「ご遺体」の処理等に携わってきた人々に対する世間の特別視観は矢張り残っていますが…
死者の尊厳を決して疎かにしない仕事ぶりは、確かに脱帽ものです。
山形庄内地方の冬は静謐で、この映画の横糸になっているようです。
それにしても~
自殺や孤独死のケースに、一介の「納棺師」が「鑑識」のように現場に馳せ参じると云うのは、「あり」なんですかねぇ?
ところで、この「納棺師」ですが~
元からこうした「職種」があった訳ではありません。
昭和29年の青函連絡船「洞爺丸」の沈没事故で多数の死者が出た折り、
その遺体処理を「札幌納棺協会」が受託したのがビジネス化されたものだと言われています。
因みに、このビジネスは現在、北海道・東北地方を中心に広がっているようです。
しかし、現実には…
病院で死亡する、或いは死亡して病院へ搬送されるケースが大半であり、
その「ご遺体」の処理は、病院側(看護師やアルバイトさん達)が従事していますから、
遺族が「ご遺体」の処理に直接関わったり、目の当たりにするようなケースは余りありません。
そして、この「納棺師」以前の状況はと言うと…
明治時代になって「身分解放令」が発布されるまでは~
身分・階級が厳しく社会に浸透しており~
罪人の処刑や死体処理は、特定の身分の人々のみが従事することとされ、こうした行為に対する「穢れ」観が生まれる原因ともなっていました。
葬儀の最中では、人々は「精進料理」を口にし~
帰宅する際には、玄関前で「お塩」を身体に振り掛けて「穢れを落とす」と云う行為を取ります。
宗派(或いは葬儀社)によっては、「決して『穢れ』ではないので、『お塩』は使いません」と主張しているところもありますが~
「死者に関わる諸行為」に対する人々の特別視観は根強いものがあり、
こうした行為に関わることに、人々は無関心になっていったのではないでしょうか。
(これが「沖縄」とどう関係があるんかぁ! と思われつつ、以下次号へ続く…)
(既出)
HP「沖縄の話をしよう!」へ(http://2nd.geocities.jp/lmeg_mamo0821/)