アメリカ国連人権理事会離脱②・・・アメリカのキリスト教史とシオニズムまで | 夢老い人の呟き

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前回の記事からもアメリカの政財界が親イスラエルが多い事が想像できると思います。

ところがアメリカのキリスト教は一種の土着宗教といっても良いかも知れませんが、いまだに旧約聖書の世界を信じ、パレスチナは神がイスラエルに約束した地であり、イスラエル再建がキリスト再臨の序章と信じる人が多いのです。

 

従って政治家にとってはスポンサーも票田も親ユダヤというわけで、当然政治家も推して知るべしで、1995年に米上下院での圧倒的多数で、「エルサレム大使館法」が成立、テルアビブにある在イスラエル米大使館を1999年5月31日までにエルサレムに移すことが決められました。

95年10月23日に第104議会を通過した法律(Act)で、正式名称を「米国大使館のエルサレムへの移転その他を規定する法律」 という。

 

全8条からなる本法の骨子は、99年5月末までに、テルアビブにある米大使館のエルサレムへの移転を準備し、予算措置を講じることを目的としたもの。そのために、99年の海外での建物取得維持のための国務省予算の50%を、エルサレムに大使館が開設されるまで凍結すると定めている。つまり、国家予算の権限を有する議会が予算を担保にとることで、大統領など行政府の行動を縛る意図を持った法律である。

 

 また同法は、「エルサレムは分断されることなく、イスラエル国の首都である」と規定しており、国際関係、外交を司る大統領の権限にまで踏み込んだものになっており、そのことが常に問題視されてきた。

 

 同法の注目すべきポイントは、在イスラエル米国大使館のエルサレム移転に関する実質部分と、エルサレムをイスラエルの首都と認める宣言的部分の二つの要素から成り立っていることである。

出典:トランプが開けたパンドラの箱、エルサレム大使館移転問題の行方

 

しかし、この法律には大統領が6カ月ごとに移転先送りを命じることを認める抜け穴があり、これまでブッシュ、クリントン、オバマなど一連の大統領は政権公約としていながら、外交上の影響を懸念して見送ってきました

 

ところが有言実行の大魔王、トランプ大統領はやってしまいました。

しかしわざわざ休戦協定ラインをまたぐような場所にしなくても良さそうなものだか・・・・・

まあ領事館に引っ越しではなくて新築なので数年はかかるでしょうが。

 

図出典:焦点:米大使館移転で中東緊迫化、「エルサレム問題」とは何か

 

 

 

宗教改革とヘンリー8世が全ての発端?

 

メイフラワー号というとピューリタン、ピルグリム・ファーザースが有名ですが、なぜにピューリタンが生まれたか、なぜにピルグリム・ファーザースは海を渡ったか?

 

キリスト教には大きく分けてカトリック、プロテスタント、正教の三つがあります。

 

下図はキリスト教教派の流れですが、11世紀に東西教会が分裂後、赤い太い線のローマカトリックが主流となっていますが、「プロテスタント」は16世紀にカトリックから「宗教改革」で別れました。

 

下図の赤いカトリックの線緑の線のプロテスタントの間に、青い線の聖公会があります。

聖公会はイングランド国教会(の教派)ですが、「ほぼプロテスタント」という、何とも微妙な位置にあります。


英国は元々はカトリックでした。

イングランド国教会が生まれたのは教義上の争いから起こった一般的な宗教改革ではなく、当時のイングランド国王であったヘンリー8世 (在位1509~1547年が王妃であったキャサリンとの間に男児が生まれなかったために、離婚しようとして婚姻の無効を主張したが教皇に認められず.カトリック教会からの独立を宣言しイングランド国王をトップにおいたのが、現在のイギリス国教会のもとで、当時の教義はほとんどカトリックと変わらなかったようです。
その後、ヘンリー8世の息子のエドワード6世の頃から徐々に教義が、一般的なプロテスタントに近くなっていき現在の形になっていったとの事です。

 

カトリックとプロテスタントの違いについては「カトリックとプロテスタントの違い・・・・」をご参照願いたいと思いますが、カトリックへの「抗議(プロテスト)」から「プロテスタント」となったという事を分かりやすくいうとローマ教皇の首位権」を認めないという事のようで、プロテスタントにもいろいろな教派がありますが、全てに共通するのがこの一点です。

という事で、この点において英国国教会はプロテスタントといえます。


 

ピューリタン

 

下図はカトリックから分かれた後をもう少し詳しくしたものですが、「ピューリタン」、「メソジスト」がイングランド国教会から生まれた事が分かります。

 

16世紀前半ローマカトリックを批判したルター、カルヴァンから始まった教会改革はキリスト教をカトリックとプロテスタントに二分しましたが、イングランドがカトリックから離れ、国教会が出来た事情は他の宗教改革とはちょっと違い、上に書いたような事情でした。

ところが厳格で原理主義的、非寛容的といっても良いと思うカルヴァンの教えに忠実なイングランドのプロテスタントは国教会の中のカトリック的な残存物(例えば聖職者に白い聖職服を着せることなど)を一掃し、純粋化する(purification)ことを要求したので、ピューリタン Puritan清教徒といわれ、特に国教会の主教制(国王を頂点とした聖職者の階層制)に対して反発しました。

 


 

ピルグリム=ファーザース

 

ピューリタンにも国教会から分かれることを主張する分離派内部から変えようとする長老派などありましたが、17世紀に入り、イギリスのステュアート朝の国王ジェームズ1世は「主教なくして国王なし」と称して国教会の主教制度を柱として王権を強化し、それに従わない聖職者を追放しました。( 国王は原理主義的なプロテスタント信仰を嫌ったために、国教会体制下ではピューリタンは弾圧の対象となった)

それに対して反抗し、1620年、信仰の自由を求めてアメリカに渡ったのがピルグリム=ファーザーズというわけです。

 

その後、英国では1641年から1649年にかけてピューリタン革命が起き、宗教的内戦を経て王政が復活します。

これを不満としたピューリタンたちは、ピルグリム=ファーザーズがすでに入植していた新大陸アメリカに渡ります

 

そして、国教会よりピュアなキリスト教(ピューリタン)の理想の「神の王国」を、共和制体制下で創立しました。

 

さらにビックリマーク1730年~1970年までに4回の信仰覚醒運動(リバイバル)(国民のほとんどがキリスト教徒と言われてはいるが、全員が信仰を持っているとはいえなかった18世紀のアメリカにおいて、信仰的熱心さと教会成長を伴う信仰運動が勃発・拡散した歴史的事象は、「信仰復興」の意でリバイバルと呼ばれてきた。ウェスレー、ホイットフィールド、ジョナサン・エドワーズらリバイバリストの指導によるリバイバルは特に大覚醒と呼ばれている。)を経ます。

 

 

メソジストと禁酒法

 

そんな中で生まれたのが有名な禁酒法です。

各州個別に法制化されていましたが、1919年、ついに憲法に入ります。

 

米国憲法修正第18条[禁酒修正条項] [1919 年成立]

第1項 この修正条項の承認から1 年を経た後は、合衆国とその管轄に服するすべての領有地におい て、飲用の目的で酒類を製造し、販売しもしくは輸送し、またはこれらの地に輸入し、もしくはこれらの 地から輸出することは、これを禁止する。

第2項 連邦議会および各州は、適切な立法により、この修正条項を実施する権限を競合的に有するも のとする。

第3項この修正条項は、連邦議会がこれを各州に提議した日から7 年以内に、この憲法の規定に従っ て各州の立法部により憲法修正として承認されない場合には、その効力を生じない。】

[修正第21 条で全文廃 止]

 

上の国教会の図を見ると1720年ごろでしょうか、国教会から「メソジスト」が別れて誕生しています。メゾシストは本国英国では大した数にはなりませんが、アメリカに渡り、 メソジスト教団は現在アメリカでは信徒数が2番目に多いプロテスタント教団です。

 

聖書の原理原則に戻ろうとしたプロテスタントの中でも、特にピューリタン、メソジストは先鋭的で潔癖で信仰厚く、禁酒運動にも熱心でした。1840年代に始まった禁酒法の運動は、敬虔な宗教的な宗派、特にメソジストがその先鋒をつとめました。

 

1869年には禁酒党、1873年創立のキリスト教婦人禁酒連盟が設立され、禁酒運動が続きます。民族宗教的な性格を持つ禁酒法を進める勢力は、1840年代から1930年代への州における地方政治の重要な勢力でした。

 

 

1881年に州憲法でアルコール飲料を禁止したカンザス州では.、禁酒法の母キャリー・ネイション が手斧を持ちバーに乱入し、客を叱って手斧で酒瓶をたたき割りました。

さらにネイションは婦人を集めて「キャリー・ネイション禁酒法グループ」を組織し、他の活動家もバーに入って、歌い、祈り、マスターにアルコールを販売することを停止するよう訴え 、南部の州を中心として個々の州・郡で禁酒法が制定されてゆきました。

一人で(もしくは賛美歌を歌う女性たちを伴って)彼女はバーに向かって行進してゆき、まさかりで備品や在庫を粉砕しながら歌と祈りを捧げた。1900年から1910年の間で、彼女は破壊行為(彼女はそれを"hatchetations"と呼ぶようになっていた。)により30回ほど逮捕されている。ネイションは巡業講演で得た報酬や土産用まさかりの売り上げ金で罰金を支払った。

 

1901年の4月、ネイションは禁酒運動に対する広範な反対で知られていたミズーリ州カンザスシティに到着し、ダウンタウン・カンザス・シティ12番街で何軒もの酒場に侵入しては酒瓶を叩き壊した。

彼女はすぐさま逮捕され、500ドル(2006年の金額に直せば1万1500ドル)の罰金を科されると同時に、カンザスシティからの立ち退きと再度の入市の禁止を裁判官から命令された。

出典:Wikipedia キャリー・ネイション

 

 

 

なぜにキリスト教シオニズム

 

アメリカの人口の1/4を占めると言われる福音派。

ニュースを聞いているとキリスト教福音派がナンたら、キリスト教原理主義者がカンたらといわれ、「キリスト教福音派ってどんな教派だ?」「キリスト教原理主義ってどんな教派だ?」「ピューリタンやメソジストとは別の教派か?」と疑問に思うでしょうが、要はアメリカの福音派も原理主義も聖書の原則に戻ろうとする考えでピューリタンもメゾシストもこれらに含まれると考えて良いと思います、

 

ピューリタンメゾシストアメリカの福音派、原理主義も潔癖で信仰が厚く、聖書に書かれていることを絶対視する、原理主義的な傾向を持ちます。

 

そしてイスラエル(パレスチナ)を神がユダヤ人に与えた「約束の地カナン」(Wikipedia「約束の地」ご参照)であるとし、さらに、「キリスト再臨」のためには、イスラエルが中東に建国されることが不可欠な要素だと信じ、イスラエル建国は「キリスト再臨」のための重要な第一歩だと盲信しているのです。

そしては自分たちこそ神に選ばれた人間(選民)であり、罪深い人間が全て滅ぶようなハルマゲドンが襲来すれば、世界から人類が姿を消した後、自分たちだけが生き返ると信じ、イスラエル建国は聖書の預言が成就されたものであるとするようです。(「クリスチャン・シオニズム」、「キリスト教シオニストの実態」ご参照) 

 

ということでなぜにトランプ大統領が国際世論に逆らってイスラエルに肩入れするかといえば、アメリカの世論と政界との後押しと圧力があるからでしょう。

 

キリスト教は奥が深いです。