クラーククラブは北大合唱団の東京OB会が組織されている男声合唱団だ。送って頂いたチケットには「定年退職後の年金生活者62名による重厚な歌声をお楽しみ下さい」とのメッセージが添えられていたが、さて、一体どんな歌声なんだろう。

クラーククラブ

第1ステージの「夢みたものは・・」(作曲:木下牧子、作詞:立原道造)には心洗われる思いがした。立原道造は早世した詩人で、この詩は亡くなる前年に恋人と軽井沢を旅行したときのことを描いたものとのこと。その日の喜びや幸せな未来を望む純粋な気持ちが歌声に込められていたのだと思う。

「鴎」(作曲:木下牧子、作詞:三好達治)は「ついに自由は彼らのものだ」というフレーズが何度も繰り返されるが、戦時中、職業詩人として戦争を賛美する作品を書かざるを得なかった三好達治が終戦の翌年に発表した詩とのことだから、この詩にはやっと自由を得た三好達治の喜びが込められているのだろう。その感動が伝わってくるようで、私の心まで熱くなった。

第2ステージではドヴォルザークがアドルフ・ヘイドゥックの詩集「ジプシーの歌」から7編の詩を選んで作曲したという歌曲集が演奏されたが、最も感動したのは4曲目の「わが母の教えたまいし歌」だ。「年老いた母がおれに歌を教えた時に、しょっちゅう、まつ毛に涙をためていた。今おれが子供たちに歌の稽古をさせていると、しばしば日焼けした頬を伝って涙がひげの中にしたたってくる」という詞を読むだけで胸に迫るものがあったが、これをクラーククラブが歌われると、皆さん、既に亡きお母さまか又は年老いたお母さまのことを思い浮かべながら歌われたのか、メロディーがお母さまへの愛情や感謝で震えているように感じられ、ウルッと来てしまった。この味は大人にしか出せないと思う。

(続く)
ホリエモンこと堀江貴文さんの著書、「本音で生きる」を読んだ。堀江さんは東大在学中の1996年に起業し、4年後には東証マザーズへの上場を果たして時代の寵児となられる。しかし、2006年に証券取引法違反で逮捕され、実刑判決を受けて服役・・・そういう経験をされたからか、はたまた元々のご性格か、短く簡潔な言葉でズバズバ本音を語っておられる。ピッチャーに例えれば、直球勝負で打てるなら打ってみろと打者に迫るタイプか。

堀江貴文さん

堀江さんがおっしゃる「時間がないからできない、は現状維持を選んでいるだけ。時間がないは言い訳だ」はその通り。私もそういう言い訳をしていたが、合唱、バイオリン、ヨガ、お料理教室、登山・・とチャレンジすると決めたら時間ができた。続いているのは合唱とバイオリンだが、又、新しいチャレンジがしたくなれば、時間は必ず作れると思う。

その他、堀江さんがおっしゃる「実際には存在しない世間などというものを気にする必要はない」(そんなに多くの人から注目などされていない)とか、「自分の得意(コアバリュー)にこそ時間を使え。その為に得意な人に外注せよ」はその通りだと思うし、そうできるよう心掛けているつもりだ。しかし、次の二つには新鮮なサプライズがあった。

その1、人間関係の新陳代謝を図る。
その2、大事なのは Give, Give, Give だ。

安定した人間関係は快適で居心地の良いものだと思うが、しがらみから行動や考えが縛られることもある。だから、堀江さんは新しい出会いを自分に義務付けておられるが、その理由が「面倒くさいと感じることがあるからだ」と正直に告白されているところが面白い。身体と同じで、新陳代謝がなくなると人間関係もブクブク太ってしまうだけになるのだろう。

Give, Give, Give も意外な気がしたが、堀江さんの「僕が頻繁に会いたいと思う人は全員気前がいい」や「相手に尽くせば尽くすほど自分に返ってくる」には説得力があった。多分、私もそのように感じていたからだと思うし、私はそういう気前の良い人たちに支えれてきたのだろう。Give and Take と良く言うが、本当は Give and Given と言うべきなのかなと思った。
この本の終盤に「メメントモリ」という言葉を紹介されている。ラテン語で「死を忘れるな」という意味のローマ時代の言葉だが、今よりずっと死が身近にあった時代でさえ人々は自分が死ぬことを忘れがちだったのだから、飢饉が克服され、医学も進歩した現代に生きる我々はすっかり自分が死ぬことを忘れ去っている。では、どうすべきなのか? 北野さんはこう結んでおられる。

「昔は死がそこら中に転がっていた。兄弟の何人かは幼いうちに死んでいたし、病気や怪我で簡単に人は死んだ。死を目の当たりにすれば、誰もが自分の死について考える。死を考えることは、生について考えることだ。道徳を作るなら、まずは自分がいつか必ず死ぬってことについてよく考えてみることだ。自分の死をしっかり腹におさめておけば、人生で大きく道を誤ることはないはずだ。メメントモリは道徳の土台なのだ。」

その通りかも知れない。ご近所にお住まいのHさんはガンで余命4カ月と宣告され、どう生きるかを真剣に考える内に肚が据わったとおっしゃる。その後、誤診と分かったが、今もその時の思いを話されるときはシャキッとされるから、死を考えると真面目に生きることを考えるようになるのだろう。

あと100年もすれば、今、地球上にいる人たちは殆ど死んで居なくなっている。そう考えると、同じ時代を生きる我々は同じ船に乗った乗客のようなものなんだから、互いを尊重し合い、仲良く過ごすことを考えるべきだろう。そんな思いを知合いの牧師さんにメールで伝えたら、すぐさまこんな返事が来た。「その通りです。争っているヒマなどありません。」

メメントモリ (^O^)/