4月2日は父の命日だ。

亡くなって9年になる。


父はいくつかの名言を残してくれたが、その一つを思い出した。あれは私が高校3年生のとき。私が持ち帰ったクラスの全体写真を眺めながら、父と私はこんな会話をしていたのだ。


私 「お父さん、これ、うちのクラスの写真や」

父 「ふーん、そうか、ちょっと見せてみぃ」

私 「僕はな、この子が一番可愛いと思うんや」

父 「どの子?この子か・・・うーん、この子はどや?」

私 「あかん、その子、気ぃ強すぎる」

父 「ワシはこの子がお気に入りやな。この凛としたところがええ」

私 「2番目に可愛いと思てるのはこの子やねん」

父 「どれどれ・・・」


父と私には、①ラガー、②大食い、③筆まめ、という共通点があったが、4つ目の共通点が「面食い」だった。そういう我々にとり、クラス写真は絶好の話題を提供してくれたのだ。しかし、そこに生真面目な母が参入する。


母 「あんたら、ええ加減にしぃ!」

私 「いやいや、お母ちゃん、そんな怒らんでも・・・」

母 「可愛いとか、綺麗とか、人間はなぁ、顔とちゃう(違う)、心や!」


こらアカン、私の手には負えない、と思ったとき、父がこう言ったのだ。


「お母ちゃん、人間の心はな、顔に出るもんなんや」


上手いこというなぁ、と思わず父の顔を仰ぎ見たのを覚えている。その後、40年近い歳月が流れたが、私は今も父の言ったことは正しいと思っている。心は顔に出るものだ。


声楽家の佐藤しのぶさんも、毎日新聞の夕刊で「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」を紹介される言葉の中で、こうおっしゃっている。


「美しい!と言われれば人生が輝く。それがイタリアです。例えば高級車フェラーリ。クルマは性能だ、などという議論ではなく、外観の美しさに飛びつきます。中身の性能は容貌の美に現われる、という意識が徹底しているのです」。


天国の父も、「我が意を得たり」と思っていることだろう。


ボルネオ7番のブログ-両親

合掌。

映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」を観た。


ボルネオ7番のブログ-サッチャー


非常に印象に残る言葉があった。

正確には思い出せないのだが、「どのように感じるか」と尋ねられたときの答だ。


「感じるかではなく、考えることが大事だ。考えたことが行動に移される。行動は習慣になる。習慣はその人の人格となり、そして、人格がその人の運命を決める」


考えることと感じることの最大の違いは、時間軸にあるように思う。感じるのは今だけだが、考える場合は、過去、現在、そして未来のことまでが対象となる。


サッチャーさんが数々の困難な決断を成し得たのは、感じることを封印し、考え抜くことを優先したからだろう。メリル・ストリープの好演も必見。


三女とランチを食べた。

卒業式の後だ。


着慣れぬ着物に、「とっても窮屈。食べられるかしら?」とか言っていたくせに、料理が運ばれてくると良く食べた。さすがに若い。ただ、話題が4月から始まる社会人生活のことになると、少し表情が硬くなった。やはり不安なんだろう。


そこで、私自身が社会人になった34年前のことを話した。学生のままでいたいと思ったこと。同級生も同じ気持だったこと。京都駅から乗車した新幹線が東京に着かなければ良いのにと思ったこと。入社式の前の晩はドキドキして眠れなかったこと。


娘が笑い出し、

「え~っ? パパもそうだったの? なんか安心しちゃった」

と言うと、デザートのシャーベットを美味しそうに食べ始めた。


その後、娘は学部ごとに開催される集会に出席すべく、大学のキャンパスへと向かったのだが、その後ろ姿を撮ったのがこの写真だ。


ボルネオ7番のブログ-背中


「男の顔は履歴書、女の顔は請求書」とおっしゃったのは作家の藤本義一さんだが、「娘の背中は決意」のように私には見えた。悩むこともあるだろうが、たくましく社会で生きていってくれると思う。