取材日時 2008年 9月4日
コメント・取り壊しが進む関東地方に比べて、関西地方には有名且つ歴史的にも価値がある廃墟物件が数多くある。
しかし、近年はネットで紹介された廃墟に侵入し探索するだけならまだしも放火したり、破壊行為を行ったり、犯罪の温床になったりと穏やかではないニュースが急激に増え、たんなる心霊スポットや写真撮影の名所だけでは留まらなくなってきてしまったのも事実である。
実際に紀伊半島南部に群生していた有名大型廃墟に関しては、大掃除とも表現できる取り壊し事業が大規模に展開し、俺がいずれは突入しようと画策していた物件はほとんど姿を消してしまった。大阪府や京都府、滋賀県という近辺の廃墟にも取り壊しの波が押し寄せ、リバーサイド病院やR病院、橿原病院やマル病院など、有名病院廃墟だけでもこれらは全て消滅している。皆殺しの館や醍醐幼稚園、ユネスコ会館なども全て姿を消した。
超有名物件と呼ばれる関西地方の廃墟は関東地方にも迫る勢いで次々と灰塵に帰していったのである。
その中で、唯一と言ってもいいほどに原形を留め、当時の雰囲気をかろうじて残している数少ない廃墟の中でも、正にビッグネームと呼んではばからないものが今回の「摩耶観光ホテル」だろう。
この物件に関する説明はし尽くされているので、今更改めて行う必要は無いだろう。手抜きとも言われても仕方が無いが、誰しもが知っている情報をここで列記したところで誰もそれに目を通す人は居ないのはやる前から分かりきっているからだ。
前日は近畿地方を通過する低気圧の影響で悪天候に見舞われ、止む無く中止。その日は急遽メニューを変更し「吉祥園」と「山の牧場」のセット探索をその日に当てた。
急遽変更で、そのなかでも予定には無かった「吉祥園」は予想外に大規模だったし、「山の牧場」は実在したしでかなり収穫はあったので、その点に関しては嬉しい誤算だったとおもう。
そして、一日待った本日早朝5時。ホテルを出てまだ薄暗い神戸の町を車で走り抜け30分ほどで登山口に到着。
昨日のうちに下見をしておいたので、現地についてから装備を固めアタックを開始するまでに10分と掛からず、ヘッドライトをたよりに急峻な登山道を登り始めた。
俺がとったコースは何らかの理由で通行止めにされているルートで、登り始めて間も無く木製のバリケードに行く手を阻まれた。しかし山の中にあるバリケードほど意味の無いものは無く、俺はその直ぐ横を何事も無かったの様に回り込み更に前進した。
ちなみに通行止めの理由は表向きは道路の崩落とされているが、実際はマヤカンへダイレクトにアクセスできるルートなのでその意味で通せんぼしているのである。
日が昇る前なら虫の活動も無く、顔にたかってくるような蚊の襲撃も無く非常に快適だった、瀬戸内海から吹き上げてくる風も心地よく、次第に明るくなってくる山道を携帯ナビを時々見ながらロストしないように着実に標高を稼いで行った。
そして、
「間も無く目的地です。音声案内を終了します」
という携帯ナビの音声が聞こえた直後、目の前の視界が急に開け灰色の建物が突如目の前に現れた。
「来たよ・・・とうとう」
憧れの摩耶観光ホテルに到着した瞬間だった。
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