なんかたらん デージタラン②~世界の中で日本は | 「沖縄病」の楽しみ方…?

「沖縄病」の楽しみ方…?

空港に降り立った途端に味わうまったりとした空気感が好き…
「また来たよ…」とついニヤリとしてしまう…
先日戻ったばかりなのにもう次の訪沖のことを考えている…
そんなあなたの症状を改善? 助長? いたしましょうかね~

一昨日の新聞で小さく取り上げられていた記事~
「中国海軍11隻 沖縄沖を通過」
中国海軍は、西太平洋で軍事演習を実施するため、
6月8~9日にかけて、
本島と宮古島の間の公海上を東シナ海から太平洋側へ南下し、
この22~23日にかけて逆のコースを北上したものです。
海上自衛隊の護衛艦が追跡し監視を続けましたが、
「公海上を航行しているため、国際法上の問題はない。」と記しています。
その内容は、客観的事実のみの淡々としたものでした。
 
沖縄の現地を歩いて、
生の世界情勢に直面することがあります。
私達には、かつての朝鮮戦争やベトナム戦争の頃の、
「凄惨だった」と言われる雰囲気を知る術がありませんが、
沖縄国際大学構内に普天間基地所属の大型ヘリが墜落・炎上した事件(平成16年)では、
米軍は直ちに「日米地位協定」を根拠に警察や消防の関与を一切排除し、
事故処理を進めるため現場一帯を一方的に占拠・封鎖しました。
その事件の1年後に現地を訪れましたが、
まだ記念庭園化される前でしたから、焼け爛れた樹木の残骸の痛々しい光景がありました。
この時期は、
米軍のアフガニスタン侵攻やイラク戦争参戦が泥沼化しており、
沖縄では平成13年から18年にかけ、
各地で米軍機の墜落や不時着事故が多発したのです。
 
沖縄では、事故だけでなく、
米兵犯罪が発生する度に、米軍の犯人身柄引渡拒否措置等の強行を契機に、
県民による抗議集会が幾度も開催されており、
その規模は10万人にもなる大規模なものになっています。
文科省による「教科書検定問題」や、
大江健三郎さんの「沖縄ノート」訴訟事件に絡んでも、
人々は激しく反応し、その直截的な行動を県民全体が受容するのは、
あの戦争は未だ続いており、
沖縄の人々の心の深奥に未だに癒えない傷がマグマのように伏流しているのを心情として理解しておく必要性に駆られます(「それは被害者意識のすり替えだ」との意見も聞こえますが…)。
 
話は先の中国海軍の動向に戻ります。
中国海軍は現在、喫緊の課題として取り組んでいるものの一つが、
米国第7艦隊に対抗するだけの能力を西太平洋に構築する事だと言われています。
南シナ海では、
南沙(スプラトリー)諸島や西沙(パラセル)諸島の領有権を巡りASEAN諸国との間で緊張感が高まっています。
東シナ海では、
台湾との関係は恒常的な有事状態にありますし、
我が国とは先般、尖閣諸島の領有権問題で両国国民のナショナリズムに火が点き、
上げた手の下ろし所が模索されている状態です。
そして、この地域で一旦有事が発生した場合、
中国にとって一番厄介なのが、米国第7艦隊による介入です。
この23日、米国クリントン国務長官は、
フィリピンのデルロサリオ外相と「南シナ海問題」について会談し、
「軍事力の行使や、領有権を強化するため軍事的脅威を使うことには反対する。」と、
中国とその紛争の当事国に自制を求めましたが、
「米国は南シナ海問題の当事者ではない。」と、
中国はこうした米国の関与に対して神経を尖らせています。
そんな緊迫した情勢の下、
これらの紛争当事国の中の一つである筈の我が国は、
相変わらず「基地問題」と云う入口のレベルでしか論議は沸騰せず、
それ以上の根幹的な問題について意識が及んでいません(少なくともマスコミと世論は)。
 
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我々は、
「平和憲法」と「日米安保」のお陰で、
世界各地で日夜厳然として起こっている諍いや紛争、テロに「無菌状態」で安穏とした生活を送られています。
(勿論、だからと言って、憲法改正や安保条約破棄の論議に組するものではありません。)
しかし、それだからこそ、世界の情勢には敏感になる必要がありませんか?
我々の生活が保障されるために、世界の誰かが涙を流しているに違いないのですから。
大震災と原発事故以降、
我々の眼はつい内向きになってしまいがちですが、
マスコミが好んで取り上げている災害の犯人探しや政治情勢やらの情報に満足して、
「蚊帳の外」で鈍感を決め込んでいるようでは…