俊二と別れた母娘は、別のアパートに引っ越した。
1歳の子を抱え借金を返しながらの生活だったので、いつもお財布の中はこざっぱりとしていた。
近くに住むよっ子姉が持ってきてくれるシュークリームの、クリームを少し取って置き、これを食パンに付けて食べるのがみこちゃんの細やかな楽しみだった。
みこちゃんの心身が落ち着き、フルで働ける様になった頃、アパートから団地へ引っ越した。
よっ子姉の二番目の夫から、『アウシュビッツ』と呼ばれたその団地は、古く暗く風呂なしで狭かった。
銭湯に通えるのは週二日程なので、綺麗好きのみこちゃんはたまらず、ベランダに仕切りを立てて髪やお尻を洗った。
小さな娘は台所の流しで隅から隅まで洗われた。
複雑な家庭に産まれてしまった娘のなな子は、大人しく育てやすい子だった。
雪の中金の工面に走り回るみこちゃんのお腹の中で、『あちゃーなんか大変な所に来ちゃったな。こりゃかなり気を遣わないとヤバいわ。』と、悟ったに違いない。
もしもこれがギャンギャン泣く赤ん坊だったら、精神不安定だったみこちゃんに、とっくに放り投げられていただろう。
2歳から保育園に預けられるが、身体が弱く、ひと月の半分以上は風邪をひいていた。
しょっちゅうゴホゴホしていたが、みこちゃんが仕事を休めないことをよく理解していたのか、一度も保育園を休みたいと言ったことはなかった。
娘の気持ちを痛い程感じていたみこちゃんは、仕事が休みの日は必ず保育園を休ませ、一緒に過ごしたという。
園の先生から、『仕事がお休みの日は、お子さんを預けて遊びに行ってしまうお母さんも多いのに、必ず休ませて一緒に過ごされて偉いですね』と言われ、それが当たり前のことだと思っていたみこちゃんはキョトンとしたという。
なな子は何かを欲しがって、駄々をこねたりワガママを言ったこともなかった。
たまにお菓子や玩具売り場の前で、じっと立ち止まって見ている時があり、そんな時はみこちゃんの方から『欲しいの?買ってあげようか?』と尋ねていたという。
自分からねだった物で覚えているのが、保育園の女の子達が付けていた、レースやリボンなどの大きな飾りが付いたヘアゴムだ。
いつもボンボリでちょんまげにしていたから、お姉さんぽくて羨ましかったのである。
言ってもいいのかな?と思いつつ、勇気を出してねだってみたら、保育園からの帰り道、みこちゃんはすぐに買ってくれた。
とても嬉しかった。
スーパーでひっくり返って泣く子供をみる度、『なんでこうなるんだろう?しつけかな?』とみこちゃんは不思議に思っていたそうだが、ふー子姉から『みこちゃん、それが普通の子なんだよ。ななちゃんが普通じゃないの。』と言われ、初めてなな子のおかしさに気付いたそうだ。
保育園では様々な家庭の事情を考慮し、遠足のお弁当はおにぎりだけと決まっていた。
私ならばラッキーと思ってしまう所だが、食いしん坊のみこちゃんにとっては、可愛い我が子のお弁当をおにぎりだけで済ませるなど納得出来る訳がない。
遠足当日、なな子のおにぎりの横には、ラップで小さく包まれたおかずがちょこんと入っていた。
それを見つけた友達が、『あーおかず持ってきちゃいけないのに持ってきてる!いけないんだー!』と騒ぎ立てたものだから、すごくいけないことをした気になり、折角のおかずも味がしなかった。
『おかずを絶対持ってきてはいけない訳じゃないんですけど、お父さんだけで用意が難しいお家もあるので、一応皆おにぎりだけで統一しているんです。
今回みたいにお友達に言われるとななちゃんが可哀想ですし、でも栄養バランスが心配なお母様の気持ちも解りますので、次からはおにぎりの中におかずを入れたらどうでしょう?』
そう先生からアドバイスを頂き、次回から早速みこちゃんは秘密のおにぎりを作ることにした。
『どうだった?』
『うん!おにぎりの中に入ってたから大丈夫だったよ!』
卵焼きやら唐揚げやら、せっせとネタを仕込むみこちゃんは実に楽しそうだった。
みこちゃんの勤め先は、駅前の大きな総合スーパー。
客足が多く忙しかったが、元来明るいみこちゃんは接客が好きだった。
バブル全盛期の当時、物価は高かったがお給料もそこそこ良かったらしい。
借金も返し終わり、少しずつ貯めたお金で、ずっと欲しかったラジカセとカセットテープも買えた。
これで好きな曲を聞いたり、私の声を録音するのが、母娘二人暮らしの最初の夢だったのだ。
幼い頃の動く映像はないけれど、みこちゃんが残してくれた声のプレゼントは、私の大切な宝物である。
夫が居なくて、風呂なしの団地で、毎日仕事をして子育てしていたけれど、当時は若く、それだけで希望を持って前を向けたという。
みこちゃん28歳。本当の青春はこの時代だったのかもしれない。