糸満・山巓毛にて | 「沖縄病」の楽しみ方…?

「沖縄病」の楽しみ方…?

空港に降り立った途端に味わうまったりとした空気感が好き…
「また来たよ…」とついニヤリとしてしまう…
先日戻ったばかりなのにもう次の訪沖のことを考えている…
そんなあなたの症状を改善? 助長? いたしましょうかね~

糸満ロータリーの北東の位置に隣接してちょこんと佇む小高い丘が~イメージ 1
サンティンモー(山巓毛)です。
この丘(頂)に立つと、西の位置に糸満港が見渡せます。
その立ち位置にある石香炉がルーグシン(竜宮神)と呼ばれています。
その他、東の香炉はアガリミチブシ(東三ツ星)、
北がニヌファ(子の端)、南がンマヌファ(午の端)です。
 
ルーグシンと呼ばれる方向に立てられた画像の大漁旗には、
「糸満徳屋歴代継受」と刷られていますが~
この「徳屋」と云う屋号一族は、
歴代当主が糸満ハーレーの始まりである「御願バーレー」の出発の合図を送る役目を負うことになっているそうです。
新調の何の変哲もなさそうな大漁旗ですが、
歴史の重みのある由緒ある旗なんですね。
(どうせなら、あの「西村」の爬龍船の「優勝旗」のようなボロボロの方が厳かだったかも…)
 
 
ところで、この山巓毛から南方を望めば、
あの沖縄一巨大な「幸地腹門中墓」の勇壮な姿が目に飛び込んできます。
その手前にある大殿内腹門中墓と与那城腹門中墓も近くに行くと見上げる程巨大です。
山巓毛の真下にも、大城腹門中墓があり、
その隣には「南山王・他魯毎(タルミィ)」の墓碑が建てられています(この王様のお話は、いずれまた…)。
あちこちに一族の巨大墓が点在しており、
糸満は(南部地区全般でしょう)祖先に守護された霊的な町~
とも思えるような敬謙な気持ちになってきます。
 
そんな畏敬の念を抱くべき山巓毛が、
あの沖縄戦末期には、日本軍によって強制的に接収された時期がありました。
門中墓の中を抉って基地として使用していたそうです。
余所者の私達でさえ感じる「土足で墓を踏み荒らす」ようなこんな行為が出来る組織を擁した民族とは、
例え一時期だけの異常な行動だったとしても、
末代まで呪われて然るべきでしょう…
 
そう言えば、我が日本民族の歴史を遡れば、一族や他民族に対する侵略や殺戮の時代がありますね。
一方で、その祟りを畏れ、神社等を建立し霊を鎮めたりしています。
人は生ある限り殺生を繰り返します。
何事にも「畏敬の念」を抱きつつ、奥床しく生きていかねばならない生き物なのだと思います。