聖書の謎~創世記① 天地創造 | まい・めもり~ず

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ボクが聖書をどう解釈して、信じるに至ったか・・・
謎だらけの書物について書いてみます。

そのほかは、大好きな音楽を・・・少しだけ。

創造の6日間・・・地面から造られた人間・・・善悪の知識の木・・・蛇の誘惑・・・命の木を守る天使と燃える剣・・・数百年も生きた人々の系図・・・堕落した天使たちと巨人たち・・・ノアの日の洪水・・・バベルの塔と言語の混乱・・・ソドムとゴモラの滅亡・・・

 

創世記を書いたモーセはイスラエルの指導者です。

これらすべては、自らを英雄にするために書いた創作でしょうか。 

 

 

聖書は西暦前1513年から西暦98年までに書かれた、66冊の書物を集めた本です。

 

数多くの写本が発見され、書かれた当時から内容が変わっていないことが確かめられています。

 

翻訳の難しさはあるとはいえ、現在手に入る聖書は古代のものと内容は同一と断言できます。

 

総発行部数、翻訳数・・・その数字は桁外れ・・・

数字を比べることができる書物はほかに存在しません。

世界中の誰でも、全体あるいはその一部を読むことができます。

 

このことは預言されています。

 

人は皆、草のようであり、

人の栄光は全て、野の花のようである。

草は枯れ、花は散る。

しかし、エホバの言葉は永遠に存続する

(ペテロ第一 1章 24,25節)

 

神は定めの時にご自分の言葉を広く知らせたのであり、

私は救い主である神の命令によって伝道を委ねられました。

(テトス 1章 3節)

 

聖書はとても不思議な本・・・

猛烈な迫害を生き残った世界最高のベストセラーですが・・・

 

教えだけではなく、極め付きのミステリーでも知られています。

最初に書かれた謎(預言)が、千年以上の時を経て解き明かされる・・・

 

人知を超えた書物なのです。

 

 

さらに特異な点は、様々なトラップが仕掛けられていること。

 

イエスは言った。

「あなたたちには神の王国の神聖な秘密に関する理解が与えられていますが、ほかの人たちには全てのことがたとえのままです。それで、その人たちは、目を向けますが見えず、聞きはしますが意味を悟りません。神のもとに帰って許されることもありません」

(マルコ 4章 11,12節)

 

信者でさえ、つまずいて、二度と戻らない人も・・・

 

(ヨハネ6章)

 

つまり・・・

 

神の助けがなければ、意味は決して理解できない・・・

誤解や曲解を招く表現は、読む人、聴く人の心を試すためのもの・・・

 

 

誰でも聖書は手にできますが、意味は隠されています。

 

使徒8章

 

 

神の存在および創造の、可能性すら否定する人たちは、進化論に希望を見出そうとしますが・・・

 

ローマ 1章

 

自然の中にある美しさや調和を見て、神秘や神性・・・つまり、その源である”神”の存在をだれもが感じます。自分が感じたものを否定することはできません。神が見えなくても、その存在を感じられるように人間は造られているのです。自然や、自らの本能的な能力を否定することはできません。

 

心をご覧になる神に対して、見えないからわからなかったなどと「言い訳」することはできないのです。

 

格言24章

 

絵画、音楽、建築、衣料、工業製品・・・人工物にも感銘を受けますが、それらは自然界にあるものの模写、模倣、あるいはそれらを利用しているにすぎません。人間は、神にはかなわないのです。

 

マタイ 6章

 

 

このブログは・・・

聖書に関心を持っていただくためのものです。

 

知れば知るほど面白くなる・・・

聖書の本当の意味について一部でも知ると、ほかの本を読む気がしなくなるのは、すべての疑問に対する答えがここにあるからです。

 

テモテ第二 3章

 

著者は神。人間は代筆者です。

 

それが真実かどうか・・・

人間の知恵では書けないものが書かれているのかどうか・・・

 

ローマ11章

 

調べてみましょう。

 

まずは創世記から・・・

 

 

※ 聖書の本文と資料はエホバの証人が公開しているものを利用しています。しかし、ボクが書く内容は、彼らが公表している見解とは異なるところも多々あるでしょう。聖書を正しく伝えることの責任は、ボク自身が神に対して負います。

 

啓示 22章

 

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創世記 1章

 

 

「初めに」・・・

壮大な物語は、この言葉で始まります。

 

宇宙は恒常的に存在してきたのではなく、始まりがあった・・・無限に広がっているのではなく有限である・・・そう述べています。

 

「神は・・・創造した」・・・

神の意志によって宇宙は始まりました。その中にあるすべてのエネルギーと物質、星や星雲や銀河、それらを統制する物理法則の、すべての源(みなもと)は神です。

 

宇宙も、私たち人間も、偶然の産物ではなく、神の目的と英知の現われであり、神に喜びをもたらす存在です。すべての人間は、神がそう望んで生まれたのです。あなたもです。

 

 

一方、進化論(または無神論)は、命の価値をあいまいにしています。あらゆるものは偶然の産物で・・・弱肉強食、自然淘汰が自然界のおきて・・・闘争本能、差別と競争、利己主義、暴力、戦争を正当化するために利用されています。 

 

同時に「運命」を信じたり、占いに頼ったりするのはどうしてでしょう。あらゆる事物の発生には誰の”意志”も働いていない、というのが進化論です。 なのに、人間は運命もしくは天命に左右されてるのですか? 

 

宇宙や自然や人間社会に存在する抗えない(あらがえない)力を感じていながら、神を否定する進化論を受け入れる現代人・・・

 

確固たる、精神的な拠り所のないなかで、多くの人は生きています。ウソにまみれた社会の中で・・・振り回されながらも辛うじて・・・

 

 

ところで・・・

物理法則については、ヨブ記 38章でこうあります。

 

キマ星座とはプレアデス星団・・・

 

ケシル星座はオリオン座・・・

 

アシ星座は北斗七星を含むおおぐま座・・・と考えられています。

 

形が変化することもなく古代からあり続けてきたので、GPSのない時代の航海には方向を知る手がかりになりました。

 

 

ここで息抜き・・・ちょっと音楽でも・・・

 

ちなみに、現在は88の星座に定められています。

 

 

さて・・・

「天と地を」・・・

1節は、長大な時間の過程を省いて、宇宙と地球の誕生をひと言でまとめています。

 

「地は」・・・

2節は、「天と地」が創造されたあとの出来事です。初期の地球はどんな状態だったかを述べています。

 

宇宙にある無数の天体をひとつにまとめて「天」と呼んだのに対し、小さな惑星にすぎない地球を「地」と呼んでいるのは、地球に対して神が特別の関心を抱いていることを示しています。

 

「・・・荒れていて何もなかった」・・・

初期の地球環境は、生物の棲める状態ではありませでした。もちろん生物はいません。「何もなかった」のです。

 

荒れた大地は「深い水(または波立つ水)で覆われ、地球全体は太陽光を遮る「闇」をもたらす物質に包まれていました。

 

 

目に見える「大地」の「土台」・・・

地殻が形成されていたことを暗に示しています。

 

ですが・・・むしろ、これは神の約束です。大地が消滅することは永遠にありません。私たちの命、あらゆる生物の命は、神の法則や約束の上に保たれているのだということを覚えておいてください。

 

ノアの日の大洪水の時のように、神が怒りを発すれば、大地の上に生きるものは滅びるのです。(6節)

 

「神が送り出す力(聖なる力)が、水の上を動いていた」・・・

原始の地球に対して、神の力が、新たな創造の業(わざ)を始めようとしていました。

 

 

宇宙と地球の始まりについて、現代の科学ではどのように考えられているでしょう。

 

はるか昔、大爆発が起こりました。

 

 

強大なエネルギーの一部から、物質宇宙が誕生しました。

「無」から宇宙が出現したのです。ある時、突然に・・・

 

 

 

ビッグバンから1秒にも満たない時間に、物質のもとになる素粒子が現れました。進化どころの話ではありません。最初から、宇宙を形作る物質とエネルギーが現れたのです。

 

ところで、推定で、宇宙の年齢は137億年・・・もしくは138億年・・・

 

 

この数字はあくまで、現時点で観測できる範囲ですが・・・

 

 

その中に、やがて・・・1000億、2000億・・・あるいはそれ以上の恒星を有する天の川銀河が誕生しました。

 

(こちらは想像図)

 

こうした「銀河」は、宇宙全体で1兆個、あるいは2兆個存在する・・・

 

 

気の遠くなるような数の星ですが・・・

 

つまり、こういうことです。

宇宙には始まりがあり、有限である・・・

最初から、元の物質は出現し、物理法則が存在していた・・・

 

 

ところで皆さんは星空を見てエネルギーを感じますか?

静寂・・・ではないですか?

 

宇宙に膨大なエネルギーがあることを知ったのは現代になってからです。聖書にはすでにそのことが書かれています。

 

 

 

その後、およそ46億年前、天の川銀河の周辺部に太陽系が生まれ、秒速240キロで回りはじめました。

 

 

一周するのに2億年以上・・・ということですが・・・

すでに20回以上も回っていることになります。

 

 

地球は小惑星などとの衝突を繰り返して成長して岩石質の惑星となり、重力と磁場と大気を持つようになりました。

 

初期の頃は灼熱の惑星でした。金属や岩石がドロドロに溶けていました。

 

 

やがて水蒸気の層から降り注ぐ雨によって冷やされ、地殻が形成され、地球全体は水で覆われるようになりました。

 

 

ということですが・・・

現代の宇宙論は、創世記の2つの聖句の記述を否定していますか?

 

 

付け加えると・・・

地球や他の天体が無の空間にいることも聖書は明らかにしています。

神がヨブに語り掛けた時のことです。

 

ヨブ記 26章

 

この意味を、ヨブや、これを書いたモーセが理解できたと思いますか?

現代人なら理解できますが・・・


また、太陽や月と同じく、地球が丸い、つまり球体であることも明らかにしています。

 

イザヤ書 40章

 

「丸い」という言葉は「球形」も意味します。

 

ヨブの実話は西暦前1613年ごろで、ヨブ記がモーセによって書かれたのは西暦前1473年ごろのことです。イザヤは西暦前700年代の半ばごろの預言者です。

 

現代になってようやく明らかになった事実が、古代に書かれていました。聖書筆者や当時の学者たちが理解できないことさえ、書かれているのです。

 

聖書は古代の人々に向けての説明なので簡潔ですが、宇宙に関する現代科学に反するところはありません。

 

というより・・・ようやく現代科学が聖書の知識に追いついた、と言ったほうが正しいでしょう。

 

 

さて・・・3節からが、地球上で行われた創造の6日間の始まりです。

 

特異な水の惑星は、その時点では宇宙の中で青く輝いてはいませんでした。地球は闇の中で、外からは形すら見えなかったかもしれません。

 

神の言葉が、ご自身が選んだこの特別な惑星のために、発せられました。

 

 

「光よ、輝け」・・・

2節以降は地球についての描写です。惑星誕生の過程で暗黒の世界だった地球に、太陽光が徐々に届くようになっていきました。太陽光が当たる側を「昼」、太陽光が当たらない側を「夜」、と神は名付けました。

 

「すると光が輝いた」・・・

太陽光が届いて惑星の姿が現れました。

 

「晩になり朝になり」・・・

時間の経過とともに、最初は見えなかったものが、徐々に明らかになっていきました。この詩的な表現にはそうした意味があります。

 

地球の自転運動も示唆しています。(ヨブ記26章7節、イザヤ40章22節)


「1日目が過ぎた」・・・

24時間ではありません。「日」という言葉は様々な意味で用いられています。ここでは地球上における創造の業(わざ)を6日間(むいかかん)に区分し、簡潔に表現したにすぎません。

 

詩編90編

 

6日間働き、7日目は休む(安息日)・・・という労働基準を神が定めた際、創造の期間を根拠としました。のちにモーセを通じてイスラエル人に与えた律法で明確になりました。

 

創世記 2章

 

出エジプト記 20章

 

西暦321年にローマ帝国のコンスタンティヌスが、七日目の日曜日を休日として定めました。それが世界に広まりました。

 

現代社会では、日本を含め、聖書に対する信仰のない国々の人々でさえ、七日単位で区分する暦法を取り入れ、当たり前のように暮らしています。神の知恵は世界中に浸透しています。

 

クリスチャンは安息日を守るモーセの律法から解かれていますが、上位の権威には従います。(ローマ7:6,  13:1

 

 

加えて・・・

創造の業の休みがまだ続いていることから考えると、各1日は数千年と考えられるので、6日間は数万年という期間になります。

 

ヘブライ 4章

 

 

2日目に行ったのは・・・

 

 

「神はその空間を天と呼んだ」・・・

空(そら)のことです。8節以降、「天」は宇宙ではなく、空を指します。

 

「空間の下の水と上の水とに分けた」・・・

太陽光が届くことによってできた水蒸気の層は大変厚く、地表に温室効果をもたらしました。一年中温暖な気候となり、生物の繁栄に適した環境が整えられていきました。地表は、当初は「荒れて」いましたが、神の力に制御されていました。(2節)

 

上空の「水」については、のちにノアの日にすべてが地表に降り注ぎ、温暖だった地球の気候は激変します。極地が氷で覆われたり、氷河が形成されたのはこの時期です。

創世記 7章

 

創世記 8章

 

この時の激変は、マンモスの冷凍保存という形で今日でも証拠が見られます。胃の中に未消化の植物が残っていました。

 

 

恐竜はそれ以前に絶滅していたと思われます。この時代まで生きていたのなら、マンモスと同様の冷凍保存もありえたからです。

 

ところで、現在用いられている考古学的な年表は、進化論に合わせたものですので、それに基づいて聖書の記述を批判するのは間違っています。進化論は仮説にすぎないのです。

 

 

次いで海底の一部が隆起して陸地が現れます。

 

 

造山運動が起こり、海底にあった岩盤が地上に持ち上がりました。造山運動は地表が冷やされて地殻が形成されてからですので、この時が最初になります。

 

水が「一つの場所」に集められたということは、大陸のほうもかつては一つであったという現在の考え方とも合致します。

 

 

のちに、ノアの日の大洪水で覆われた地表に再び陸地が現れます。二度目の地球規模の造山運動がなされました。

 

その時に出現したヒマラヤ山脈の頂上部でも海の化石が見つかっています。

 

 

3日目・・・

陸地が現れると、多くの種類の植物を造っていきました。

 

 

陸地は緑で覆われました。

 

 

微生物については書かれていません。土壌を作る微生物はこの時期に造られたのかもしれません。

 

 

4日目・・・

さて、水蒸気の厚い層に覆われ、ぼんやりした光の中にあった地球のために・・・やっておくべきことがありました。

 

 

「天に光体が現れよ」・・・

ここでいう「天」とは空(そら)のことです(8節)。それまで地上から見えていなかった太陽、月、星が、空に「光体」として見えるようになりました。

 

それによって、一日や季節や年の移り変わりが明確になり、時間や暦(こよみ)の基準が設けられました。

 

ここでは『造る』(アーサー)という言葉が用いられており、1節の『創造する』(バーラー)とは区別されています。

 

聖書を表面的になぞるだけの人は、”地球ができた後に天体がつくられているではないか。聖書は矛盾している。科学的ではない”と主張しますが、創世記は古代ヘブライ語で書かれたことを見落としていますし、内容を冷静に見ればわかることです。

 

神は太陽と月と星が地表から見えるようにして、地上を照らす新たな役割を担うように『造った』のです。記述に矛盾はありません。古代に原語で生活していた人々や、現代でも原語を理解している翻訳者には、それは明白なことなのです。

 

「神はそれらを天に置いて、地上を照らさせ」・・・

自転、公転の周期は安定していて・・・単なる散光ではなく、「光体」として空に現れた天体は、やがて人間の暮らしを導くものになります。

 

また、光合成が活発になることで、大気も整えられていきました。

 

 

5日目・・・

そうしたのち、さあいよいよ多くの動物たちの登場です。

 

 

「水は生き物でいっぱいになれ。飛ぶ生き物が、大地の上方を、空を飛ぶようになれ」・・・

水の中で生きる「様々な種類の」生物と、羽を持つ飛ぶ「様々な種類の」生物が最初に創られました。プランクトンなどの微小な生物、貝類、海綿、イソギンチャク、サンゴも創られました。海藻類は、陸上に植物が現れたころに、海中に創られていたのかもしれません。

 

 

進化論では、海から陸にあがった生き物から鳥類が生まれたと言っていますが、推測にすぎません。鳥は、地上の生き物が羽をもつようになったのではなく、最初から鳥でした。

 

「生き物でいっぱいになれ」・・・

カンブリア爆発と呼ばれるように、カンブリア紀に多くの種類の生物化石が出現している証拠が見つかっています。進化論が主張するように徐々に進化してきたのではなく、高度な機能を持つ生物が突然に出現しています。

 

「子を生み、増えて・・・いっぱいになれ」・・・

最初からオスとメスの区別があり、生殖能力を持っていました。それが最初から機能しなければ、子孫は残りません。オスとメスの生殖器官の違い、繁殖の仕組みを、進化論でどう説明できるのです?

 

「さまざまな種類の」・・・

多くの「種」が初めから存在していました。生存競争の中で獲得したのでも、偶然の積み重ねで生まれたのでもありません。それは最初からそのように創られたのです。一つのものから分かれたのではなく、超えられない「種」があるのです。

 

どのように分類しようと、クジラとイルカは別の種類です。鳩とカラスも別の種類です。それぞれの種の中で繁殖し、ある程度の変化をしながらも現代に続いてきたのです。

 

「海の大きな生き物」・・・

 

海に関しては「大きな生き物」がいたことを述べていますが、陸に関しては「大きな生き物」についての言及はありません。人間が登場する以前に、恐竜はすでに絶滅していました。ぬかるんでいた大地を踏み固める・・・といった特定の目的を果たしたのち、神のご意志によって死に絶えたと思われます。そののちに造られた多くの生き物たちの命を脅かすことはありませんでした。

 


巨大な隕石が衝突して恐竜が絶滅した・・・という憶測は誤っています。「地(地球)」における創造の期間は、「神の送り出す力」(2節)によって守られ、生物の生存に適するよう環境が整えられていったのです。

 

 

6日目・・・

 

 

「陸に・・・現れよ」・・・

「飛ぶ生き物」も陸の生き物ですが、それらは「空(そら)」の生き物として先に創造を終えていました。

 

「家畜と野生動物と地面を動く生き物」・・・

家畜と野生動物は最初から区別して造られました。人間が野生動物を飼いならして家畜にしたのではありません。生物学者は家畜の原種を野生動物に求めますが、それは誤りです。逆に、家畜が野生化して変化していった、ということはあるでしょう。羊や牛は、人間の必要のために備えられた生き物です。

 

 

「地面を動く生き物」は小動物、げっ歯類、爬虫類、羽を持たない虫を指します。

 

 

「さまざまな種類の」・・・

神は、それぞれの種類の生き物たちを、知恵とユーモアをもって創造していきました。今日見る通り、生き物たちのそれぞれの特徴は・・・植物も同様ですが・・・私たちを無限に楽しませてくれます。

 

生物の遺伝子には、それぞれの「種類」の中で、変化する要素もありました。それゆえに生き物たちは、年月を経て多様な姿を見せるようになりました。しかし、種を超えることは決してありませんでした。