長州街道ガイドウォークのコース案内もこれが最終になります。
(あと、「番外編」を何回か掲載したいと思います。もう暫くお付き合いの程を…?)
先述の「椹野川」畔の喧騒を見下ろす川土手には、
小郡三大名家の一つ「秋本家」の分家の敷地が並んでいます。
この用水路傍らの老朽化した石垣の擁壁を観察すると~

建屋は新築(改築?)され古民家の様相は最早残されていませんが、
唯一、この石垣には、
明治時代の形跡がバッチリと残されています。
日本の構築物における石積み工法は、
明治維新後からは西洋式の「布積み」(平積み)が主流になっていましたが、
(工法的には「谷積み」より「布積み」の方が容易だったんだと思われます。)
鉄道網が全国に展開するようになり、
横からの振動にも耐えられる旧式の「谷積み」工法が見直され各地の要所で復活しました。
明治中期頃には全国各地の軍隊敷地の擁壁や護岸、堤防等に利用されており、
その後は民間にも影響したことが想像出来ます。

上の写真は、
その過渡期に構築された石垣なんでしょうね…
「布積み」工法が途中から「谷積み」に変化しています。
関わった職人さんの気が変わったからなのか、
職人さん自体が代わったからなのか…?
でも、
「谷積み」をやってみてから技術的に無理がある、と認識したのか…
再び「布積み」に戻しちゃいました、みたいな…?
明治時代の構築物であることを推測するには、
石積み工法を観察するのが面白いですが、
赤煉瓦の構築物(煉瓦造、煉瓦装飾など)を探して歩くのも興味深いですね。