3月は卒業シーズン | サウダージ吟遊記(在米)

サウダージ吟遊記(在米)

在米ボサノビスタのサウダージな日々を書き留めます

 

3月は卒業シーズン、ブラジルでは三月というとちょうど秋分の日で秋になって涼しくなっていくのだが、だからトム・ジョビンの「三月の水」は哀愁漂う夏の終わりを告げる曲なのだが、いかにも俳句的な情景の歌詞でジョビン自ら歌詞を書いているという、しかしアメリカでは3月は女性の月であり、国際女性デーもあり、さらに日本でも弥生の3日は雛祭りであり、日本人女子と言えば、その美しさはやはり着物であり、和服であり、そして浴衣である。浴衣は夏祭り、お盆祭りの衣装であるが、春の、とくに3月は学生服であり、女子に至ってはブレザーを採用している学校もたくさんあるが、しかしやはりセーラー服であろう。このイギリス式海軍の水兵の軍服が日本の女子校に採用されてから100年以上、西洋化の一環としてのカトリック教育、なので女子校は主にミッション系、とくにお嬢様系の貴族の御令嬢が通う敷居の高い学校はカトリックを中心にいわゆるクリスチャン系のミッション系スクールが主流となり、このセーラー服とカトリックのシンボリズム、ロザリオ、そしてシスターを見守る観音様的な存在の聖母(処女)マリア様であり、ソロリティ文化と少女文化の発祥は大正時代にあり、それが「マリみて」に体現されているのだ。戦後はマッカーサー元帥の貴族廃止令、憲法改正によって貴族院が廃止となり参議院となって貴族の特権が廃止されたが、ソロリティ文化はしっかりと残った。それが戦後の少女漫画へと発展していき、そしてマッカーサー元帥によって今まで男女別だった日本の学校が共学となり、そこで初めて学校が青春の現場となるのだ!学校は閉鎖的なソロリティの場から青春を謳歌する場所へと変わっていったのだ。なので、男子にとってセーラー服は青春を象徴するシンボルとなり、卒業と共に青春を失うというサウダーヂを経験することとなったのだ。なぜなら卒業式とはセーラー服を脱ぎ捨てて少女からオトナへと成る通過儀式、通過儀礼、つまりcoming of ageの祭りであり、それは学園という青春恋愛楽園の終了式であり、めでたしめでだしなのだ。

 

しかし、私の青春はどうだったか!青春を謳歌できなかった。卒業式で私に第二ボタンをせがんだ女子は一人もいなかった。ポケベルなんてどうせ詐欺だし、持っても一回もならないだろうから持たなかったし、体育祭でもオクラホマミクサーで男子で余っちゃって、女子と踊れなかったし、マイムマイムなんてあれは逆に集団ダンスだからロマンチックでもなんでもないし、本当、「俺の青春、こんなはずじゃ。。。」というやるせない気持ちとともに私の学園生活は終わってしまった。これは失楽園、というより失学園だ!それが私のサウダーヂ。楽園と学園、パラダイスとスコレー。スコレー(英語でいうスクール)はもともとはレジャー(余暇)という意味だ、つまりスクールは楽しむべきところ、総じて青春を謳歌する場所、これほどまでにふさわしい時期と場所が人生であるだろうか!だからこそ、私は戻りたい、青春時代に、あぁ、セーラー服の少女とデートしたかった、そして夏は浴衣着て手繋いで神社寺の境内の丘の上で「たまやー!」って叫んで、隣の子にキスしたかった。しかし浴衣デートを一度も経験できなかったサウダーヂ。放課後にドーナッツ屋さん(Mr. Dounuts)に寄ってセーラー服の少女とデートできなかったこと(私は学ランの少年時代)。私の最大の人生の後悔、サウダーヂ、そしてトラウマ。マッカーサー元帥が用意してくれたステージで私は活躍できなかった、恋愛という青春のステージに、スクールという場所で!

 

卒業は本当に悲しいイベントだ。恋愛を謳歌できたものでしか、卒業はめでたい行事でしかない。人生はすべて区切りだ。年齢で全部区切られてしまう。そして時間が経てば老化してゆく一方、青春の可能性がどんどんとなくなってしまうのだ、これほどまでに悲しいことがあるだろうか!老化したくない、若くありたい、若さを取り戻したい、そして恋しまくりたい!メフィストフェレスって本当にいないのか?悪魔でもいいよ、私を若くしてくれるんだったら。もう一度チャンスを。ReLifeを。

 

だからこそセーラー服は今では私の深層無意識のトラウマとなってしまっているのだ。日本のアニメを見てセーラー服を見るたびにサウダーヂが誘発されて、悶え苦しむのだ。そのPTSDのシンボル、その苦しみのトリガーはセーラー服なのだ! だからこそ「セーラー服のサウダーヂ」という曲を書いたのだ!私の心、私の魂、その慟哭、その悲痛の魂の叫びを凝縮したのが曲だ!その説明動画をもっとも最先端なAIを使って英語でナレーションして頂いている。それがこの動画だ。