「客足の流れ」が「淘汰の波」~人生山あり谷あり④ | 「沖縄病」の楽しみ方…?

「沖縄病」の楽しみ方…?

空港に降り立った途端に味わうまったりとした空気感が好き…
「また来たよ…」とついニヤリとしてしまう…
先日戻ったばかりなのにもう次の訪沖のことを考えている…
そんなあなたの症状を改善? 助長? いたしましょうかね~

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(…「地ビール業界の栄枯盛衰」から続く)


(「地ビールブーム」も沈静し~商店街は様変わり)

しかし、それから3年程度で、そのレストランは閉鎖されてしまいました。
当時、山口商店街では他にも、ショッピングセンター「ダイエー」の破綻、ちゃんこ鍋の「ちゃんこ江戸沢」の撤退、等々と続きました。
商店街での大型飲食店は軒並み経営不振に見舞われたのです。

一方では、
温泉歓楽地の湯田地区には駐車場完備の大衆向けレストラン・焼肉店・回転寿司店等が続々開店、
郊外でも大型ショッピングセンターが続々進出していたのにです。

商店街全体の集客力は格段に低下し、人々のショッピングの嗜好は「回遊型」「のんびり型」から「目標突進型」「短時間集中型」へと変化してしまったようです。

外食業界の成功の鍵は、それぞれの地区の客層・客の流れ・交通事情等が複雑に絡み合い、中々一筋縄では行かないようです。


(「地ビール」業界も今では…)

平成8年頃は、とにかく「地ビール」が流行しました。
全国のあちこちで地ビール工場が誕生し、山口市でも2つの醸造所が登場しました。
その一つ、小郡駅北商店街にある発泡酒の醸造所兼パブレストラン。
現在の店舗は、当時の醸造タンクは残っているものの、全く別の業者が居酒屋を経営しています。
勿論その醸造タンクは単なる飾りと化しています。

平成12年には、島根の「尼子ビール」が破綻しました。
経営者が、業務上横領の容疑で逮捕されたのが発端です。
この頃は、全国で倒産・閉鎖の話が続出しました。
前述の萩市の「村塾」もなくなりました。
かつては花形だった「地ビール」業界も、ブームが落ち着くと明暗がはっきりし淘汰されていきました。
  
山口にあるもう一つの地ビール醸造所は、郊外型レストランを持つ「山口地ビール」。
ハーブ園やソーセージ燻製所等も併設し、観光バスのコースにもなっていたりして、現在も地道に頑張っています。


淘汰の波は、何処でも厳しいもの。
明と暗は容赦なく、何処にでも、誰にでもやってくるのです。