まい・めもり~ず

まい・めもり~ず

ボクが聖書をどう解釈して、信じるに至ったか・・・
謎だらけの書物について書いてみます。

そのほかは、大好きな音楽を・・・少しだけ。

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創世記 3章

 

聖書最大のミステリーが創世記 3章に登場します。

禁断の実と、神の預言です。

どのような意味があるのでしょう。私たちに関係があるのでしょうか。

 

 

「野生動物の中で蛇が最も用心深かった」・・・

それが、誘惑者に利用された理由でした。

 

 

「蛇が女に言った」・・・

蛇は言葉を話せたのですか? そんなはずはありません。人間だけが「神に似た者」(1章27節)として造られたのであり、『あらゆる野生動物』の中には人間を「補って助けてくれる」者はいなかったのですから。(2章20節) 知性を持つ被造物は、地球上で人間だけでした。

 

では誰が話しかけたのでしょう。

 

人間より先に、天使たち・・・人間には見えない体を持つ者たちが造られていました。

 

ヨブ記38章

 

神が地球を創造した時、天使たちはそれを見ていました。いや、見ていたというより、創造の業にかかわっていたのでしょう。「共に」働いたほうが感動は大きいのです。

 

 

「神の子たち」「明けの星」「神のような者たち」はすべて天使たちを指します。そのうちの一人が、エデンの園で特別な仕事に就いていました。

 

エゼキエル書28章

 

エゼキエル書28章はティルスの王に対する神の宣告ですが、すでに消滅していた『エデンの園』にいたはずはないので、別の者を指しているのは明らかです。また、園にいたことがあるのは裸の人間であり、宝石で着飾ってはいませんでした。ですから、人間以外の者ということになります。その場合、宝石や金の台座は象徴的な意味です。

 

※ このように、まったく別の時代に書かれたものに、創世記3章の謎を解明する情報が含まれていますので、聖書は全体を比較検討しないと解明できません。

 

「ケルブ」すなわち高位の役職に就いていた天使が、人間や生物や地球に「保護を与える」任務から外れ、神への反抗の歩みを始めます。腹話術師のように蛇を操ります。

 

「蛇が女に言った」・・・

標的は、地上に生まれて間もない女でした。アダムにはあらゆる動物たちを観察する十分な期間がありましたが、女にはわずかな経験と知識しかありません。

 

「女が蛇に言った」・・・

人間の言葉を話す蛇に対し、女には警戒心が見られません。楽園の暮らしは、安心感を与えるとともに、見るもの全てが常に好奇心を刺激するものであったことでしょう。なんでも知りたいという欲求に、蛇はつけ込みます。

 

「全ての木の実を食べてはならない」・・・

蛇は、女が聞いていたこととは逆の話をし始めます。すぐに否定したくなる話をあえてすることで会話をするためです。蛇が話しているという異様な事態より、話のほうに注意が向きます。同時に、「食べてはならない」という言葉を印象付けます。

 

「と神が言ったのは本当ですか」・・・

そんな話をうわさで聞いた・・・ほかの動物も言葉を理解できる、と思わせたかったのでしょう。同時に、神に対する疑念を巧みに植え付け始めます。

 

「食べてよいのです。でも、庭園の真ん中にある木の実について」・・・

女はすかさず反論しますが、「食べてはならない」という言葉に見事にはまり、禁じられた木の実に誘導されます。園の中の食べてもいい多くの木の実のことより、そちらが気になり始めます。

 

「触れてもならない」・・・

神は触れることを禁じたわけではありません。アダムがそう伝えたのです。妻を守るためでしょう。神と直接話していたのはアダムだけです。

 

「あなたたちは決して死にません」・・・

蛇は神の言葉を真っ向から否定します。真実と思わせるために断言します。女は、正反対の話を初めて耳にします。どちらを信じるかが試みられます。

 

『食べた日に、目が開かれ、神のようになって善悪を知る』・・・

食べれば神のような知識が得られる・・・この木の実には神の持つ知識が詰め込まれている・・・と言っています。1本の木にすぎないのですが、残念なことに誘惑の言葉となりました。

 

「神は知っている」・・・

神は真実を隠している、ウソをついている、と言っています。

 

 

「女がその木を見ると」・・・

それまで気に留めることもなかった木を、女はわざわざ行って眺めます。「おいしそうな実」をつけた「魅力的な美しい木」であることに気付きます。

 

なぜこの実だけは食べてはならないのか・・・

なぜ触れてもいけない木が園の真ん中にあるのか・・・

 

疑問を持ち始めた女の思いの中で、食べれば神のような知識を持てる、という蛇の話が真実めいて見え、次第に膨らんでいきました。

 

 

蛇が言葉を話せるのは、この実を食べたからかもしれない・・・

夫が知らないこともあるはず・・・

と、女は考えたのかもしれません。

 

女は食べましたが、死にませんでした。あとで夫にも渡します。蛇から聞いた話を自慢げに話したことでしょう。

 

 

アダムは受け取って食べました。神に禁じられた「善悪の知識の木の実」であることを知ったうえでです。蛇が人間の言葉を話すはずありません。では、アダムはなぜ食べたのでしょう。

 

 

「すると、2人の目は開かれ」・・・

木の実には、知識において「神のように」なれる特別な力があったのでしょうか。いいえ、「自分たちが裸であることに気付いた」だけでした。

 

人間は「悪」を行い、神に対する後ろめたさを感じ、自分を恥じるようになりました。その意味では初めて「善悪を知る」ようになったのです。

 

 

「そよ風が吹く頃・・・エホバ神の声が聞こえた」・・・

人間に神は見えません。何らかの姿で現れることもありませんでした。神は人間を驚かせないため、足音や「声が」聞こえるように配慮して人間に近づきました。

 

「隠れた」・・・

人間の体は神が造ったのです。創造者に、なぜ身を隠す必要があるのですか? 2人はそれまでの精神状態ではなくなっていました。

 

「裸だったので怖くなって隠れました」・・・

彼らの中にあった良心が彼らを裁きました。神が命じたことを破った後ろめたさです。裸のままでいたことが悪なのではありません。

 

ローマ書2章

 

良心は本能のように働く能力で、最初から人間に与えられていた道徳感覚です。

 

「裸であると誰から言われたのか」・・・

反抗をそそのかした第三者がいることを神は人間に告げました。

 

「食べてはならないと命じた木の実を食べたのか」・・・

恥ずかしさを感じた原因は裸であったことではなく、禁令を破ったことである、と率直に告げます。

 

 

「あなたが私に下さった女」・・・

アダムは禁令を破った行動を、むしろ神のせいにします。女をかばうことも、許しを求めることもしません。

 

「蛇が私をだましたのです」・・・

女は事態を理解したようです。神のような知識が得られなかったことが分かりました。それでも、自分が欲望を募らせたのですから、正当な言い訳にはなりません。

 

 

「あなたは腹ばいになって動き」・・・

これは蛇族に対する神の呪いでしょうか。いいえ。蛇を用いて女を誘惑した者のこれからの生きざまを、蛇の特徴に例えたのです。

 

この蛇が何者かについては、およそ1,600年後に書かれた啓示の書が明らかにしています。

 

 

「初めの蛇」は「悪魔サタン」と呼べれる邪悪な天使です。「悪魔」は中傷する者、「サタン」は反抗する者を意味する言葉ですが、この者を指す固有名詞となりました。あらゆる悪の根源で、実在します。

 

地球を『保護する』特別な務めに就いていましたが、人間が造られて地球と生物の全てが与えられたことに、多少なりとも嫉妬したのかもしれません。自分より劣る人間、増え広がる人類を思いのままに支配する、という欲望を募らせて人間を神に反抗させました。そのために、神をウソつきであると中傷しました。

 

神に選ばれた高位の天使が人間を誘惑して神に反抗させたこの出来事は、すべての天使たちをも巻き込む論争になりました。神は真実を語っているのか、神に従うことが唯一の正しい道なのか・・・

 

神の真実さと共に、神が創造したあらゆる理知ある被造物の忠誠が試されました。多くの天使たちが、悪魔サタンに従いました。

 

創世記6章

 

「気付くようになった」という表現は、女が禁じられた木の実を見た時と同じです。欲望の目で見るようになった、という意味です。肉体を付けて人間の女と交わるようになりました。これは神への反逆でした。

 

天使たちは超自然的な力を見せて女たちをたぶらかしました。人間の目には、まるで天から降りてきた神々のように見えたことでしょう。その結果生まれたネフィリムと呼ばれる巨人たちは暴虐を行いました。「よく知られた」その者たちは、ギリシャ神話などに伝説として残っています。

 

「あなたと女」「あなたの子孫と女の子孫」・・・

神は動物の蛇ではなく、それを操っていた者に語っていたのですから、「女」も人間の女を指しているのではない、ということになります。

 

その「女」についても、啓示が明らかにしています。

 

 

この「女」が創世記3章の預言にある「女」です。「天」にいる天使の軍勢です。

 

 

ミカエルというのは天使の頭、神の長子です。天使の軍勢に敗れたことで、その「女」に対して、竜すなわち悪魔サタンが激怒します。

 

 

「彼女の子孫」で「残っている人たち」とは、「証言する務めを与えられている」地上の信者たちです。

 

「彼はあなたの頭を砕き」・・・

どんな生物でも頭を砕かれれば死にます。なので、蛇を操っていた悪魔サタンが、「女の子孫」イエスによって滅ぼされることを意味します。

 

 

まもなく、サタンは1000年間 『縛られ』 て無活動にされます。その後、解き放たれて再び反逆の行動を起こし、そそのかされた追随者たちと共に完全に滅ぼされます。「火と硫黄の湖」は”絶滅”の象徴です。なにも残りません。

 

『永久の苦しみ』とは、その出来事が、記録や記憶から決して消えないことを意味します。


「あなたは彼のかかとに傷を負わせる」・・・

かかとですから致命傷にはなりません。人間イエスがはりつけにされて処刑された出来事は、神の観点では一時的な「傷」でしかありませんでした。

 

 

創世記3章の預言は、数千年を経て、西暦1世紀に成就し、これからさらに成就します。

 

 

 

「妊娠中の苦痛を大きくする」「苦しみながら子供を生む」・・・

神から離れた影響で、妊娠中に苦しみ、出産時にも大きな苦痛を感じることになります。今日まで女性が経験してきたことです。

 

「あなたが妻の言ったことに従い」・・・

アダムの行動は、すべてを理解したうえでの行動です。誰かに欺かれていたのでないことを、神は知っていました。神より、人間の妻の好意を得ることを優先したのです。

 

「地面は災いを被った」・・・

神の祝福を失った結果として、食物が容易には手に入らなくなることを予告しました。いばらとアザミが増えることで、食料となる植物が育たなくなるのです。

 

「土に戻る」・・・

人生の終わりが来ることを告げました。来世とか、霊界での生活とか、そんなものはありません。死んで、土に戻るだけです。

 

 

 

「彼女は生きる人全ての母となる」・・・

アダムとエバが私たちの先祖です。二人から生まれる子孫の全てに、二人と同じ結末が臨みます。

 

『命の木からも実を食べて永遠に生きるということのないために』・・・

神が最初の人間に与えたのは永遠の命。「命の木」はそのことの象徴でしたが、反抗した人間が、その木の実を食べたことを根拠に永遠の命の権利を神に主張する事態を避けるため、ケルブたち(高位の天使)に守らせます。

 

エデンの園は山岳地帯にあったので、「東に配置」すれば侵入を防ぐことができました。この物語の真実性は、園が存在する間は確かめることができました。

 

 

 

 

 

創世記 2章

 

 

「エデンの園に住ませた」・・・

ノアの日の大洪水で消滅したので現在は存在しませんが、当時は、園を緩やかに川が流れ、様々な動植物が繁栄していました。まさに楽園・・・神は最良の環境を用意しました。

 

その場所で、人は耕すこと、管理することを学び、子孫に伝えていく・・・地の果てにまで楽園を広げていく、壮大な希望を神は用意していました。

 

 

「耕させ」・・・

神は、植物が繁殖するまま、動物が増えるままにするつもりはありません。人間が暮らしながら環境を整えていく、つまり人間と動植物との共存共栄によって楽園が造られ、地球全土に広がっていくことを望んでいました。その目的で、神はご自身が造った庭園を、モデル(手本)として最初の人間に与えました。

 

「庭園の全ての木の実を満足するまで食べてよい」・・・

おいしい食べ物が豊かにありました。気に入ったものは自由に増やすことができました。交配させることによって、新たな花や野菜や果物を作ることもできます。神の祝福のもとで穏やかな気候が続き、常に豊かに産出しました。なんの不足もありませんでした。

 

「しかし、善悪の知識の木の実は、食べてはならない」・・・

神が人間に与えた唯一の禁令です。

「善悪の知識」という名にはどんな意味があるのでしょう。


「善悪の知識」は神のものだということです。人間の行動について、善か悪かを判断するのに必要な知識や知恵は神だけが持っている、ということを意味しています。

 

人間には自分自身や自然界の知識がなく、将来を見通す能力もありません。自分の歩みを神に導いてもらう必要があるのです。

 

 

人間には善悪についての知識がありませんが、神から与えられた”良心”はあります。完全に造られた人間が神と共に歩む場合、それで十分でした。

 

神の権利や権威に服する態度は、平和な社会の基盤ともなります。そのため、たった一つの小さな禁令を守るか否かによって、神の主権に服するかどうかを人間は問われたのでした。

 

また、宇宙を創造した最高権力者の権威は、金や宝石で作った象徴ではなく、一本の美しい木で表されました。その木を、ご神木として祭るようにとは言いませんでした。神が人間に望んでいるのは、いつの時代でも従順と慎みです。祭事ではありません。

 

ミカ書6章

 

「それを食べた日にあなたは必ず死ぬ」・・・

ここでの「死」は命の活動の完全な停止を意味します。アダムは、その意味を理解できました。動物たちの「死」を見たからです。命がなくなり、動かなくなり、体が滅びてゆく様を見ました。

 

「必ず死ぬ」とは、果たして、処罰、刑罰だったのでしょうか。

 

人間に与えられた自由は、神の造った法則と法の下での自由です。そのように造られています。人間は神の創造物です。宇宙や地球は法則で動いていますし、人間の社会が地球全土に広がろうと、その中での安全や幸福は、神の法によって守られます。神は気まぐれではなく、法則とともにあらゆるものを創造し、法の下で支配しています。

 

神はアダムに、不従順な行動を取った場合に受ける影響について、率直に真実を伝えました。創造者で命の源である神との関係が損なわれれば、人間の体は「食べた日」から有害な影響を受けはじめ、最終的には必ず「死」に至る、そう警告したのです。

 

逆に、その木の実を食べなければ生き続けるのですから、神が最初の人間に与えた命は”永遠の命”であったことがわかります。永遠に生きられる完全な体を授けられていたのです。しかもその命と体は遺伝で子孫に受け継がれます。アダムの選択は子孫全体に影響を及ぼすものでした。

 

 

「人が独りのままでいるのは良くない」・・・

人間の能力を限られたものとして神は創造しました。手を触れずに物体を移動させたり、破壊したり、透視したり、心を読んだり、といった超能力などありません。手で動かし、足で歩き、目で見、鼻で嗅ぎ、舌で味わい、口で話し、耳で聞く・・・そのように造ったのです。子孫を生んで社会を作り、力を合わせて生きるよう造りました。独りで神の目的を果たすことはできません。

 

「彼を補って助ける人」・・・

最初に造られたのは男性でした。男女平等が叫ばれている世界ですが、神の意図は少し違っています。

 

「人が呼んだ名がその生き物の名前になった」・・・

人間に与えた最初の仕事は、動物たちに名前を付けることでした。それと同時に、動物たちを観察させます。『補う人』を造る前に、人間と動物たちとの違いを理解させるためでした。

 

神は、アダムに言葉を与えました。古代ヘブライ語です。言語は人間が作ったものではありません。現在地球上に存在するあらゆる言語も、その基礎は神が奇跡的に与えたものです。(創世記 11章 5-9節

 

 

「人には補って助けてくれる人がいなかった」・・・

動物たちは人間と言葉を交わすことはできません。人間と交配するように造られてもいません。「家畜」も人間を補う能力は限られています。そのことをアダムは理解しました。

 

「人から取ったあばら骨で女性を造り」・・・

神は地面の土からではなく、男性のあばら骨から女性を造りました。

女性は、男性を『補う』助け手となる時、その能力を最大に発揮します。

 

男と女は別の人格や異なる能力を持ちながらも、元々同じ体から造られました。

 

 

「これこそ」・・・

アダムが女性に引き合わされた時、どれほどの感動を覚えたのでしょう。すぐさま詩を作りました。「私の骨の骨、私の肉の肉」・・・それが男と女の出会いの始まりでした。

 

アダムは、自分の必要を知り、それを満たす神の能力を十分に感じたことでしょう。『男(イーシュ)から取られたので、女(イッシャー)と呼ばれる』ことになりました。

 

「2人は一体となる」・・・

女性を「妻」と呼んでいます。神が二人を引き合わせた時に結婚したことになります。これは特別な出来事でした。どのような過程を経ていようと、結婚は神のみ前での聖なる契約です。配偶者に 『しっかり付く』 ことが必要です。

 

一組の男女が結びつくことで一人の人間になるのですから、二人で協力し合って生きなければなりません。親子の関係より、重要な結び付きとなります。所詮は他人同士にすぎない、などと考えてはなりません。現代人の結婚観は神の意図から外れています。

 

エフェソス 5章

 

「2人とも裸だったが、恥ずかしいとは思わなかった」・・・

裸で過ごせる温暖な環境でした。また、完全な人間は自分を恥ずかしく感じることはありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

創世記 2章

 

 

「こうして・・・完成した」・・・

神の業に不足や不備はありません。現在生じている災害は、神に起因するものではありません。

 

「7日目に・・・休み始めた」・・・

神は一連の創造の業を終えました。現在も休んでいます。しかし、その間、何の活動もしてこなかった、という意味ではありません。神が活動をやめることはありません。(ヨハネ5章17節

 

 

では何を行ってきたか、それは聖書に書かれているとおりです。神は、独立の道を選んだ人間の子孫を見捨てることはありませんでした。常に関心を払ってきました。そのことを人類の多くは知りません。

 

「あらゆるものを目的通りに」・・・

あらゆる創造物には「目的」があり、無意味なもの、無価値なものはありません。それぞれが神の目的を果たすよう造られました。


大きな生き物や微細な生き物、波や風、大気や地場、太陽や月、そして無数の星に、それぞれに役割があり、複雑に影響し合っています。

 

 

人間の遺伝情報(ゲノム)のすべてにも働きがありますが、そのほとんどを科学は解明できていません。

 

神が創造した世界の完全な調和を乱しているのは、神への恐れを持たない人間自身です。この美しい地球のあらゆるものをゆだねられていながら、管理や世話という任務を放棄し、欲望を満たそうとする社会を作り上げて資源をむさぼり、環境を破壊してきました。

 

「地と天を造った日」・・・

創造の全期間をまとめて「日」と呼んでいます。聖書中の「日」という言葉が24時間の1日を指すとは限らないということです。

 

「地上に草木はなく」・・・

そのあとの記述とつなげると、植物を創造する前に人間が造られたかのように読めなくもないですが、単に時間を戻しただけです。生物の創造も省略しており、ここでは人間に焦点を当てています。

 

 

「地面の土で人を形作り」・・・

土(もしくは粘土)をこねて人間の体を造った? 馬鹿馬鹿しい・・・などと考えてはいけません。人体が粘土細工や彫刻像のような単純な作り物でないことは誰にでもわかります。

 

人体を構成する物質はすべて土から取られました。動物たちも同様です。それゆえ、人間や動物たちは地面に生える植物を食べて命を保つことができます。古代の人にとって、その説明で十分です。

 

 

「その鼻に息を吹き込んで命を与えた」・・・

「息」と「命」の両方を与えられて「生きた人」になることができました。

 

 

命(生命力)は神から与えられたもので、宇宙に存在するあらゆる物質とは異なるものです。科学がどれほど発達しようと、「命」は解明できません。それは物理的なものではないからです。

 

 

「エデンに庭園を造り」・・・

神は「まだ何も生えていなかった」(5節)エデンの地に庭園を設けました。最初の人間を住まわせるためでした。そこに「食べられる実を付ける」だけでなく、見ても「美しい」さまざまな植物を生えさせました。創造の3日目の終わりごろと思われます。(1章11-13節)

 

温暖で、雨は降らず、時々霧が潤しているだけでしたので、人間が暮らすのには最適な環境です。(2章5,6節)

 

また、エデンを源とする川が園の中を流れていました。地下水が湧き出ることによってできた川です。

 

 

チグリス川およびユーフラテス川は現在も存在します。この記述やその他の聖書の記述によって、エデンの場所は推定できます。トルコ東部と思われます。多くの動物たちがいて、人間が増えることを考慮した広大な庭園でした。

 

庭園の真ん中には、「命の木」と「善悪の知識の木」という、特別に名付けられた二本の木が生えていました。これが今後、重大な意味を持つことになります。

 

 

 

創世記 1章 

 

地球上における創造の・・・

6日目の続き・・・

 

 

 

「人を造ろう」・・・

動植物が地に増え広がり、気候や土壌も整えられたところで、人間が生み出されることになりました。この地球上で永遠に生きるために何が必要か・・・すべてを備えてから神は人間を創造しました。

 

「あらゆる生き物を治めさせ」・・・

人間は地球生物の頂点に置かれました。進化で勝ち取ったのではありません。最初からその目的で造られたのです。

 

生き物を狩ること、虐待することは、やってはいけないことでした。

食料とするために狩りが許されるようになったのは、ノアの日の大洪水のあとです。

 

創世記9章

 

大洪水後に地球環境は大きく変化しました。凍土や氷河ができたのはその時期です。時代を経て人間の体力も衰え、動物性タンパク質が必要になりました。

 

創世記8章

 

「地球を世話させよう」・・・

生き物のみならず、地球全土のすべての資源も大切に扱い、「世話」をする役割を与えられました。しかし、神に対する健全な恐れがどうしても必要なのが、分かりますか? 人間が神の法を無視すれば、地球上の生物の命は脅かされます。

 

人間は知力だけで人類や地球を治めることはできません。無知と強欲がすべてを台無しにします。地球環境を破壊し続ける人間社会は、神の目的から著しく離れた行動を取っている・・・それゆえに、近いうちに神は裁きを執行します。地球が滅びる前に行動を起こします。

 

啓示11章

 

 

「神は人を自分に似た者、神に似た者として創造した」・・・

神は人間に高い知能を与え、豊かな感情とともに、思考力を持つ者として、他の動物たちとは明確に区別しました。

 

神の創造の業(わざ)を楽しみ、探求し、世話をするのに必要な知識を蓄える能力を備えさせました。最初に与えられた言語を用いて考え、意思を通わせ、知識を記憶する能力を与えました。

 

 

そのことはすなわち、神ご自身も感情豊かで知恵のある、人格的な存在であることを示しています。人間の持つ多様な能力は、『神に似せた』ものなのです。

 

「私たちに似た者として」・・・

「私たち」・・・神は誰に話しかけていたのでしょう。

それは人間より先に造られていた方・・・


 

「神の子」が神のそばにいて、すべての創造を手伝いました。

それが、イエスです。(ヨハネ1章

 

「男性と女性を創造した」・・・

男と女の異なる性を持つ人間が創造されました。特性の違いは生活をより豊かにします。

 

「子を生み、増えて、地球全体に広がり」・・・

性行為の目的は、子供を生むことです。現代社会は快楽を強調しすぎます。ほかは、親密な関係をはぐくむことができれば十分です。

 

人間よりも前に、神は自分と同じ霊的な体を持つ者たちを、大勢造っていました。

 

使徒ヨハネは幻の中でみ使いたちを見ましたが、本来、神もみ使いたちも人間の目には見えません。

 

それらのみ使いたちに性の区別はありません。

 

 

オスとメス、男と女の創造はそれまでにはなかった特別なものでした。この物質宇宙では、生殖によって子孫を増やすという新たな仕組みが造られたのです。それは遺伝子の組み合わせによって多様性を生み出すことになりました。

 

 

地上の生き物と人間には、「緑の草木全て」が「食物」として与えられました。この世界の始まりにおいては、人間も動物たちも、肉を食べることはありませんでした。命を奪われる恐れもなく、警戒することもなく、真の意味での平和と安全がありました。

 

「それは非常に良かった」・・・

神の創造物に非とされるものはありません。

 

 

食中毒、病気、老化、争い、殺人・・・そして死・・・

現在私たちが経験していることとは全く違う世界を神は創造していました。

 

自分の悲しい体験や、世の中に見られる悲惨な出来事によって神をのろう前に、神についての真実を知らねばなりません。

 

そして、神やみ使いたちのように、自分の意志で行動する能力を持つ人間が自ら選んだ道についても、真実と向き合わねばなりません。

創造の6日間・・・地面から造られた人間・・・善悪の知識の木・・・蛇の誘惑・・・命の木を守る天使と燃える剣・・・数百年も生きた人々の系図・・・堕落した天使たちと巨人たち・・・ノアの日の洪水・・・バベルの塔と言語の混乱・・・ソドムとゴモラの滅亡・・・

 

創世記を書いたモーセはイスラエルの指導者です。

これらすべては、自らを英雄にするために書いた創作でしょうか。 

 

 

聖書は西暦前1513年から西暦98年までに書かれた、66冊の書物を集めた本です。

 

数多くの写本が発見され、書かれた当時から内容が変わっていないことが確かめられています。

 

翻訳の難しさはあるとはいえ、現在手に入る聖書は古代のものと内容は同一と断言できます。

 

総発行部数、翻訳数・・・その数字は桁外れ・・・

数字を比べることができる書物はほかに存在しません。

世界中の誰でも、全体あるいはその一部を読むことができます。

 

このことは預言されています。

 

人は皆、草のようであり、

人の栄光は全て、野の花のようである。

草は枯れ、花は散る。

しかし、エホバの言葉は永遠に存続する

(ペテロ第一 1章 24,25節)

 

神は定めの時にご自分の言葉を広く知らせたのであり、

私は救い主である神の命令によって伝道を委ねられました。

(テトス 1章 3節)

 

聖書はとても不思議な本・・・

猛烈な迫害を生き残った世界最高のベストセラーですが・・・

 

教えだけではなく、極め付きのミステリーでも知られています。

最初に書かれた謎(預言)が、千年以上の時を経て解き明かされる・・・

 

人知を超えた書物なのです。

 

 

さらに特異な点は、様々なトラップが仕掛けられていること。

 

イエスは言った。

「あなたたちには神の王国の神聖な秘密に関する理解が与えられていますが、ほかの人たちには全てのことがたとえのままです。それで、その人たちは、目を向けますが見えず、聞きはしますが意味を悟りません。神のもとに帰って許されることもありません」

(マルコ 4章 11,12節)

 

信者でさえ、つまずいて、二度と戻らない人も・・・

 

(ヨハネ6章)

 

つまり・・・

 

神の助けがなければ、意味は決して理解できない・・・

誤解や曲解を招く表現は、読む人、聴く人の心を試すためのもの・・・

 

 

誰でも聖書は手にできますが、意味は隠されています。

 

使徒8章

 

 

神の存在および創造の、可能性すら否定する人たちは、進化論に希望を見出そうとしますが・・・

 

ローマ 1章

 

自然の中にある美しさや調和を見て、神秘や神性・・・つまり、その源である”神”の存在をだれもが感じます。自分が感じたものを否定することはできません。神が見えなくても、その存在を感じられるように人間は造られているのです。自然や、自らの本能的な能力を否定することはできません。

 

心をご覧になる神に対して、見えないからわからなかったなどと「言い訳」することはできないのです。

 

格言24章

 

絵画、音楽、建築、衣料、工業製品・・・人工物にも感銘を受けますが、それらは自然界にあるものの模写、模倣、あるいはそれらを利用しているにすぎません。人間は、神にはかなわないのです。

 

マタイ 6章

 

 

このブログは・・・

聖書に関心を持っていただくためのものです。

 

知れば知るほど面白くなる・・・

聖書の本当の意味について一部でも知ると、ほかの本を読む気がしなくなるのは、すべての疑問に対する答えがここにあるからです。

 

テモテ第二 3章

 

著者は神。人間は代筆者です。

 

それが真実かどうか・・・

人間の知恵では書けないものが書かれているのかどうか・・・

 

ローマ11章

 

調べてみましょう。

 

まずは創世記から・・・

 

 

※ 聖書の本文と資料はエホバの証人が公開しているものを利用しています。しかし、ボクが書く内容は、彼らが公表している見解とは異なるところも多々あるでしょう。聖書を正しく伝えることの責任は、ボク自身が神に対して負います。

 

啓示 22章

 

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創世記 1章

 

 

「初めに」・・・

壮大な物語は、この言葉で始まります。

 

宇宙は恒常的に存在してきたのではなく、始まりがあった・・・無限に広がっているのではなく有限である・・・そう述べています。

 

「神は・・・創造した」・・・

神の意志によって宇宙は始まりました。その中にあるすべてのエネルギーと物質、星や星雲や銀河、それらを統制する物理法則の、すべての源(みなもと)は神です。

 

宇宙も、私たち人間も、偶然の産物ではなく、神の目的と英知の現われであり、神に喜びをもたらす存在です。すべての人間は、神がそう望んで生まれたのです。あなたもです。

 

 

一方、進化論(または無神論)は、命の価値をあいまいにしています。あらゆるものは偶然の産物で・・・弱肉強食、自然淘汰が自然界のおきて・・・闘争本能、差別と競争、利己主義、暴力、戦争を正当化するために利用されています。 

 

同時に「運命」を信じたり、占いに頼ったりするのはどうしてでしょう。あらゆる事物の発生には誰の”意志”も働いていない、というのが進化論です。 なのに、人間は運命もしくは天命に左右されてるのですか? 

 

宇宙や自然や人間社会に存在する抗えない(あらがえない)力を感じていながら、神を否定する進化論を受け入れる現代人・・・

 

確固たる、精神的な拠り所のないなかで、多くの人は生きています。ウソにまみれた社会の中で・・・振り回されながらも辛うじて・・・

 

 

ところで・・・

物理法則については、ヨブ記 38章でこうあります。

 

キマ星座とはプレアデス星団・・・

 

ケシル星座はオリオン座・・・

 

アシ星座は北斗七星を含むおおぐま座・・・と考えられています。

 

形が変化することもなく古代からあり続けてきたので、GPSのない時代の航海には方向を知る手がかりになりました。

 

 

ここで息抜き・・・ちょっと音楽でも・・・

 

ちなみに、現在は88の星座に定められています。

 

 

さて・・・

「天と地を」・・・

1節は、長大な時間の過程を省いて、宇宙と地球の誕生をひと言でまとめています。

 

「地は」・・・

2節は、「天と地」が創造されたあとの出来事です。初期の地球はどんな状態だったかを述べています。

 

宇宙にある無数の天体をひとつにまとめて「天」と呼んだのに対し、小さな惑星にすぎない地球を「地」と呼んでいるのは、地球に対して神が特別の関心を抱いていることを示しています。

 

「・・・荒れていて何もなかった」・・・

初期の地球環境は、生物の棲める状態ではありませでした。もちろん生物はいません。「何もなかった」のです。

 

荒れた大地は「深い水(または波立つ水)で覆われ、地球全体は太陽光を遮る「闇」をもたらす物質に包まれていました。

 

 

目に見える「大地」の「土台」・・・

地殻が形成されていたことを暗に示しています。

 

ですが・・・むしろ、これは神の約束です。大地が消滅することは永遠にありません。私たちの命、あらゆる生物の命は、神の法則や約束の上に保たれているのだということを覚えておいてください。

 

ノアの日の大洪水の時のように、神が怒りを発すれば、大地の上に生きるものは滅びるのです。(6節)

 

「神が送り出す力(聖なる力)が、水の上を動いていた」・・・

原始の地球に対して、神の力が、新たな創造の業(わざ)を始めようとしていました。

 

 

宇宙と地球の始まりについて、現代の科学ではどのように考えられているでしょう。

 

はるか昔、大爆発が起こりました。

 

 

強大なエネルギーの一部から、物質宇宙が誕生しました。

「無」から宇宙が出現したのです。ある時、突然に・・・

 

 

 

ビッグバンから1秒にも満たない時間に、物質のもとになる素粒子が現れました。進化どころの話ではありません。最初から、宇宙を形作る物質とエネルギーが現れたのです。

 

ところで、推定で、宇宙の年齢は137億年・・・もしくは138億年・・・

 

 

この数字はあくまで、現時点で観測できる範囲ですが・・・

 

 

その中に、やがて・・・1000億、2000億・・・あるいはそれ以上の恒星を有する天の川銀河が誕生しました。

 

(こちらは想像図)

 

こうした「銀河」は、宇宙全体で1兆個、あるいは2兆個存在する・・・

 

 

気の遠くなるような数の星ですが・・・

 

つまり、こういうことです。

宇宙には始まりがあり、有限である・・・

最初から、元の物質は出現し、物理法則が存在していた・・・

 

 

ところで皆さんは星空を見てエネルギーを感じますか?

静寂・・・ではないですか?

 

宇宙に膨大なエネルギーがあることを知ったのは現代になってからです。聖書にはすでにそのことが書かれています。

 

 

 

その後、およそ46億年前、天の川銀河の周辺部に太陽系が生まれ、秒速240キロで回りはじめました。

 

 

一周するのに2億年以上・・・ということですが・・・

すでに20回以上も回っていることになります。

 

 

地球は小惑星などとの衝突を繰り返して成長して岩石質の惑星となり、重力と磁場と大気を持つようになりました。

 

初期の頃は灼熱の惑星でした。金属や岩石がドロドロに溶けていました。

 

 

やがて水蒸気の層から降り注ぐ雨によって冷やされ、地殻が形成され、地球全体は水で覆われるようになりました。

 

 

ということですが・・・

現代の宇宙論は、創世記の2つの聖句の記述を否定していますか?

 

 

付け加えると・・・

地球や他の天体が無の空間にいることも聖書は明らかにしています。

神がヨブに語り掛けた時のことです。

 

ヨブ記 26章

 

この意味を、ヨブや、これを書いたモーセが理解できたと思いますか?

現代人なら理解できますが・・・


また、太陽や月と同じく、地球が丸い、つまり球体であることも明らかにしています。

 

イザヤ書 40章

 

「丸い」という言葉は「球形」も意味します。

 

ヨブの実話は西暦前1613年ごろで、ヨブ記がモーセによって書かれたのは西暦前1473年ごろのことです。イザヤは西暦前700年代の半ばごろの預言者です。

 

現代になってようやく明らかになった事実が、古代に書かれていました。聖書筆者や当時の学者たちが理解できないことさえ、書かれているのです。

 

聖書は古代の人々に向けての説明なので簡潔ですが、宇宙に関する現代科学に反するところはありません。

 

というより・・・ようやく現代科学が聖書の知識に追いついた、と言ったほうが正しいでしょう。

 

 

さて・・・3節からが、地球上で行われた創造の6日間の始まりです。

 

特異な水の惑星は、その時点では宇宙の中で青く輝いてはいませんでした。地球は闇の中で、外からは形すら見えなかったかもしれません。

 

神の言葉が、ご自身が選んだこの特別な惑星のために、発せられました。

 

 

「光よ、輝け」・・・

2節以降は地球についての描写です。惑星誕生の過程で暗黒の世界だった地球に、太陽光が徐々に届くようになっていきました。太陽光が当たる側を「昼」、太陽光が当たらない側を「夜」、と神は名付けました。

 

「すると光が輝いた」・・・

太陽光が届いて惑星の姿が現れました。

 

「晩になり朝になり」・・・

時間の経過とともに、最初は見えなかったものが、徐々に明らかになっていきました。この詩的な表現にはそうした意味があります。

 

地球の自転運動も示唆しています。(ヨブ記26章7節、イザヤ40章22節)


「1日目が過ぎた」・・・

24時間ではありません。「日」という言葉は様々な意味で用いられています。ここでは地球上における創造の業(わざ)を6日間(むいかかん)に区分し、簡潔に表現したにすぎません。

 

詩編90編

 

6日間働き、7日目は休む(安息日)・・・という労働基準を神が定めた際、創造の期間を根拠としました。のちにモーセを通じてイスラエル人に与えた律法で明確になりました。

 

創世記 2章

 

出エジプト記 20章

 

西暦321年にローマ帝国のコンスタンティヌスが、七日目の日曜日を休日として定めました。それが世界に広まりました。

 

現代社会では、日本を含め、聖書に対する信仰のない国々の人々でさえ、七日単位で区分する暦法を取り入れ、当たり前のように暮らしています。神の知恵は世界中に浸透しています。

 

クリスチャンは安息日を守るモーセの律法から解かれていますが、上位の権威には従います。(ローマ7:6,  13:1

 

 

加えて・・・

創造の業の休みがまだ続いていることから考えると、各1日は数千年と考えられるので、6日間は数万年という期間になります。

 

ヘブライ 4章

 

 

2日目に行ったのは・・・

 

 

「神はその空間を天と呼んだ」・・・

空(そら)のことです。8節以降、「天」は宇宙ではなく、空を指します。

 

「空間の下の水と上の水とに分けた」・・・

太陽光が届くことによってできた水蒸気の層は大変厚く、地表に温室効果をもたらしました。一年中温暖な気候となり、生物の繁栄に適した環境が整えられていきました。地表は、当初は「荒れて」いましたが、神の力に制御されていました。(2節)

 

上空の「水」については、のちにノアの日にすべてが地表に降り注ぎ、温暖だった地球の気候は激変します。極地が氷で覆われたり、氷河が形成されたのはこの時期です。

創世記 7章

 

創世記 8章

 

この時の激変は、マンモスの冷凍保存という形で今日でも証拠が見られます。胃の中に未消化の植物が残っていました。

 

 

恐竜はそれ以前に絶滅していたと思われます。この時代まで生きていたのなら、マンモスと同様の冷凍保存もありえたからです。

 

ところで、現在用いられている考古学的な年表は、進化論に合わせたものですので、それに基づいて聖書の記述を批判するのは間違っています。進化論は仮説にすぎないのです。

 

 

次いで海底の一部が隆起して陸地が現れます。

 

 

造山運動が起こり、海底にあった岩盤が地上に持ち上がりました。造山運動は地表が冷やされて地殻が形成されてからですので、この時が最初になります。

 

水が「一つの場所」に集められたということは、大陸のほうもかつては一つであったという現在の考え方とも合致します。

 

 

のちに、ノアの日の大洪水で覆われた地表に再び陸地が現れます。二度目の地球規模の造山運動がなされました。

 

その時に出現したヒマラヤ山脈の頂上部でも海の化石が見つかっています。

 

 

3日目・・・

陸地が現れると、多くの種類の植物を造っていきました。

 

 

陸地は緑で覆われました。

 

 

微生物については書かれていません。土壌を作る微生物はこの時期に造られたのかもしれません。

 

 

4日目・・・

さて、水蒸気の厚い層に覆われ、ぼんやりした光の中にあった地球のために・・・やっておくべきことがありました。

 

 

「天に光体が現れよ」・・・

ここでいう「天」とは空(そら)のことです(8節)。それまで地上から見えていなかった太陽、月、星が、空に「光体」として見えるようになりました。

 

それによって、一日や季節や年の移り変わりが明確になり、時間や暦(こよみ)の基準が設けられました。

 

ここでは『造る』(アーサー)という言葉が用いられており、1節の『創造する』(バーラー)とは区別されています。

 

聖書を表面的になぞるだけの人は、”地球ができた後に天体がつくられているではないか。聖書は矛盾している。科学的ではない”と主張しますが、創世記は古代ヘブライ語で書かれたことを見落としていますし、内容を冷静に見ればわかることです。

 

神は太陽と月と星が地表から見えるようにして、地上を照らす新たな役割を担うように『造った』のです。記述に矛盾はありません。古代に原語で生活していた人々や、現代でも原語を理解している翻訳者には、それは明白なことなのです。

 

「神はそれらを天に置いて、地上を照らさせ」・・・

自転、公転の周期は安定していて・・・単なる散光ではなく、「光体」として空に現れた天体は、やがて人間の暮らしを導くものになります。

 

また、光合成が活発になることで、大気も整えられていきました。

 

 

5日目・・・

そうしたのち、さあいよいよ多くの動物たちの登場です。

 

 

「水は生き物でいっぱいになれ。飛ぶ生き物が、大地の上方を、空を飛ぶようになれ」・・・

水の中で生きる「様々な種類の」生物と、羽を持つ飛ぶ「様々な種類の」生物が最初に創られました。プランクトンなどの微小な生物、貝類、海綿、イソギンチャク、サンゴも創られました。海藻類は、陸上に植物が現れたころに、海中に創られていたのかもしれません。

 

 

進化論では、海から陸にあがった生き物から鳥類が生まれたと言っていますが、推測にすぎません。鳥は、地上の生き物が羽をもつようになったのではなく、最初から鳥でした。

 

「生き物でいっぱいになれ」・・・

カンブリア爆発と呼ばれるように、カンブリア紀に多くの種類の生物化石が出現している証拠が見つかっています。進化論が主張するように徐々に進化してきたのではなく、高度な機能を持つ生物が突然に出現しています。

 

「子を生み、増えて・・・いっぱいになれ」・・・

最初からオスとメスの区別があり、生殖能力を持っていました。それが最初から機能しなければ、子孫は残りません。オスとメスの生殖器官の違い、繁殖の仕組みを、進化論でどう説明できるのです?

 

「さまざまな種類の」・・・

多くの「種」が初めから存在していました。生存競争の中で獲得したのでも、偶然の積み重ねで生まれたのでもありません。それは最初からそのように創られたのです。一つのものから分かれたのではなく、超えられない「種」があるのです。

 

どのように分類しようと、クジラとイルカは別の種類です。鳩とカラスも別の種類です。それぞれの種の中で繁殖し、ある程度の変化をしながらも現代に続いてきたのです。

 

「海の大きな生き物」・・・

 

海に関しては「大きな生き物」がいたことを述べていますが、陸に関しては「大きな生き物」についての言及はありません。人間が登場する以前に、恐竜はすでに絶滅していました。ぬかるんでいた大地を踏み固める・・・といった特定の目的を果たしたのち、神のご意志によって死に絶えたと思われます。そののちに造られた多くの生き物たちの命を脅かすことはありませんでした。

 


巨大な隕石が衝突して恐竜が絶滅した・・・という憶測は誤っています。「地(地球)」における創造の期間は、「神の送り出す力」(2節)によって守られ、生物の生存に適するよう環境が整えられていったのです。

 

 

6日目・・・

 

 

「陸に・・・現れよ」・・・

「飛ぶ生き物」も陸の生き物ですが、それらは「空(そら)」の生き物として先に創造を終えていました。

 

「家畜と野生動物と地面を動く生き物」・・・

家畜と野生動物は最初から区別して造られました。人間が野生動物を飼いならして家畜にしたのではありません。生物学者は家畜の原種を野生動物に求めますが、それは誤りです。逆に、家畜が野生化して変化していった、ということはあるでしょう。羊や牛は、人間の必要のために備えられた生き物です。

 

 

「地面を動く生き物」は小動物、げっ歯類、爬虫類、羽を持たない虫を指します。

 

 

「さまざまな種類の」・・・

神は、それぞれの種類の生き物たちを、知恵とユーモアをもって創造していきました。今日見る通り、生き物たちのそれぞれの特徴は・・・植物も同様ですが・・・私たちを無限に楽しませてくれます。

 

生物の遺伝子には、それぞれの「種類」の中で、変化する要素もありました。それゆえに生き物たちは、年月を経て多様な姿を見せるようになりました。しかし、種を超えることは決してありませんでした。