平 将門は、平安時代中期の関東の豪族で10世紀頃の武士で平氏の姓を授けられた高望王の三男、平良将の子であり、第50代桓武天皇の5世子孫だと言われています。
京都の朝廷、朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、東国の独立を標榜したことによって、遂には朝敵となったのです。
坂東市には茅葺の国王神社があります。
平将門を、その終焉の地に祀る神社であるとの事です。
「将門記」は、10世紀半ばに関東地方でおこった平将門の乱の顛末を描いた、初期の軍記物語です。
平将門が一族の私闘から国家への反逆に走って最後に討ち取られるまでと、死後に地獄から伝えたという「冥界消息」が記されています。
その将門記には「ある田舎の霊能者が言うには地獄に落ちた将門は次のようなことを言っているという。
我は生前一善も行わなかった。
この報いで今、苦しんでいる。
我を訴える者は1万5千人にのぼる。
悪行は多くの臣下と一緒に犯したが、罪は一身にかぶり一人で苦しみを受けている。
剣の山に身を置かれ、猛火に焼かれ、ムチで打たれている。
その苦しみは言葉で表わせない。
但し一ヶ月の内に一時の休みがある。
その訳は、我が在世の時に金光明経を書写して、討ち取った者の供養をしたためである、と地獄の番人が教えてくれた。
我は日本の暦で92年間苦しみの中で過ごさなければならない。
あとに残った兄弟、妻子たちよ、他人に慈善を施し、悪行を消すため善行に努めてくれ、たとえ美味であっても生類を口にしてはいけない。
心で惜しいと思っても仏僧に施しをしなければならない。」さらに後書きに「ある本が伝えるには、将門は生き残った兄弟たちに、我が果たせなかった金光明経の書写をすべて成し遂げて、この長い苦しみから早く逃れさせて欲しい」というのです。
金光明経は四天王などの守護神が国を護るという経典で暮らしのなかでは罪を懺悔することの大切さを説く経典です。





