昨朝の地方新聞の「文化欄」にて~
ある考古学者の、「災害の歴史に学べ」と云う題の考察記事に目が留まりました。
この教授は、「地震考古学」の研究をしておられ、
考古学の発掘現場では、
大抵の場所で地震の痕跡を発見出来る…
との事実から話を展開させています。
「考古学」ですから、
その「痕跡」とは「遺跡」のことであり、
即ち「弥生・縄文時代」の頃にまで時代は遡る訳ですが、
1900年も2000年も前の人々の生活実態を追求出来ると云うのが何とも不思議です。
現代の海岸集落は海辺の道に沿って形成されていますが、
古代の人々はそのような土地には住んでいませんでした。
彼等の集落は、
海岸を見下ろす段丘や丘陵の上に形成されていたのです。
平成5年の北海道南西沖地震で大津波が来襲した奥尻島では、
海岸の集落が悉く大きな被害を受けましたが~
この島の海岸を見下ろす高台には縄文集落の「青苗遺跡」あり、
現在復興を果たした奥尻島では、この高台地区に移転した住宅が多いそうです。
日本では、古代から地震や津波などの自然災害に繰り返し見舞われており、
人々はその下で、
生産の場より少し離れていて日常生活に多少の不便があっても、
生活と財産を守るために高台に住み、
生産と生活の拠点を使い分ける知恵を身につけていたのです。
科学の力によって私達は、自然を克服しコントロール出来ている筈と、信じて疑いませんでしたが、
それが脆くも崩れ去り、人智の浅はかさを晒す事になりました。
先般からしつこく繰り返してばかりですけど…
私達は、自然の脅威に対してこれを克服することで科学力が高まったと考えがちですが、
逆に、自然から打撃を受け続けてきたからこそなんです。
自然とは、克服するのではなく、
畏敬の念を持ち凌いでいく事で、上手に付き合っていくしかない~
そうした考え方(習慣)が基本である事を、
沖縄のことをこれまで幾度も考察する中で感じるようになりました。

そうした事をつらつら考えていて、
ふと思い出した心配事~
2年前、本島のある小さな島で、その地区では結構市民権を得ていた「移住組」の方達と宴会をする機会がありました。
皆さん「定年型」の移住タイプでした。
彼等の住居は、
潤沢な資金があったのでしょう、デザイナーに依頼したりしてお洒落で素敵な建物ばかりで、
いずれも島の西側の傾斜地に立地していましたから、
(新参者と云う事で、地元の集落から若干引けた所に住む傾向があるようです。)
東シナ海に沈む夕陽の風景は、それはそれは感動的でさえありました。
ところが、その地区は、地元の人達に言わせれば…
「あそこは昔から人は住まない場所。
最近は大きな台風が少なくて被害を受ける事が少ないけど…」
冷静になって考えれば、
西側の海に面した傾斜地ですから、
西陽がモロに当たるのは勿論困りものですし、
何より、海から吹き上げてくる強風を直に受けると云う事です。
塩害は凄まじいものだと思われます。
何年もそこで生活しているとボディーブローのように効いてくるリスクです。
最近は世界的な規模で気候変動の影響が現れていると思われるような自然災害が頻発しています。
それに対して、「想定外」だとパニックに陥るのは、「人災」を惹起します。
中々難しい事ですけど、多分生じるであろうリスクに対して、上手にコントロールできる生活の工夫が肝要です。