今度はファミリーでの参加。
石垣島3回目の今回もカヤックは欠かせません~「めがろぱ」さんにお世話になりました。
場所は石垣島北部の伊土名。
パドリングはある程度慣れたからということで、早速吹通川のマングローブ林へ突入。
ヒルギの気根のカーテンに行く手を遮られパドルをもぎ取られそうになります。
川の水はあくまで塩辛く、ヘドロ状の淀みを突き進みます。
閉鎖的空間は物凄い圧迫感を持っています。
これを夜行するメニューがあるというのはちょっと過激かなという気もします。
午後からは2.5時間のシュノーケリング。
4時頃には体力を消耗しヘトヘトに。
「めがろぱ」のお兄さんはこれを毎日で、よく体力と気力が続くなと感心します。
大ナマコ・マンジュウヒトデ・シャコ貝(これに挟まれると指なんか食い千切られそう)にウツボ…
海の現職の世界を2,000円の使い切り水中カメラでは絶望的に表現できないのが残念です。
ショッキングだったのは休憩で立ち寄ったある小さな浜辺でのこと。
明治時代の「野底集落」の廃村跡の打ち捨てられた「空葬墓」が、流れ寄ったビニールゴミ等に囲まれたままでいるのを発見してしまったのです。
地元の人々は「マジムンが出る」と敬遠する場所へ一観光人の私は単なる好奇心で乗り込んでしまったのです。
罰当たりなことです。
こんな人気の無い場所でも石垣島の悲惨な歴史が存在しています。
沖縄でもそうですが、そんな事実と背中合わせに人々が生活しているのです。
御獄や拝所へ観光客が無思慮に入り込んだりしますが、相手の立場、心情を思い遣ることのない言動は、観光客に限らず、会社の上司でも、学校の先生でも、土地開発の業者でも、首相でも、大統領でも、ロシアでもアメリカでも因果応報の顛末を身を持って思い知らねばならない(早い話が、「いつかバチが当たる」)のだと思えます。
とても不安な気分に陥り、その打ち捨てられた墓前に思わず手を合わせたのですが、居心地の悪さが旅を終えた今でも心の端っこに居残っているのです。
それでも、石垣島の海は底抜けに青く、澄み渡っていました。
(平成14年6月の記録です。)
(既出)
HP「沖縄の話をしよう!」へ(http://2nd.geocities.jp/lmeg_mamo0821/)