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ぼてさん、時々ベンジャミン、たまにJW.org

エホバの証人に対する記憶、気持ち、想い、葛藤、未来を書いています。

新しくChromebookのパソコンを買ってしまったのでそれで書いています。ぼてさんです。

 

以前にも書きましたが、私は某県某市に所属していた会衆に秘密で引っ越しました。

しかし、最近現役エホバの証人から郵便で手紙が3通ほど届きました。

 

これは近隣の市町村に住む不活発になった友人のエホバの証人にも届いたそうです。

 

内容的には

・最近大会で見ないので心配しています。元気にしていますか?

・新型コロナが猛威を奮っていますが終わりの時です。

・エホバはあなた方を見放してはおられません。

・一部の手紙には事細かに送り主の状況を記述しています。

まぁエホバの証人の手紙ですね。テンプレの通りです。

 

これらから疑問がいくつか出てきます。

Q1,なぜこのタイミングで約一ヶ月で3通も手紙が来る?

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Q2,別にそれほど親しくない人からも届く?(かつて同じ会衆だったが、私もハニーも滅多に話していない人)

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Q3,私の住所をなぜ知っているのか?

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Q4,なぜすべての手紙が近隣ではあるものの全員違う会衆から届いているのか?

 

手紙から読み取れる事柄

A1,ある手紙には”最近集会に交わられていない兄弟姉妹と連絡を取ってみることが提案されています”とありました。ワークブックなどにはその様な記述はなかったので巡回監督の指示があった感じです。

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A2,A1から親しくない人でも送られる可能性はあると考えます。

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A3,私達の住所を知っているのは義母だけのハズです。義母に確認したところ、1通の手紙送り主にのみに教えたことが分かりました。しかし、他の2人と義母が相互に接触があるとはおそらく無いと思います。しかも、A1に引用した送り主は私達が蒸発した会衆の長老から住所を聞いたとも書いています。

それらを考えると、不活発なエホバの証人の住所は何らかの理由でリスト化されていると考えます。そして、巡回監督が掌握しているとも考えます。あくまで推測です。

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A4,A1,A2,A3から奉仕の集まりでリストが奉仕者に開示され、”私はA姉妹を知っているわ”、”私はB兄弟を知っているよ”というように一人ひとり知っている人を重複しないように選択していけば、親しくない人でも送る動機になり、同じ会衆で重複しないということになります。

 

いやぁ、上記の推察が正しければ寂しいですねぇ。日頃は腫れ物を触るように対応しているくせに、こんな時だけ親切顔で手紙を送ってくるなんて。全然心配して無いやろ!!!

時々ハニーにLineを送ってくいるエホバの証人のほうがどれだけ親身なんだよ。まぁ旦那に止められた感じで最近は送られてこないけど。

 

前述の不活発のエホバの証人の友人も似た感じだそうです。

 

ってか、個人情報保護法って宗教法人も対象やろ。蒸発した会衆は宗教法人格を持っていたよなぁ。それっていいんか?

 

もうね、せっかくエホバの証人のこと忘れかけて夫婦で色々あるもののやっと順調に生活しているのに、寝た子を起こしやがって!!!

 

んでぁ!!

うちのハニーが変な情報を仕入れてきました。

 

なんか協会が「ハルマゲドンに備えて野菜を育てましょう」って言っているそうです。

ホントですか? 長老の判断じゃなく協会からの指示らしいのですが・・・。

 

ホントだとしたら聖書的な根拠は何なんでしょうね? 今までそんな事言わなかったのにね・・・。

 

詳細求む!!

 

んでぁ! 

 

 

 この場での信仰とはエホバやイエスに対する忠誠心や忠実さという意味と理解して頂けると分かりやすい。
 
 
 集会や大会の雰囲気に飲まれることなく、あくまで自分のペースを守っていた。本音としては励まされることもなく、つまずかせられることもなく自分は自分で他人は他人だ。
もう少し言うと、必ずエホバの証人の世界を客観的に見ている第三者としての自分が私自身を常に見守っているという感じだろうか。第三者の自分が、不必要にこの宗教にのめり込むのを監視していた。
だからといって、信仰心が無いということもなく自分自身の判断で信じたは以上真理だと思っていたし、人から見ればどうだったかは分からないが、あくまでマイペースで真面目にやっていた。
ただ、エホバの証人の真面目と違っていわゆる特権には無頓着で、無理して奉仕の僕になっても、それは組織の中の本質的な仕事は単なる雑用係であり、周りの友人達が喜々として奉仕という名の雑用をしているのを見て「大変だなー」程度にしか思わなかった。
同じく開拓奉仕についても、ハルマゲドンが来て楽園が来るまでの世の中の誰からも期待されていない耐久レースの様にも見えて、これも見ていて痛々しかった。
ただ、私もエホバの証人の端くれなので、私のそういった奉仕の特権をどう思っているかと問う兄弟姉妹には「そうですね、もちろん捉えたいですよ」と答えてはいた。こういうところは本心を出さず、ずるいところもある。
 そもそも楽園には誰が行けるのだろうか?その特権のヒエラルキーの半分より上の人だろうか? 否、以下の出典により決して、奉仕の特権が条件ではないことは分かる。
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*** 塔研20 5月号 16ページ 18節 今の「北の王」は誰ですか ***
神の子羊であるイエスに信仰を持っていることを示さなければなりません。(ヨハ 1:29)エホバに献身し,バプテスマを受ける必要があります。(ペテ一 3:21)エホバについて人々に知らせることにより,神の王国を支持していることを示さなければなりません。
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そんな雰囲気で私はエホバの証人をやっていた。ハニー(妻のこと)によると会衆では真面目で親しみやすくていつも周りに人がいる”良い兄弟”だと評判だったらしい。逆に言うと、それだけだったのかもしれないが。
 
 寄付に関してもそれほど熱心にしなかった。社会人なった頃長老が聞きもしないのに「収入の十分の一寄付ができたら良いですね」と言ってきた。「いつの時代だよ、什一かよ。」とは答えずに「そうですね。」と答えておいた。しかし自分がそこに出席であれ参加している以上必要と思われる経費分に関してはしていた。足りていたか今でも分からないが。
ある時、地域監督が病気になったかとかで会衆でその入院手術費用を賄おうという寄付の決議があって健康保険に入っていなかったので200万円くらいの寄付の依頼があった。健康保険に入っていないのもどうかと思うが、私は「エホバに治してもらえ」と思い、寄付をしなかった。その後彼は無事手術が終わって元気になった。私がケチなのか未だに分からないが、そういう性分である。
 
 ここまで読まれると私は人でなしと思われるかもしれないが、与えられた会衆内の仕事に関しては真摯に受け止め真剣におこなった。必要に応じて早く王国会館に行くし、帰りが最後になっても責任を持ってやった。これはあたり前のことだけど自慢できる。ただ、世俗の仕事(いわゆる給料を貰う本業)と重なると問題が起こるのである。それは次回以降に書きたいと思う。
 
 私が活発なエホバの証人でいたのは約25年。自分で家庭聖書研究を求めてから、伝道者になってバプテスマを受けて順調に進歩していると思いきや、特権を捉えるという意味では進歩が止まったが、それが私は楽しかったのだ。たまに補助開拓をして、野外奉仕を頑張ってみる。それで十分であった。たぶん、聖書が好きだったんだ。聖書の神が好きだったんだ。エホバの組織も大事だったのだが、それ以下だった。それだけだ。
 
 あと、嫌いな言葉は人の主観で行動を抑制させる”つまずき”という言葉であった。仲間のクリスチャンをつまずかせないようにという助言や、誰々の行動につまずかされたという言葉には虫唾が走る思いだった。自分の信仰くらい自分で守れよ。信仰の無いものよ。もちろん、あらゆる思いやりは必要である。それは人の福祉を守るためであり、自分であれ他人であれ人に制限を加えるものであってはならない。と思っている。
なので、私は使徒 15:29にあるように「 …偶像に犠牲として捧げられた物,血,絞め殺された動物,性的不道徳を避けていることです…」偶像崇拝とエホバの証人の言う血の誤用と不道徳さえおこさなければ、自分に対しても他人に対しても特に何も思わなかった。誰が家を買おうが、高級車を買おうが払えるお金があるなら結構。それは物質主義じゃないし執着でもないと思っていた。
 
 
 私は上記のようなエホバの証人だった。簡単に言うと、それなりに真面目にやっているけど遊びも同じくらいにして世俗の仕事も大好き。友人や親友と呼べるクリスチェンもいたが誰とも心理的に群れない。誰とも群れないので誰とでも話すし仲良くする。という意志で生きていた。ここで群れないという意味は”依存しない”が近いと思う。
だって1世だから。自分で決めて行動するのが私としては当たり前で、そういえば長老に相談するということをしたことが無い。確かに無い。長老が私の何を知っているのか、という気持ちもあったのだろう。そう考えると今大きく言われている組織に対する信仰は上記にもあった様に希薄だったのかもしれない。たぶん長老としては扱いにくい兄弟だったろう。

 

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何か伝わりました?

次回は組織についてどう思っていたかです。

んでぁ!