もう少ししたらリニューアル | 絵描き戸田の宇宙そらの日々

絵描き戸田の宇宙そらの日々

絵描いたり、料理したり、3児の父親しております

最近は専ら男性目線での育児や子供に関して書いております

こんばんみ。色々変化に対応しているところなので料理やらはまた装いを変えてやっていこうかと思います。



話題割愛。














以前この世の中は自分を通したフィルターが全てなんでは?という事を書いたかと思います。



自分が思う 


こうなんじゃないか?


きっと自分はこうだから



こうなるんだ




自分にとって幸せな事も嫌な事もただそこにあるだけで



それをどう見るかなだけなんだと。




最近特にそう思います。



私にも今まで(いつ頃から初まって終わってるのかどうかも分からないのですが)




抱えていた事があります。今回自分節目の時に改めてみたいと思います。先に言っておきますが何かを言いたいのではなくまたいつかのタイミングでこの文面を見た時の自分自身のためです。





私自身の家族の事。



母、父、自分、妹。地元の小学校に通い、中学は私立に行く等、父が自営業な事もあってか割とお金には困らない家庭でした。


小さい頃には夏休みは色々な所に連れて行ってくれてデパートに行って駄々をこねたら何だかんだ欲しい物を買ってもらっていた記憶があります。



それから確か中学3年の終わりくらいだったかと思います。



ある朝何かが割れる大きな音で目が覚めました。




慌てて部屋を出てキッチンの方に行くと割れた食器を拾う母と無言の父。今までに感じた事の無い空気に何も言えなかったのですが、何か崩れていくような不穏な光景にただ呆然としていました。



ようある話ですが自営業が上手くいかなくなって収入が激減した父は昔から好きだったギャンブルによりはまり込み生活費すら使い込んでしまっていました。




ここで初めて母が自分と妹の生活を守るために離婚を考えている事を知りました。




多分今まで私と妹には悟られないように装ってきてたのだと思います。


余りにも突然の展開に心がついていけるはずもなく、僕と妹は


仲直りしてほしい、


お金なんてみんなで頑張れば大した事ない


と泣きながら両親を説得しました。




それで思いとどまったのか両親は手を取り合い取り敢えず現状を乗り切る事を考えはじめました。



中高一貫の私立だった私は高校は公立に行く事を余儀なくされ(まぁこれは自分の人生としては後々良いことだったのですが)



これからまた元の生活になれるはずだった矢先



妹に病魔が襲いました。突然の不随運動。身体が思うように動かせなくなり、原因不明のまま学校に通えなくなり、自転車にすら乗れなくなりました。


言語も不鮮明になり最初は精神的なものと診断されてから二転三転生きれるかも分からない状況が続きました。


しばらくしてようやく原因が分かり、取り敢えず死ぬ事は無いと知った時は胸を撫で下ろしたものです。



そんな中でも私自身は割と楽しく高校生活を送っていたのですが、ある日母に





明日友達と遊びに行きたいからお金ちょうだい





とお願いしてみたのですが浮かない表情。確か2千円くらいだったと思うのですが、何故くれないのか分からず攻め寄った時に告げられました。










もう家にはこの2千円しかなくてこれは明日〇〇ちゃん(←妹の事)を病院に連れていくためのお金なんだごめんね。







初めて自分の要望が断られた時でした。









友達に遊びに行けなくなった事を電話している私を見て僕は初めて母が泣いているのを見ました。














結局父は働く事ではなくギャンブルで取り返そうと同じ事を繰り返してしまった事を知りました。









これは後々直接聞いた事なのですが、母は僕と妹と心中しようと思っていたくらい追い詰められていたのでした。(その時は笑って話してましたが)








結局両親は離婚しました。というより母はもうこれ以上はダメだと思い一人で僕らを守る事を選びました。








最後父が家を出て行く時は私が学校に行っている時で会う事はありませんでした。






その日の夜、家に電話がかかってきて私宛で、父からでした。










またいつか会えるかな?と僕。









ごめんな。としか言わなかった父。













高校一年の終わりくらいの出来事だったかと思います。



でもね、これだけはハッキリと言えるんですが生活が辛いとか感じた事がありませんでした。確かに自由なお金とかは無かったかも知れませんが。



なので、割と誰にでもサラサラ話してたりしたのですが、嫁になんとなく話してた時に




それでよく父親を、憎いとか思わなかったねと言われて



確かになんでだろ?と最近思っていたんです。
↑ようやく本題に入りました。






で、気づいたんです。













私は父親が好きだったんだ。







きっと祝福されて産まれてきて、たくさん愛情を注いで育てられ、色んな所に連れて行ってくれて、最終的にお金にのまれて自分を見失ってしまったけど、家族のために必死だったんだ。ただそれだけだったんだ。それが伝わっていたから僕は自分を不幸だなんて思わなかったんだ。






これまでは単なる不幸エピソードとして話していたような気がしましたが、父親という存在が途中から居なかったからこそ向き合えて無かっただけでなんて事はない、愛情ある家庭だったんです。







成る程!どおりで自分もしあわせな家庭が築けてるわけですな!





私は正直嫁に出会ってからも、妹の面倒は最終的に自分が見るしかなく、この先幸せな家庭なんて自分には出来ないんだと本気で思ってました。




でもねそんな事は誰も、妹も望んではいないんですね。むしろいらんお節介だわぐらいの話で。



自分のフィルターを通した世界が全てなんです。だからこそ自分次第で如何様にも出来るし、なる。




そんな事を思いながら新しい職場環境に苦戦しつつも日々過ごしております。








大変長い中最後までお付き合いくださった方お疲れ様でした!