いつの間にか、ブログを書かなくなって1か月近く。
またまたこのままでは、なおざりになるので、気が付いて意欲のある時に書いておこう。と言う訳(笑)
相変わらず別邸の「武蔵野舟木組」は、新橋演舞場の「忠臣蔵」が始まった事で盛況なのだが、その分本宅のこのブログが疎かになる。
さて演舞場の忠臣蔵だが、忠臣蔵と言えば年末のお決まりのような演目で、12月14日の討ち入り近くになると番組がいろいろあったり、再放送されたりと忙しい。
今年もご多分に漏れず、里見浩太朗さんの大型時代劇が放送になったり、さすらいが関係した1972年の「大忠臣蔵」もBSで再放送されている。
忠臣蔵を大きく分けると「松の廊下刃傷ー切腹」と「吉良邸討ち入り」である。
その間に幾つもの逸話が盛り込まれて完結する訳で、逸話を沢山盛り込もうとすると、それこそ「大忠臣蔵」53話でも足りないぐらいになる。それはそうだろう。
四十七士の各々の話を盛り込みだしたら大変な事になる。赤穂浪士の47人と言っても、まったく話に出て来ない人も中に入る。その中に中村勘助とう人がいる。
なぜ中村勘助の話をするかと言うと、実は「大忠臣蔵」の撮影は行われた三船プロ時代、丁度この制作は、三船プロの10周年の時だった。その10周年のパーティーが、どこのホテルかは忘れたのだが、大掛かりに行われた。そしてスタッフが四十七士の扮装をしてパーティーに出たのだ。大石内蔵助役は、大道具の親方の吉田さんだった事だけ記憶している。私はその時に中村勘助だった訳だ。
しかしながら、中村勘助と言う人がどんな人なのか、まったく知らないし、お芝居にも登場しない。今の時代、ネットで検索してやっと判った。討ち入りの時の年齢が45歳、当時の私の年齢が23歳だから、なんともはや・・・。
やはりお芝居にならないくらいだから、活躍は余りないようだ。現在の新潟県の生まれで、赤穂藩の家臣の家に婿養子に来た人だという。当時は家督を継ぐ人がいないと家が断絶してしまうので、男子のいない家では、盛んに婿養子を迎えたようだ。
さて話はがらりと変わって、お詫びの品№1の商品は「新正堂」の切腹最中。
お詫びして切腹致しますの意味でも含んでいるのか、少し怖いが、これが一番。
赤穂藩主浅野内匠頭長矩が、松の廊下で刃傷に及び、その日の内に沙汰が出て切腹するのだが、その浅野内匠頭が預けられて切腹するのが、仙台藩田村右京大夫の屋敷。
その屋敷跡にあるのが、「切腹最中」作り販売している「新正堂」
写真のように大きな最中で、餡がとても美味い。そして中からは白いお餅が出てくる。新橋演舞場でも販売しているので、ぜひご賞味あれ。