日比谷の小さな映画館で観たのだが、これが満席((((((ノ゚⊿゚)ノ


ボルネオ7番のブログ-31年目


メリル・ストリープとトミー・リー・ジョーンズが結婚31年目を迎えた夫婦を演じる。「もう一度、結婚当時の愛情を確認したい」と願う妻、「な、なんだ急に。いまさら・・」と逃げ出そうとする夫の姿をコミカルに描く。


夫婦間のセックスが重要なテーマとして出てくるので、私自身はトミー・リー・ジョーンズと一緒に逃げ出したくなったが、多分、子供たちが成長して巣立ち、久し振りに二人だけの生活を始めたとき、大いなる変化を遂げてしまった伴侶に改めて気付き、それがこれからの人生を考えるきっかけになるということだろう。


男は結婚して夫となり、子供ができると父となる。女性も同様に結婚して妻となり、子供ができると母となる。ただ、子育てが終わったとき、男と女では異なる変化を迎える。すなわち、女性は母や妻から女性に戻る。そして、男性としての夫を見る。しかし、男性は父や夫から男性に戻るのではなく、もう一歩、飛び越えて男の子に戻ってしまう。どうだろう。


映画の中のトミー・リー・ジョーンズを見ていると、単に駄々をこねている子供にしか見えない。そして、それが許されてきたのはメリル・ストリープの母性のお陰なんだと直ぐに分かる。彼女はまるでお母さんのように夫の世話を焼いているのだ。ところが、彼女はそういう自分のあり方に疑問や虚しさを感じ始め、物語が進んでいく・・・。


結婚当初のラブラブ状態に戻りたいと願う妻、そして、それに応えようと努力を始める夫。しかし、なかなか上手く行かず、メリル・ストリープがついついこう洩らす、「元には戻れないのよ」。


この言葉が印象的で、これは決してギブアップ宣言ではなく、真実を言い当てた救いの言葉だと私は思ったのだが、結局、元に戻ることなどあり得ないし、お互いに変化を続け、新しい関係になっていくしかないのだと思う。夫婦に限らず、友人も親子も同じだろう。


さて、メリル・ストリープとトミー・リー・ジョーンズは新しい関係を築き上げられたのか?そんなことより、実は我が夫婦は今年結婚31年目を迎える。自分たちのことを先に心配しなくては(;^_^A

「内心、『日本は戦争をしたらいい』と思っているあなたへ」には、みんなの党の幹事長、江田憲司さんも提言をされている。「安部政権の外交面、軍事面の課題」というテーマで書いておられるが、1991年の湾岸戦争と2003年のイラク戦争の違いを分かりやすく解説されている。


先ず、戦争とはギリギリの外交的手段を尽くし、最終最後の手段として行使されるべきものだが、その場合でも、国際法上許されている武力行使は、「自衛権の行使(自衛戦争)」か「国連決議による場合」に限られている。


次に、このルールで二つの戦争を見ると、91年の湾岸戦争は国連決議に基づく国際法上正当性のある戦争となるが、イラク戦争は国連決議もなければ自衛戦争とも言えなかった。国連常任理事国のフランス、ロシア、中国が反対し、ドイツも反対を表明していた。


ところが、日本政府の対応を見ると、湾岸戦争への自衛隊派遣は見合わせ、逆に、イラク戦争には自衛隊を派遣している。江田さんはこれを「アメリカが有志連合と称して何の国際法の根拠もなく始めた戦争」と断じておられるが、全くその通りかと思う。国連が万能とは誰も思っていないだろうが、各国が守るべきルールがなければ、自衛戦争の名の下にあちらこちらで戦争が勃発することと思う。


日本は現在中国や韓国と領土を巡り緊張関係にある。危機をはらんだ難しい時代になったものだと思うが、これにも特効薬はないと思う。江田さんが提言されている通り、日米安保を機軸に、TPPやASEANプラス6を通して各国との関係を深めていく努力が必要なのかなと思う。



内心、「日本は

戦争をしたらいい」と

思っているあなたへ


実にドキッとするタイトルではないか。


ボルネオ7番のブログ-是か非か


衆議院議員、山内康一さん(みんなの党)のブログ「蟷螂の斧」に紹介されていた本だが、最近指摘されている右傾化や安部首相が掲げる改憲論、そして領土を巡る中国や韓国との軋轢につき、各界の識者に緊急提言を求めたものだ。


その識者の中に保阪正康先生のお名前があったので、直ぐに買い求めて読んだ。保阪先生は同志社大学のご卒業で、校友会で定期的にお目に掛かる機会がある。もの静かな紳士で、普段は優しい眼差しをされているが、人と話されるときは目を真正面から見据え、静かな語り口ながらはっきり自分の考えやご意見をおっしゃる。では、戦争について保阪先生はどう考えておられるのか?


「戦争に進む道を歩んでいるときは、威勢のいい意見や声高に愛国心を説くものが、あたかもヒーローであるかに見えるものだが、実際に戦争という時代になれば、「敵国」の人びとを殺生することが目的となり、軍事力はそのための中心軸になっているということだ。敵国の人びとを殺生するということは、「敵国」から私たちも殺生されるとの意味を持つ」。先生は続ける、「お互いに折衝をくり返して、そしてその被害が大きい側、あるいは被害を通りこして壊滅する状態に追い込まれた側が「敗戦」ということになる」。


なるほど、例えば日本は、太平洋戦争で壊滅状態に追い込まれたのだと言われると良く分かる。では、満州事変から太平洋戦争の終結までの間に、どれくらいの被害や損失があったのか。


先ず、人的被害だが、軍人・軍属、一般国民を合わせると255万人が亡くなっているという。又、総軍費は7591億円だが、これを現在の価値に換算すると天文学的数字になるとのことだ。更には、日本軍によって殺害された人たちの遺族はその恨みや怒りを20年、30年、持ち続けるから、戦争の被害は何世代にもわたって継続されることになる。だから、「二十世紀の戦争とは、勝つにしろ負けるにしろ、国家が壊滅的な打撃を受ける政治的選択なのだ」と保阪先生は結んでおられる。


以上、先生は淡々と述べておられるが、最も印象に残った言葉は、「戦争とは国家が壊滅的な打撃を受ける政治的選択」という言葉だ。戦争も一つの政治的選択なのだとすれば、最後の最後まで取ることがあってはならない選択肢であろうし、もっと言えば、この選択肢を取らざるを得ない政治というのは未熟といおうか、お粗末というべきものなのかも知れない。