調査でボーイング社の修理チーム及びボーイング社は司法取引により圧力隔壁の修理ミスを認め、その責任は免責されます。
  • 当然ながら日本の検察がボーイング社の責任追及などできず、ご遺族をはじめとする怒りと責めは全て日航が負う事となりました。

 

3.事故原因となった修理方法

 

JA8119は1978年6月2日の大阪伊丹空港での尻もち事故により、下図の圧力隔壁を損傷します。

 

この修理は航空会社が認可されている修理範囲を超えており、製造メーカーであるボーイング社が行い、損傷した圧力隔壁の下半分をそっくり交換しました。

 

■修理の概要

 

下図は圧力隔壁の左半分を後部から見た図です。

L18を境に上部圧力隔壁と下部圧力隔壁に分かれ、下半分を交換しました。

この上下の圧力隔壁はリベット2列で結合されます。

  • ところが「送られてきた下半分の圧力隔壁」一部が短く、ベイ2ベイ3の部分がリベットを1列しか打てません
  • そこで上下の圧力隔壁の間にスプライス・プレートという継板を入れ、真ん中のリベットを共用して上下2列(計3列)のリベット結合とする修理方針としました。【図2】ご参照

これが指示通りに行われていれば事故は起きませんでしたが、ここで重大なごまかしが行われました。

  • 一枚の板であるはずのスプライスプレートが2分割されており、全く荷重を受け持たない見せかけのスプライスプレートだったのです。【図3】ご参照
  • ベイ2ベイ3の下に「1列リベット結合」と書いてありますが、ここは本来は2列リベット結合でなければならず、ここの不適切な修理が123便の事故原因となります。

【図1】

 

この部分の断面図が次の図2、図3です。

  • 向って左側が客室側、右側は客室外側の非与圧域です。
  • ところが【図2】の指示書のようにリベットを3列とすべきところ、送られてきたスプライス・プレートリベット2列の幅しかなく【図2】の修理は行えず、【図3】のように上側にダミーのスプライス・プレートを取り付け、ごまかしました。

【図2】指示書の修理方法

 

  • 指示書ではこのようにスプライス・プレート(斜線部)はリベット3列で上下の圧力隔壁と締結されます。
  • 真ん中のリベット列は上下の圧力隔壁と共用します。
  • 上下の圧力隔壁は各々2列のリベットによってスプライス・プレートに荷重を伝えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【図3】実際にボーイング社が行った修理

 

実際にボーイング社が行った修理では、スプライスプレート(左図斜線部の下側の部分)は左図の「補修ミス部分」と書かれた所までの幅しかなく、リベットが下側の2列しか打てません。

 

①そこで上側にダミーのスプライス・プレート(オレンジ枠の斜線部)を入れました。

②これは上部隔壁とだけ、リベット1列で結合されている、見せかけのスプライス・プレートです。

③その結果、下部スプライス・プレート(斜線部)だけが荷重を受け待つことになり、上部圧力隔壁左図の中央のリベット1列のみで荷重を受け、ここから破断しました。

 

 

 

 

しかもこのスプライス・プレートの胡麻化し部分は、上図の赤く塗ったシール材で充填されており、このシール材を除去しない限り検査で発見することは不可能です。

 

 

【これを分かりやすいようにシンプルにしたのが下の図です】

 

この図は90度回転させて水平に寝かせてありますが、下側のバルクヘッドと書かれた部分が上部隔壁上のバルクヘッドと書かれた部分が下部隔壁と思って下さい。(上図のL18スティフナは省略されています)

結合板と書かれているのが、問題のスプライス・プレートです。

 

上の図が指示書の修理方式、下の図が実際に行われた修理です。

 

上部隔壁(図の下のバルクヘッド)は真ん中のリベット列でしか荷重を持たない事が分かりますが、この真ん中のリベット列部から破断しました。

 

 

またhttp://www.shippai.org/fkd/hf/HB0071008.pdfには古いリベットホールをそのまま使った事も、原因として書かれています。

以下引用

前略

日航ジャンボ機の後部圧力隔壁の急速不安定破壊は、複数のリベット孔縁から発生したマルチプルサイトき裂の進展と合体の結果である。後部圧力隔壁 L18 接続部におけるき裂の進展と合体の状況を図 6 に示す。

リベット継手の修理ミスだけではマルチプルサイトき裂(多数のリベットから同時多発的に亀裂が進行する事)の発生に至ることはない

修理の際に、古い隔壁板のリベット孔(直径 3.9mm)をそのまま利用し、リベット孔のいくつかには、加工きずとそれを起点とする疲労き裂が、すでに存在していたと考えられる(修理以前のフライト数 6,536 回)。

 

修理後の 1 回のフライトごとに生ずる圧力変動によって、上記のリベット孔のいくつかから疲労き裂が発生、進展し、互いに合体するか隣接するリベット孔(間隔 18mm)を縫い、事故直前には修理以後のフライト数 12,300 回で疲労き裂が相当数のリベット孔を縫った状態にあった(修理ミス部分のリベット孔 50 個のうち 30 個以上に疲労き裂が発生、疲労き裂長さの合計 270mm 以上)。

疲労き裂であることは、破面の電子顕微鏡写真によって確認された。

そして、事故当日の離陸直後、この疲労き裂を起点として、圧力の増大に伴い急速不安定破壊が生じ、隔壁は一気に破裂に至った。

以下省略

 

 

4.事故後の対策

 

もし圧力隔壁が破損しても「垂直尾翼が壊れ、方向舵が失われなければ」、もし方向舵が失われても、「油圧の作動油が全て失われなければ」、もし「修理後の受領検査、以後の点検で異常を発見することが出来れば」・・・・・事故原因から事故に至るまでにはいくつかのリンクがあります。

 

このリンクを途中で断ち切ることができれば、多くの命が失われることが防げます。

だからNTSBは事故の原因追及よりも、事故原因究明を優先させるのです。

こういう事故調査の思想は、日本にはありません。

  • この事故の原因の究明から対策が取られ、以後の航空機は例えこの事故のように圧力隔壁が破断しようとも垂直尾翼内が空気が吹き込まないように、垂直尾翼内に入るためのアクセスホールはアクセスプレートで塞がれました。
  • 油圧系統には作動油が失われるのを防ぐため、一定以上の流量で作動油が流れると油圧を遮断するハイドロ・ヒューズが設けられました。
  • 大規模修理後の検査要目は見直しされました。

 

 

5.過去の例
  • 1978年6月2日、大阪伊丹空港で起きた日航115便しりもち事故の原因はスポイラーレバーの誤操作でしたが、低高度ではARM位置を超えて引けないように改修されました。
  • コンコルド機の事故”では離陸時にバーストしたタイヤ片が燃料タンク(翼そのものが燃料タンクです)のアクセスプレートに当たり燃料漏れを起こしたためです。この事故によってタイヤの破片による危険性が認識され、コンコルドだけでなく全機種でタイヤ片の当たる可能性のある位置にあるタンクプレート(翼は燃料タンクとなっており、翼下面のアクセスプレートをタンクプレートと呼びます)はンパクト・レジスタンス・プレートと呼ばれる、衝撃を吸収するタイプに改修されました。

 

  • ラウダ航空のB-767型機墜落事故”は機体の不具合が原因(逆噴射装置の油圧バルブの調整不良)でエンジンの逆噴射装置が作動してしまいました。この事故後ボーイング社は同形式の逆噴射装置に対して、例え不具合があろうとも飛行中に逆噴射装置が作動できないように“ 「シンクロ・ロック」 ”(USパテント US5609020 A 、ボーイングの特許です)というロック機構を設けました

 

これらはほんの一例で、航空機は事故が起きたりユーザーから不具合が報告されるごとに原因が究明され改修され、日々進歩しています。

 

複雑な機械、高機能の機械に成ればなるほど初めから完璧なものなど無く、不具合が報告されたり事故が起きて初めて改善されるものです。

原発も同じで福島第一原発事故以後(実際にはアメリカの9.11事件以後)原発の安全要件はどんどん改められ、それに応じてウェスティング・ハウスもアレバも設計変更を余儀なくされ、新規原発の認可、建設が延び、建設費が高騰し破綻しました。

 

いかにテクノロジーが進歩しようとも、逆に進歩すればするほど予測のできない不具合は起き、事故が起きて初めて気付かされる事もあり、決して安全神話で過信しない事が大事です。