【恐怖のホテル】後編 | ボストンテリア日記~僕とボーズと時々ツレ

ボストンテリア日記~僕とボーズと時々ツレ

 僕が出会ったボストンテリアという犬とそれにまつわる生活についての記録です。名前はボーズ。僕のツレが逢わせてくれました。
 更新は週に一回くらい出来れば良いなぁと思ってます。
 時々くすりとでも笑って貰えれば幸いです。

 待ってました!
 呼び鈴の音に奥から人の気配が近づいて来る。さあ来るぞ来るぞ、事務室から出てくるぞ、恐怖の館の執事が!マーティ・フェルドマンかはたまたクリストファー・リーか?!

クリストファー・リー クリストファー。
小日向文世 文世。


 待ち受けた僕らの前に現れたのは、決してマーティ・フェルドマンでは無く増してやクリストファー・リーでも無く……薄い頭にくたびれたスーツ姿の四十絡みの典型的普通の日本人のおっさん、強いて言えば小日向文世だった。

 文世は言った。
「いらっしゃいませ」
 ……普通だ。余りにも普通だ。僕は何故か怒りを感じた。そうだ、そうなのだ。心理学では、どきどきする経験をした後に肩透かしを食らうと、もう一度同じ経験を無意識に望んでしまうと言う。どきどきしたのに期待を裏切られて、僕は怒っているのだった。

 何か怖い事言えよ!

 理不尽とは知りつつも、筋違いな怒りを抱えたまま僕は、その地味な文世おじさんに案内されて部屋へと向かった。


 その部屋は地下にあり、湿った空気が体にまとわりつく。蛍光灯が青白く僕らの顔を照らす。低予算の深夜ホラー程度の雰囲気はある。


 腹が減ったと言うと文世おじさんは、今日の食事は終わってしまったが簡単な軽食なら用意できると言った。僕らはその言葉に甘えてカレーライスとチャーハンを頼んだ。食事は部屋まで持ってきてくれると言う。そして彼は、部屋の中を走り回っているボーズに目を細め、呼び寄せて顎を撫でた。
 犬好きらしい。
犬好きに悪い奴はいない。だとしたらこの文世おじさんはいい人だ。夜中に墓場を歩き回ったり形相が変わってその牙をむき出して人の生き血を吸ったり、つまりそういう事はしないという事だ。

 僕の恐怖は安心、ではなく、失望へと変わった。


 どういう事だよ。おかしいじゃないか。親切だし。いや別におかしかないか。普通か。見た目も対応も普通か。だとしたらこの恐怖を、いや妄想を僕はどこに着地させたらいいんだ?この宙ぶらりんな心をどこに捨てればいいのか?


 深い懊悩に苦しむ僕をほったらかしにして、簡単な割には到着に時間のかかった食事をいつの間にか平らげたツレは、僕の皿にまで手を伸ばした挙句「ボーズをよろしく」と言い置いてさっさと風呂に行ってしまった。

 僕は、置き去りにされた事を知らずにはしゃぎ回るボーズを見つめながら「お前は置き去りにされたんだよ。捨てられたんだよ」と胸の内で呟いてみた。悲しみがじわり心の中に滲みだした。恐怖映画の中の泣きのワンシーン。


 目に涙を溜めてぼんやりと座っている僕の耳に、闇を抜けて不気味なギターの音が聞こえてきた。時計を見ると十時を回っている。こんな時間にギター?真夜中のギター?
 ♪街のどこーかーにー寂しがりやがひとーりー。
 いるのか?
今にも泣きそうになりながら?こんな場所に?僕はその不気味なギターの音に耳を澄ました。その音は悲しげにそして不気味に、夜気の中を通り抜けて僕の耳朶を打ち、僕の中で眠っていた胸騒ぎを激しく揺り起こした。

 来た!こんどこそ来た!青白く美しいキャサリン・ゼタ・ジョーンズがしどけなくギターを爪弾いているに違いない!そして彼女はそのお色気で男を誘惑し、殺してしまうに違いないのだ!
キャサリン キャサリン

 うひーこわー(わくわく)とか思いながら音がする場所を確かめようと僕はボーズをおいて部屋を出た。映画ではこういう時、犬を連れて行ったりするのだが、そこら中でおしっこされちゃうと困っちゃうので仕方ない。


 ギターは一階のロビーから聞こえてくるようだ。僕はゆっくりと足音を忍ばせて歩いた。走ったりしたらギターが突然止んで、キャサリンの姿は消えてしまい、音の源がどこだったのかも解らなくなってしまうような気がしたのだ。僕はそのことにもっと早く気づくべきだったのだ。


 ロビーにたどり着くと、窓際にあるソファに誰かが座ってギターを弾いているのが見えた。そしてその奏者は!恐怖のギター奏者は!


 皆さんの予想通り、あの受付の小日向文世おじさんだった。ギターが不気味に聞こえたのは単に下手くそだからだったのだ。

 僕の姿を認めた彼は言った。わんちゃん可愛いですね。お風呂入られました?」
 僕はその場にがっくりと膝を着いて力なく答えた。
「まだです」。



 この話はこれで終わりですが、何か?