「サビエル記念聖堂」は山口の象徴か? | 「沖縄病」の楽しみ方…?

「沖縄病」の楽しみ方…?

空港に降り立った途端に味わうまったりとした空気感が好き…
「また来たよ…」とついニヤリとしてしまう…
先日戻ったばかりなのにもう次の訪沖のことを考えている…
そんなあなたの症状を改善? 助長? いたしましょうかね~

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画像は、私が「サンデー山口」にかつて投稿した新サビエル記念聖堂の尖塔の記事です。
偶然3本に見えたのが面白くて認めたものです。

この新サビエル記念聖堂は、平成3年に焼失したものを、平成10年に再建。
当事は、斬新なデザインに賛否両論あったものの、それでも完成の献堂式の折は、市をあげてのお祭り騒ぎでした。
いつも4月にやっていた「湯田温泉まつり」を5月に繰り下げて同時開催する、という盛り上がり様でした。フランシスコ・サビエルの巨大人形やジャグラー達の行列を、私も子供たちと興味深く見物したものでした。


旧「サビエル記念聖堂」は、昭和27年にサビエル来山400年を記念して建立されました。
その39年もの長い歳月の中で、山口の街に溶け込み、観光名勝としてなくてはならない存在になっていました。
さて、その旧聖堂が亀山公園の一角に建立されるのが決定した昭和26年当時の巷での評判はどのようなものだったのでしょうか。
当事の「防長新聞」の記事は、結構好意的なものが多く、地域生活に上手く溶け込んでいたようにも感じられますが、現実には…

教会が亀山の山林を取得したのは昭和23年。
亀山はそもそも毛利家の所有で、当事「山口師範学校」が買収することになっていたそうです。
そこへ、教会は横槍を入れた形で、本意を遂げたばかりか、聖堂建築工事では山口県庁に圧力を掛け、現場監督責任者まで徴用しました。
今でこそ「政教分離」に逆行したとんでもない行為でも、当時では「進駐軍」の権威を笠にした強権行為が罷り通っていたようです。


(以下、次号に続く…)


(既出)