長州街道ガイドウォーク ~ 小郡地区④ | 「沖縄病」の楽しみ方…?

「沖縄病」の楽しみ方…?

空港に降り立った途端に味わうまったりとした空気感が好き…
「また来たよ…」とついニヤリとしてしまう…
先日戻ったばかりなのにもう次の訪沖のことを考えている…
そんなあなたの症状を改善? 助長? いたしましょうかね~

「小郡宰判勘場」跡を南下した小さな交差点から~
西進して数分のところが、
「山陽街道」と「石州街道」とが分岐する追分「田町交差点」…
ここに残る石の「道標」がひとつ…
刻銘に、
「右 京 江戸」「左 萩 山口 石見」の文字…
その裏側には、
「牛馬繋事無用」の文字も…
この石柱が、
当時の交通アイテムだった牛や馬の恰好の繋留場所になるのが懸念されていた訳ですが、
こう云う文言は、
「ここは駐車禁止」とかのタッチなんでしょうかね…
何となく愉快ですね。
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(田町交差点~角に「道標」、奥の駐車場が古林家邸宅跡地)

で、
この目の前の駐車場…
当時の小郡宰判内の三大名家「林」家、「秋本」家、「古林」(こばやし)家…
その古林家の大邸宅跡地です。
明治33年に現在のJR新山口駅の場所に「小郡駅」が設置されるに際し、
駅前一帯の敷地はその大半をこの古林家が所有していて、
ごっそりと寄付されたことにより遂行された、と記録されています。

明治維新前夜の慶応3年(1867年)…
徳川家の「大政奉還」により矛先を制されたのに対抗し、
討幕の密勅発令を画策するため京へ急行する「木戸孝允」が…
その途上でここの古林家に投宿したそうです。

戦前の昭和時代には、
ここは「寿座」と称する大劇場があったりしましたが、
残念ながら解体され名残りは一切ありません。
この古林家本家は東京に進出してしまい、
こちらには分家もいなくなっているそうです。
この駐車場の光景はそんな栄枯盛衰を象徴してちょっとうら寂しい…