「85歳と86歳」というタイトルでブログをアップした後、同じ中学・高校で学んだ同級生の会に出掛けた。こちらは「56歳と57歳」だ。


ボルネオ7番のブログ-岩倉海



男性陣は単身赴任も含め全員東京住まい。そこに中央の女性、A柳さんが関西から出てくるというので急遽集まることになった。みんな、女性には優しくて、A柳さんが「土曜日やのに集まってくれてありがとう」とお礼を言うなり、


「A柳さんが出てくるのに放っとける訳ないやん」

「ホンマや、男やったらわざと用事作って欠席や」

「参加希望者が多過ぎて、抽選で5名に絞ったんやで」

「せやねん、明日の東京マラソンより高い抽選倍率やった」


と調子が良い。シナリオなんかないのに、和やかに過ごすための役割分担や会話の順番まで決まっているかのように思えてくる。これは小学校や大学の同窓会にはない特徴で、多分、少年少女から少しずつ大人になっていく過程で経験した「あまり大きな声では言えないこと」を共有し合っているという親近感、そして、お互いの名誉のために暴露されることはないはずだという信頼感があるからだろう。


ただし、欠席者に関してはその限りではないらしいので、同級生の皆さん、次回は参加した方が身のためです(^O^)/

こんな写真が送られてきた。


ボルネオ7番のブログ-85才、86才


上は第265代ローマ教皇のベネディクト16世。

1927年4月16日生れの85歳。

下は「PLAYBOY」誌を創刊したヒュー・ヘフナー氏。

1926年4月9日生れの86歳。


「この85歳の男性は生涯を教会に捧げ、今、身体が弱り、退任したいと申し出ている。一方、この86歳の男性は生涯をポルノに捧げ、今まさに26歳の女性と結婚したばかりだ」・・・・そういう、カトリック教徒からすれば不謹慎な、PLAYBOY支持派からすれば挑戦的な文字が躍る。


しかし、今年58歳になる私からすれば、お二人とも現役で、見習うべき男性像だろう。実際、彼らから見れば私など「子供の世代」で、「将来のある身」に違いない。因みに、ヒュー・ヘフナー氏には4人のお子さんがおられるが、下のお二人は22歳と21歳だ。60歳を過ぎてからのお子さん・・・・参りました!ヽ(゚◇゚ )ノ


保阪正康先生が書かれた「八重と新島襄」を読んだ。


ボルネオ7番のブログ-八重と新島襄


保阪先生とは校友会の集まりで時々ご一緒し、お話する機会がある。笑顔の優しい温厚な紳士で、淡々と話されるのが印象的だ。ところが、時折目が合うと、こちらがドキッとするような鋭い目をされていたり、静かな口調の中に同志社への熱い思いがほとばしったりと、いつも快い緊張感を味あわせて下さる方だ。


この本はそういう先生のお人柄がにじみ出ている作品で、丹念に調べ上げられた資料に基づき、先生なりの解釈や理解を示して下さっている。又、主役は八重さんと新島先生なのに、お二人と縁のある方々のことを大切に記述されているので、八重さんと新島先生が過ごされた時代や空間を生々しく想像することができる。さすが、保阪先生。


さて、八重さんと新島先生は明治8年、京都で出会っておられるのだが、保阪先生の文章をお借りすれば、「この時代の京都にあって、会津藩というのは単に朝敵であるだけでなく、京都守護職という容保の役割が新政府の側には許しがたい存在として印象に残っていた」ので、さすがの八重さんも鉄砲を担いで官軍と戦ったことなど、とても口にはできなかったことと思う。


ところが、八重さんは新島先生と2回目に会われた際、何と会津籠城の話を新島先生にされたというのだ。八重さんが新島先生を心から信頼されたことに間違いはないのだろうが、保阪先生はこれをこう表現されている。「八重は襄のそれまでの生き方の中に、自分たちと通じる何かを見たのだ」。


そして、本を読み進むにつれ、保阪先生がおっしゃりたかったことが分かってくる。「同志社」の同志とは、まさに八重さんと新島先生のことだったのだろう。妻が八重さんじゃなければ、新島先生は志半ばで挫折されていたかもしれない。同じく、夫が新島先生でなければ、八重さんは支えようとは思われなかったことだろう。


読み応えあり('-^*)/