「ハンタン山の枯れ赤木」の歌詞から…
♪ わが生まり島や 戦場になやい ぐしく山川ん 変わり果てて …
~
ハンタン山添いの 哀り枯れ赤木 なまやサビサビと こどく立ちし … ♪

暗くて判別し難いですけど、首里城守礼門近くの、
この「園比屋武御嶽石門」(国指定重要文化財です)の扉は、
固く閉ざされたままですけど、
この向う側に何かの建造物や庭園とかがある訳ではありません。
(城西小学校の敷地の一部になってます。)
この一帯は、戦前まで「ハンタン山」(多分「繁多山」でしょうか…)と称う「聖域」だった場所です。
標高にして10m程度の「丘」だったそうですが、
鬱蒼としたアカギの群生があったらしく、
そこが「御嶽」(うーたき)となっていて、
その礼拝所がこの石門だった訳です。
で、沖縄戦で対艦砲火を浴びて消失し、
「ハンタン山」の大半も吹き飛び、山容の名残はこれっぽっちもありません。
その光景を唄ったのがこの曲なんですが…

(「ハンタン山の枯れ赤木」です。向かって左側が首里城、右側がハンタン山になるそうです。)
その「枯れ赤木」は、
今ではこのように立派に緑を繁らせています。

(石門側からの撮影。右側がお城、左側がハンタン山~暗画像を無理やり加工しています。悪しからず。)
アカギ自体が再生したのではありません。
鳥糞の中に混ざっていたアコウ(ガジュマルの仲間かな?)の種子が枯れ木に着生し、
戦後70年かけてこんなに成長したのです。
アコウの木は通称「絞め殺しの木」と称ばれ、
その成長に連れ、寄生(着生)された木を枯死に至ら占める程のパワーを持つようで、
ここまで成長すると何だか「霊力」を持っていそうで神々しささえ感じてしまいます。
実際、戦後の地元の方達は、
このアコウの成長を「アカギの再生」と捉え、
沖縄の戦後復興のシンボルとも解釈していたそうです。
思わぬ「三線」繋がりに、
ちょっぴり親しみを感じた場所でした。