昭和初期の「京都画壇」と沖縄① | 「沖縄病」の楽しみ方…?

「沖縄病」の楽しみ方…?

空港に降り立った途端に味わうまったりとした空気感が好き…
「また来たよ…」とついニヤリとしてしまう…
先日戻ったばかりなのにもう次の訪沖のことを考えている…
そんなあなたの症状を改善? 助長? いたしましょうかね~

10日ぶりの記事です。
仕事で萩→広島→山口→下関→長崎と走り回っていました。
昨日長崎から帰ったばかりですが…
勿論、沖縄料理店はチェックしました。
広島では、「ちゃんぷる家」…
長崎では、「あぱらぎ」…
 
「あぱらぎ」では、二晩続けて深夜まで騒いでしまい、
仕事が疎かになってしまって、相棒には大変な迷惑を掛けてしまいました。
 
この給料泥棒 ~ ! (恥)
 
 
…気を取り直して、話は変わります。
実は、2年程前の「東京国立近代美術館」において、
「沖縄ブリズム 1872~2008」と云う展覧会が開催されていました。
丁度その折、仕事の関係で竹橋界隈に滞在していたものですから、一度見学に行きたいと思っていたのですが、
結局時間の調整ができないまま、東京を離れてしまいました。
 
その展覧会への出品物の中に、
菊池契月(1879~1955)と云う日本画家の「南波照間」(1928年(昭和3年))なる大作がありました。
この画家は、大正・昭和期を代表する諸家の一人と評されており、
当時訪沖して、八重山古謡「南波照間」からイメージして描いた作品と言われています。
高さ2mを越える大作で、
昭和61年に「切手趣味週間」記念切手の図柄となったのは皆さんもご存知かと思います。
 
イメージ 1
 
で、この日本画家とは直接には関係ないのですが、
(この画家は、「京都画壇」の大家ですが)
当時、京都の日本画界において覇権を争っていた大家連中の「人物相関図」の中に…
気になる人物を発見したのです。
 
話は、全く在らぬ方向へ飛躍しますが(と言っても、私の一族縁者の方向ですけど)、
「森井龍泉」(1878~1954)と云う岡山の日本画家の事なんですが…
この人物は、
私の祖母とかつて内縁関係にあった間柄でした。
祖母は結局この人物との間に子は産さなかったので、
当然私は彼とは血縁関係にはない訳ですが、
実家には今でも彼に纏わる骨董書画が何点か残っています。
何故、こんなものがあるのか常々不思議に思っていたのですが、
この年末に、母親から当時(昭和の終戦前後の頃です)の思い出話を聞き取る機会を得まして、
想像の世界が広まる事になったのです。
 
最終的には、自慢話(露出話?)になってしまいますが、
先ずは、沖縄の風土に関わる事で画法の幅を大きく広げて進化していった日本画家達~
特には「京都画壇」の画家達のお話をちょっと展開したいと思っています。
 
 
(日本美術史の知識を全く持ちあわせておりませんので、殆ど資料からの流用になることをご了承下さい。)