9月に入ったもののまだまだ暑い
とてもお散歩は出来ないけど、ちょっと気になる神社があって駅からも近いので参拝してきました。
入谷にある小野照崎神社
入谷鬼子母神堂からも近くです。
今回も例によって裏参道から・・・
ちゃんと大通りに面してるのにねえ
手水舎にはちょっとかわいいフォルムの龍が。
関東大震災や東京大空襲からも逃れたというご本殿。
ご祭神は小野篁(おののたかむら)。
この小野篁公ですが、調べてたらいろいろ興味深い人物でして、それは後程。
おみくじがまゆ玉で出来ていて、このようなまゆ玉結びに結ぶようになっていました。
境内には富士塚があるんだけど、こちらの神社は6/30と7/1のみ一般開放ということで、今回は扉が閉まっていて草も生い茂っていました。
開放の前に草むしりするんだろうなあ・・・
高さ6メートルとのことでほとんど見えませんでした
浅間神社の入口には猿がいたのだけど、これって庚申信仰によるものなのかな?
この通り、境内に日本三大庚申の1つと呼ばれた入谷庚申堂から遷祀された庚申塚があるのです。
他にも織姫・稲荷神社や、
三峯神社・御嶽神社などもありました。
三峯神社はやっぱりオオカミなんですかねえ?キツネにも見えるけど、どっちなんだろ?
と、境内はそれほど広くないものの見どころがいろいろあって暑い中参拝する人が多く見られました。
さて今回のブログのテーマ分類ですが、ご祭神の小野篁公が島根県の隠岐に配流になったということで「おでかけ」ではなく「島根関連」にしてみました。
小野妹子を祖先に持つと言われる小野篁、和歌や漢詩の教養もあって、身長188センチで武芸にも秀でていたそうな。
遣唐使に選ばれたこともあるのに、些細なことから乗船を拒否、遣唐使を風刺する詩を作ったことが天皇の怒りに触れて隠岐に島流しになってしまいます
その時に詠んだ「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」という歌は百人一首に選ばれています。
その才を惜しまれて後に都に呼び戻され、51歳で亡くなりました。
小野篁のお墓は紫式部のお墓の隣に並んでいるというのも知らなかった
しかも2人の間に面識はなく、篁が閻魔大王の裁判の補佐をしていたと言われていることから、源氏物語を書いて狂言綺語(きょうげんきぎょ)の罪で地獄に堕ちたとされる紫式部の救済を祈願しようと後世の歌人の計らいで建てられたそうです。
・・・めっちゃ面白い人じゃないですか?
以上のお話は↓のサイトに詳しく載っています。
そして、隠岐に島流しの「小野」と言えば、もう一人、小野尊俊検校。
小野尊俊は日御碕神社の宮司だったのですが、当時の松江藩藩主が尊俊の妻を勝手に見初め2人を離縁させようとしたのを拒んだところ、無実の罪で隠岐に島流しにされてしまったという何とも気の毒な方・・・
結局、尊俊の妻は自害し、尊俊も呪詛を施したのちに亡くなります。
その後、松江城内では異変が続き、6代藩主の命によって尊俊の魂を慰めるため楽山に推恵神社が建てられました。
後に推恵神社は流刑地であった隠岐と、日御碕にも建てられました。
詳しいお話はこちら ↓
小野照崎神社からいろいろ話を広げてみました
篁公は逸話に事欠かないので大河は無理でもスペシャルドラマくらいなら出来そうじゃないですか?