「どうしてうちは貧乏なのに、また子供が産まれるんだろう」

 

神奈川県のとある郡に住む純真な女子中学生は、やるせない気持ちでこのような疑念を抱いていた。

もしこの時、子供が天から自然に授かるものではないと彼女が知ったならば、貧しい農家の長女として幼い頃から強いられてきた我慢を爆発させていたことだろう。

 

数か月後

そんな小さな疑念など置き去りのまま、あっという間に、この家の6人目の子供が産まれた。

1956年の慌ただしい年末のこと。

そう、年末。それだけ。

両親、上の兄弟5人 誰一人として、この6人目の子が産まれた正確な日を覚えていないのである。

戸籍上、この子の誕生日は1957年の1月15日となっている。

年末年始の慌ただしさが漸く落ち着いて、届を出せたのがその頃だったのだろう。

 

「あんなに兄弟が沢山いるんだから、誰か一人くらい誕生日を覚えていてくれたって良さそうじゃない?!」

誕生日占いや誕生日に関する話をする時、成長したこの子は、毎度口グセの様に言っていた。

昔なんて、6人目の子供なんて、そんなものだろうか。

 

可愛い我が子の誕生日を覚えていない母親は、現実的で、がさつで、どっしりとした女性。

父親は身体が弱く、人情深く、そして繊細な男性だった。

もしかしたら男女の気質が逆だったのかもしれない。

父親があまり働けない為一家は貧しく、自宅以外の持っていた土地を全て売ってしまった。

おそらく母親が農業で生計を立てていたのだろう。

子供を一人養子に出すことも考えたが、唯一の財産は子供だからと思い止まったという。

 

そして可愛い末妹の誕生日を覚えていない兄弟達は、姉が二人、続いて兄が三人。

みこちゃんの最期までずっと寄り添ってくれた、優しい兄弟達である。