感動日記 2,575 加持祈祷と仏教 30/5/2(水) | 雨にも負けずのブログ

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人間は菩薩道で生きていくしか生きる道なし

42歳の時に胃癌の手術で3分の2を切除しました。

手術後はつい欲に負け、食べ過ぎの性で胃痛の繰り返しで5年位はノイローゼ気味でした。

修験道の寺で護摩焚きをやって戴いたり、火渡りや、先達さんに拝んで戴いたりもしました。

しかしその性で病気が治ったとは当時も今も思ってはいません。

奈良時代は鎮護国家としての仏教であり、平安時代には仏教本来の悟りを目的とした修行が主体になりました。

奈良時代の仏教が都の大寺院を拠点としたのに対して山岳での修行を重視するようになりました。

遣唐使に従って唐にわたった最澄と空海は、それぞれ天台宗と真言宗を学んで帰国し、桓武天皇や嵯峨天皇の保護を受けながら新しい仏教を広めたのです。

仏教において加持祈祷と修行、そして死後の世界があるかどうか、について個人個人が如何に考えるかが仏教の核心ではないでしょうか。

真言宗は密教と呼ばれます。

秘密の教えであり、一般大衆には分かるはずがない、兎に角、信じなさいというような教えではないだろうか。

護摩焚きで煩悩が燃え尽きてしまうだろうか。

一般大衆に修行しろと言っても果たして修行が出来るであろうか。

率先して修行をしなければならないはずの僧侶が妻帯し寝殿造りのような庫裏に住み、葬式に出かけ、布施を戴き、墓を売り、死人を餌にして暮らし、食べています。

そして寺によっては幼稚園まで経営しています。

とても修行など、そっちのけの僧侶が多いのです。

そして仏教の教えを教えるふりをして金儲け教団などの輩もいるのです。

あなたは死後の世界を信じますか、との質問をされたならば何と答えるでしょうか。

わたしは人が亡くなれば自然に帰るだけだと信じます。

死後には地獄も極楽浄土もないのです。

生きている時に地獄もあり極楽浄土もあるのです。

親鸞聖人の教えであると言われている言葉に「平生業(へいぜいごう)(じょう)」があります。

生きている平生に、往生の業事が、完成する、という意味です。

日本には多くの仏教宗派がありますが、この「平生業成」と言う言葉を批判する理論を聞いた事がありません。

何故なのでしょうか。

日本の仏教界が堕落している証拠のように思えるのです。

親鸞聖人は「かなしきかなや道俗の良時・吉日えらばしめ天神・地祗(ちぎ)をあがめつつ卜占(ぼくせん)祭祀(さいし)つとめとす」

(悲しいことに、僧侶も在家の人々も、日時の良し悪しを選ぶことを進めたり、天地の神々を(あが)めて、仏を崇めることを忘れている。

占いや祈祷を頼りとし、福を求めようとするなどは大間違いである)

親鸞聖人は、加持祈祷は断じてお釈迦様の教えではないと教えられたのでした。

加持祈祷こそが仏教であると一般大衆に断言できるであろうか。