「不愉快予測」を寄せ付けない日本人気質~「南西諸島防衛論争」一考察 | 「沖縄病」の楽しみ方…?

「沖縄病」の楽しみ方…?

空港に降り立った途端に味わうまったりとした空気感が好き…
「また来たよ…」とついニヤリとしてしまう…
先日戻ったばかりなのにもう次の訪沖のことを考えている…
そんなあなたの症状を改善? 助長? いたしましょうかね~

(…「日本人を惑わせるキャッチフレーズ群」から続く)
 
ですから、仙谷官房長官が「自衛隊は暴力装置」と発言したことで、
日本人の「気質」に「スイッチ」が入ったのです。
「暴力」と云う言葉に「霊」が宿り、
いずれ「暴力沙汰」を呼び寄せる…
簡潔に言えば、
「縁起でもない…」
と云う感覚を、日本人だからこそ抱いてしまうのです。
これは欧米人の合理的思考からすれば、
理解出来ない感覚です。
~「Self-defencr Forces」と言ったって矢張り「軍隊」でしょう?~
 
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日本人はそうした合理的思考にすんなりと馴染むことができない人種なんです。
世代が変わればそうした観念も微妙に変化するのでしょうが、
「日本は軍隊を既に保持している」(しかも世界で5~6番目の巨額軍事予算の)と認識することに違和感を抱くのは大なり小なりあるのは間違いないでしょう。
 
「言霊」の世界のお話は、
枚挙に暇がありませんからまたの機会までのお預けといたしますが…
日本人が内包する「民族的気質」のお陰で、
論議すべき事柄を直視できず…
入口論争に終始してうやむやなまま棚上げしたり…
ヒステリーや同情、畏怖、(或いは、「核放棄」、「憲法9条」、「CO2削減」やら…)の下で…
思考を停止させてしまうのです。
 
「南西諸島防衛論争」のお話に戻りましょう。
何も「軍備が必要だ」と言うのではありません。
~我が国の安全が脅かされた時に、
拘束したと思ったら慌てて釈放してみたりの右往左往することなく、
毅然と、直ちに、的確に対処できる国家的ビジョンの確立が喫緊の課題である筈なのに…
何ら我が国の「世論」は、
思考しようとしていない~
ことが、残念でならないのです。
その手段が、「軍備」と云うのも一案ですし、
「経済力」と云うのも一案です。
お隣の中国では、警察力に資源外交まで絡ませて輻輳して迅速に対処するなど、
その行動は徹底しています。
良し悪しの問題ではなく、国家を挙げて自国民をとことん守ろうとするそのスタンスには惚れ惚れしてしまいます。
 
国家を国民一人一人の努力により築き上げてきた歴史を持つ米国人などにとっても、
こうした我が日本人の行動パターンは歯痒いだろうと思います。
同じアジア人種だと云うのに、
何故こうも気質に違いが出るのでしょうか?