ヨーグルトの中ぶたに面白い川柳を発見!



「フードロス 残していいのは 笑顔だけ」


フードロスをなくそうという趣旨だが、説教じみていないから、思わず笑顔になる。素晴らしい。


「おいしいね 年に一度の 保存食」


この一年、災害時のために準備していた保存食の出番が幸いなかった。感謝の気持ちが伝わってくる。素晴らしい。


いちばん気に入ったのは次の川柳だ。


「規格外 人も野菜も 味がある」


安全や衛生に関わるものは規格内であって欲しいが、野菜の形や大きさ、人の性格や特技に関しては規格外に感心したり、ホッとしたりもしそうだ。AIに対抗できるのは、案外、そういう規格外の発想や着眼点、そして行動力かも。

ソプラノ富永美樹さんとメゾソプラノ久利生悦子さんのコンサート、「Le Lion Concert Vol.3」にお邪魔した。ピアノは小滝翔平さん。

 

 

第一部は「ロミオとジュリエットの世界」と題し、オペラ「カプレティ家とモンテッキ家」から2曲、オペラ「ジュリエッタとロメオ」から1曲、そして、ミュージカル「ウェストサイド物語」から3曲を歌われたが、会場に向かうべく私の乗っていた京王井の頭線の電車が途中で止まってしまい(沿線で火災事故があったらしい)、残念ながらオペラの3曲は聞き逃し、「ウェストサイド物語」の「I feel pretty」、「Somewhere」、「Tonight」はドア越しに聞くこととなった。

 

「I feel pretty」は若いエネルギーと希望に満ちた歌声だったが、恋人トニーが兄ベルナルドを殺したことを未だ知らないマリアが無邪気に歌った曲とのこと。心が痛む。「Somewhere」の歌声には祈りを感じたが、どこかに安らぎの地があって欲しいと願うマリアとトニーの歌だったのだろう。「Tonight」は「ロミオとジュリエット」に出て来るバルコニー・シーンに相当するんだとか。ホールの中で聞いてみたかった。

 

第二部は「昭和歌謡と悲劇オペラ」と題し、富永さんと久利生さんが4曲の昭和歌謡を歌われ、次にピアノの小滝翔平さんがショパンの「スケルツォ第2番」をソロで披露された後、再びお二人が出て来られ、悲劇オペラから3曲を歌われた。富永さんは松田聖子の「瞳はダイヤモンド」を、久利生さんはちあきなおみの「喝采」を歌われたが、どちらも豊かな感情が溢れ出るような歌いっぷりで大きな拍手が湧いた。


圧巻はオペラ「蝶々夫人」の「花の二重唱」で、蝶々夫人の富永さんとスズキの久利生さんがピンカートンの帰還を知って喜び、花びらを撒いて出迎えの準備をする歌声が喜びに満ちていただけに、結末を思って心が痛んだ。アンコールにはピエトロ・マスカーニの「アヴェマリア」を歌われた。オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲に歌詞が付けられたもののようで、この間奏曲が大好きで、バイオリンで練習している我が身としては、大変嬉しいアンコール曲となった。

中入り後は旭堂南海さんの「蘇生の五兵衛」から始まった。植木屋の五兵衛は大酒呑みで、仕事先で「この焼酎一升を飲み干したら50銭やるがどうだ?」と言われ、「好きな酒を呑んだ上に50銭までもらえるなら」と芋焼酎一升を飲み干して50銭を手にして帰宅する。ところが、玄関で転んで胸を強打し、意識を失って息をしていないと思われたことから葬式を出され、埋葬までされてしまう。それが何かの拍子に目覚め、ご近所さんや奥さんを驚かすという話だった。酔っぱらっているときも蘇生してからも、どことなく間延びした感のある五兵衛さんの様子がおかしくて、何度も笑わせて頂いた。

 

打って変わって、鯉風先生の「緑十字機の墜落」は、聞くほどに前のめりになるのが分かるほど次の展開が気になり、一言も聞き逃してはならないと思わせる話だった。

 

「日本の終戦記念日は8月15日ですが、アメリカでは9月2日の戦艦ミズーリでの降伏文書調印の日が戦勝記念日とされています。戦争は9月2日まで続いていたんです」という鯉風先生の前置きに、いったいどんな話をされるのかと思ったが、私の知らなかった史実を教えられることになった。

 

昭和20年8月15日の玉音放送により、日本は終戦を迎えたはずであったが、これに従わない陸軍の近衛連隊や海軍の厚木飛行場は徹底抗戦の構えを見せていた。そんな最中、マッカーサーから降伏文書に関する協議のため、降伏全権大使をマニラまで派遣するよう求められ、搭乗すべき飛行機は軍用機との識別のため白く塗り、緑十字を胴体に描くよう指示される。これが「緑十字機」だ。

 

(インターネットからお借りしました)

 

緑十字機には航続距離の長い一式陸攻が選ばれ、連合国側ではなく、日本の徹底抗戦派からの妨害に遭いながらも、8月19日、木更津から沖縄の伊江島まで向かい、海軍の河辺中将始め降伏軍使一行はそこからマニラまで米軍機で向かう。何とかマニラで降伏文書に関する折衝を終え、一行は伊江島まで米軍機で送り返されると、そこから再び緑十字機で木更津を目指すが、途中、燃料切れから飛行不能となり、静岡県磐田市の鮫島海岸に胴体着陸を余儀なくされてしまう。

 

幸い、怪我人はなく、降伏文書も全て回収できたため、一行は東京まで飛べる飛行機と無事に使える飛行場を探し、故障したまま置かれていた爆撃機「飛龍」を見付けると、これを急ぎ修理して浜松飛行場から飛び立つ。そして、8月21日、調布飛行場に無事着陸する。緊迫の数日間だった訳だが、もし、降伏文書が東京に到着していなければ、未だ戦争は終わらず、ひょっとすると徹底抗戦派との内戦状態に陥ったかも知れないし、ドイツのように一つだった国が分断されてしまったかも知れない。「戦争は始めるのは簡単でも、終わらせるのが本当に難しい」という鯉風先生の言葉が良く分かった。


それにしても、皆を笑わせることもあれば、深く考えさせたり、感動させたりする講談は実に奥が深い。