晩年は非常に無欲だったみこちゃんだが、子供の頃はそれなりに欲しいものが沢山あった。

 

「私は “もはや戦後ではない” の生まれだよ! (私はそんなに歳じゃないの意)」

と言っていた通り、みこちゃんが産まれた昭和30年代は景気も上向きになり、家の経済状況もよっ子姉やふー子姉の子供の頃と比べて大分良くなっていた。

何しろ二人は、朝ドラ『おしん』の大根飯を鼻で笑い、「私らの頃はもっと酷いもの食べてたよ!」と言っていた位なのだから。

「おかずがゆで卵入りのサラダだけで、ご飯が食べられなかったの~」 と言っていたみこちゃん時代の食卓とは、比べ物にならない貧しさだったのだろう。

 

それでも周りの家と比べると、やっぱりみこちゃんの家はそれなりに貧乏だった。

 

 

今は遠足というと、動きやすく汚れても良い服装が基本だが、昔はみんな余所行きの服を着て行ったという。

遠足が近づくと、みこちゃんは母親に

「ワンピースでね、ピンクとか青とかきれいな色でね、あとはレースやお花やリボンが付いてるの」

と着て行きたい服を細かく説明するのだが、「はいよ」と言って買ってきてくれるのは、いつも白い何の飾りもないブラウスと、普段着と変わらない地味な吊りスカートだった。

「どうしてお母ちゃんは私の欲しい服を分かってくれないんだろう。あんなに説明してるのにな。」

がっかりしながらも不思議で仕方なかった。

みこちゃんは少しでも華やかに見せる為に、つまらない襟元に一生懸命刺繡をした。

それは決して上手ではなかっただろうけど、友達は誰一人笑うことなく、

「わあ!その刺繍みこちゃんが自分でしたの?素敵ね」 と褒めてくれたのだそうだ。

 

 

 

近所のお金持ちの家に住む一つ年上の千代ちゃんは、みこちゃんと仲が良くお家にもよくお邪魔させてもらっていた。

そこには普段かまぼこ板やお酒に付いてくるプラスチックのお猪口で遊んでいるみこちゃんが、見たこともない様な綺麗なおままごと道具が沢山あった。

特に憧れたのは花柄のティーポットとカップのセットで、家の急須とは違う、素敵なお茶ごっこの時間が楽しみだった。

 

千代ちゃんはお嬢さんだったがしっかり者で、そしてとても優しかったという。

一緒にプールに行く時、水着を持っていないみこちゃんに一つ貸してくれるのだが、地味な紺の水着と可愛いフリルの付いた二枚の水着の内、いつも必ず可愛い方の水着をみこちゃんに貸してくれるのだった。

恵まれていた様に見えた千代ちゃんだったが、実は家族と距離があり寂しかったと知ったのは、みこちゃんがもう少し大人になってからである。

 

 

 

先ほども少し書いたが、みこちゃんはおもちゃなどほとんど持っていなかったので、家にある物で想像力をフルに活用しながら遊んでいた。

ランドセルを背負って、その上から父親のどてらを被りお嫁さんごっこをしていたなど、なかなかに素晴らしい。

あるクリスマスの日、「みーこ、ちょっとこっちにおいで」と優しい声で振り向くと、大好きなふー子姉がにこにこしながら包みを一つ抱えていた。

開けてみるとそれは当時発売されたばかりの、真っ赤なドレスを着たリカちゃん人形!

みこちゃんは本当に本当に嬉しくて興奮して大喜びで、毎日の様に遊んだという。

きっとみこちゃんの人生の中で、一番特別なクリスマスプレゼントだったことだろう。

 

 

みこちゃんが無欲になったのは、欲しくても手に入りにくい大切なものを、何気なく持っていたからなのかもしれない。