今日はみこちゃんの二回目の命日だ。
日付が1月20日に変わってすぐ亡くなった。
昨年は初命日だというのに、20日か21日か、記憶が曖昧で死亡届を見直したいい加減な娘である。
芯まで凍りそうな、寒く暗い夜だった。
大の寒がりで冬嫌いの人が、わざわざこんなクソ寒い日に、しかも真夜中に死ななくてもいいのにとぼんやり考えていた。
これがせめて明るい昼間とか真夏の熱帯夜とかなら、ここまで淋しい気持ちにならなかったのに。
病院から自宅へ遺体を連れて帰る業者の車内で、
『長年この仕事してますが、深夜に亡くなる方が一番多いんですよ。あと月の満ち欠けがなんとか~生命って不思議ですね。』
詳細は思い出せないが、そんな話を聞いていた。
何年か前の、まだ母が病気になる前の、ニュースとかドラマの再放送とかそんなものを目にする度に、ああこの頃に一瞬だけでもいいから戻れたらと考えてしまう。
2010年の秋から冬には、もうお腹がどんどん張ってダイエットしなきゃなんて言ってたから、夏頃かな。その頃に戻れたら、『これからもれなく卵巣癌になるから!お腹が張ってきたらもう遅いから!今からこまめに検査受けて!』って教えてあげられるのに。
最初は何だ?って思われても、真剣な顔で伝えれば信じてくれるよね。
もっとずっと前の、私の子供時代に1分だけ意識だけなら戻してあげられますよとか言われたら、とりあえずメモに『2010年の夏、卵巣癌の検査を受ける様に』って走り書きして渡して、
『意識だけ未来からきたの!2010年、覚えやすいでしょ?私が結婚式挙げる年だよ!死んじゃうから絶対検査受けてね!じゃあね1分しか居られないから!』って、これも真剣に伝えれば子供でも信じてもらえるんだろうか。
そんなアホな想像を真剣にしてしまう。
ここまでじゃなくても、癌やその他早期発見が必要な病気になった人やその家族は、もしも早く気付いていたら、教えてあげられたらって、ほとんどが考えると思う。
癌は本当に嫌な病気だ。
ネチネチしつこくて、本人も家族も巻き込んで深い谷底へ突き落とす。
ふと顔を上げると、周りを歩く見知らぬ人全てが生命力に溢れ輝いて見え、たまらない孤独感を感じた。
特に自分と同じ世代の赤ちゃんを抱いた女性と、その両親らしき人達が楽しそうに歩いているのを見ると、たまらない気持ちになった。
なんでうちのお母さんだけ、私だって子供も産まれてまだまだお母さんが必要なのに。
この世には他に命を奪ってもいい様な極悪人が沢山いるじゃないか。
なんでよりによって、お母さんだけ。
せめて両親揃ってる人からにしてよ。私にはお母さんしかいないのに。
悔しさや妬ましさでそんな酷いことを考えたりした。
それを母に言うと、『他人のことをそんな風に考えちゃいけない。そういう他人の不幸を願う様な黒い感情は、悪いものになって自分に帰ってくるから。絶対考えちゃいけない。』
そう諭された。
親はやっぱり親だ。
今は逆に親が健在な人を見ると、あの人はこれから親を亡くす悲しみを乗り越えないといけないんだなと考え、切なくなる。両親健在な人はそれを二回分。
『ななちゃんは親と別れる悲しみに耐えたんだよ。今はまだ辛いかもしれないけど、七回忌の頃には、きっとスッと楽になるからね。』
夫との死別に耐えた、伯母のそんな言葉が救いだ。
それに事故や災害で突然家族を亡くした人達に比べれば、私は十分母に寄り添い別れる準備が出来た。
それだけでも恵まれていたのだから。
今日も雪がちらつく寒い一日だった。