そして、予告のなかった「もう一席は当日のお楽しみ」が始まった。12月に泉岳寺の近くで催される講談会だから、恐らく赤穂浪士の話だろうと想像はしていたが、鯉風さんが数ある「義士銘々伝」の中から選ばれたのは大高源五の話だった。

 
討ち入りを翌日に控えた12月13日、松尾芭蕉の弟子、宝井其角が両国橋で大高源五を見掛ける。2人は俳諧を通じて以前から顔見知りではあったが、源五がみすぼらしい姿で大掃除用の煤竹(すすたけ)を売り歩いているのを見て其角は心を痛める。しかし、そこは互いに俳人であることを幸いと、上の句と下の句を詠み合うことで旧交を温めようと源五に声を掛ける。
 
先ず、其角が上の句を詠む。
「年の瀬や水の流れと人の身は」
これに源五が下の句を詠む。
「明日待たるるその宝船」
 
 其角には下の句の意味が分からないが、多分、明日からは煤竹に代え、縁起の良い宝船の飾りを正月用に売るのだろうと解釈し、あまりにも源五が寒そうに見えたことから、自分が着ていた羽織を源五に与えて別れる。しかし、その羽織が俳諧を教えている松浦のご隠居からもらったものであることを思い出し、其角はその足でご隠居を訪ね、両国橋で出会った源五に羽織を与えてしまったことを詫びる。又、源五とは上の句と下の句を詠み合ったことも伝えるが、それを聞いたご隠居は下の句の「宝船」に込められた源五の覚悟に気付き、「明日は全国の大名たちが荒肝を冷やす出来事が起こるであろう」と呟く。そして翌14日、源五たち四十七士の赤穂浪士が吉良邸への討ち入りを果たす。
 
吉良邸に討ち入り、吉良上野介の首級を上げた赤穂浪士は泉岳寺まで引き揚げ、主君の墓前で仇討ちを成し遂げたことを報告する。又、切腹後は主君が眠る泉岳寺に埋葬される。その泉岳寺が直ぐそばにあるだけに、高輪クリニックで聞く赤穂浪士の講談には生々しい迫力があるし、これを聞くと、無事に年末年始を迎えられそうな気分にもなる。いつものことながら、源五や其角、松浦のご隠居など登場人物の姿や表情が目に浮かぶようになる鯉風さんの講談は聞き応えがあった。感謝。

20回目を迎えたという、神田鯉風さんの「高輪講談会」にお邪魔した。

 

 
先ずは「合衆国皇帝ノートン一世」という鯉風さん新作の講談が始まった。アメリカに皇帝がいた筈はないし、これは架空の物語かと思ったが、実は1849年、サンフランシスコに現れたジョシュア・ノートンという実在の人物がいて、ゴールドラッシュに沸く同地で不動産に投資して成功を収め、地元でも有数の実業家になったとのこと。ちなみに、サンフランシスコには 49ers というフットボール・チームがあるが、これは1849年にサンフランシスコに殺到したゴールド目当ての採掘者をそう呼んだことから命名されたらしい。
 
さて、大成功した実業家ノートンは更なる成功を期して、銀行に勧められるまま小麦に投資するが、直後に小麦相場が大暴落したことから経営していた会社は倒産、財産も失い、行方不明になってしまう。鯉風さんがここで、「これだから銀行なんざ信用してはいけません。家族に銀行マンがいた私が言うのだから間違いありません」で会場から笑いが漏れた。私は中小企業の経営者だった父が「銀行は晴れの日に傘を貸し、雨に日にそれを取り戻しに来ると言われてる」と言っていたのを思い出した(笑)
 
ところが、1859年に失踪していたノートンがサンフランシスコに再び姿を現し、「自分は合衆国初代皇帝だ」と宣言し、次々に勅令を出し始める。最初は単に面白がっていた人々も、その内容に我欲や強制がなく、人々の快適な暮らしを望む愛情が感じられたことから次第に人気を博し始め、訪問する工場や学校、レストランで人気者になっていく。医学的には統合失調症を患っていたと言われているそうだが、ノートンが提唱していたサンフランシスコとオークランドをつなぐ「吊り橋」はその後、実際に計画されたようで、1936年に完成しているようだ。
 
ノートンを統合失調症の病人と見るか、それとも、人々への愛情に満ちた無欲の自由人と見るか。そんなことを考えながら聞いていたが、ノートンのお墓が今も地元で守られていると聞き、当時の人々が出した答えを聞いたように思った。実に印象深い講談だった。ノートンの存在を教えてくれた鯉風さんに感謝。

男声讃美歌研究会でご指導頂いている渡辺宏子先生から「Christmas Charity Concert 2025」のご案内を頂いた。出演は聖心女子大学聖歌隊と女声合唱団 Filles du Sacre Coeur(以下「FSC」、聖歌隊OGやグリークラブOGの皆さまが運営)、客演はコロンえりかさん。興味はあったが、一人で女子大キャンパスに乗り込む度胸がなかったため、同級生のA山さんを誘い、二人で会場の聖心女子大学聖堂へと向かった。

 

 
第1ステージはヘンデルの「メサイア」女声合唱版の第一部「降誕」から選ばれた十数曲と第二部「受苦」の終曲「ハレルヤ」を聖歌隊とFSCの皆さんで歌われ、客演のコロンえりかさんがレチタティーヴォとアリア数曲を歌われたが、混声合唱で聴く「メサイア」と異なり、清らかで透き通ったハーモニーが聖堂に響き渡り、心が清められたように感じた。
 

 
第2ステージは先ず、聖歌隊の皆さんがジョン・ラターの作品2曲を歌われたが、その内の1曲「For the Beauty of the Earth」は男声讃美歌研究会でも歌ったことがあり、男声で歌う力強さではなく、美しい大地や自然を思い、神さまに感謝するという迷いのない信仰がストレートに伝わって来るようで感動した。
 

 
次にFSCの皆さんが Sarasola というスペイン、バスク地方の作曲家の作品を2曲、そしてグレゴリオ聖歌を1曲歌われたが、前者の2曲には信仰の喜びが、グレゴリオ聖歌には信仰の厳しさが感じられ、どちらも聴き応えがあった。その後は聖歌隊の方々が加わり、グレゴリオ聖歌を1曲一緒に歌われたが、ユニゾンの歌声がきれいに一つにまとまり、その美しい響きに思わず隣のA山さんと顔を見合わせた。


その後はクリスマスキャロルを10曲ほど歌われたが、場所が聖堂で正面には十字架が見えたことから、少し厳かな心持ちで美しい合唱を聴かせて頂いた。最後に会場の方々も一緒に Silent Night, Holy Night を合唱し、和やかな気持ちになったところで失礼したが、出口に「ESAアジア教育支援の会」と書かれた募金箱を持つ少女が立っておられたので、気持ちだけ募金をさせて頂いた。ちなみに、ESA とは Education Sponsorship in Asia とのことで、 インド、バングラディシュを対象地域とし、子供たちのための教育支援や学校建設などの事業を展開しているNPO法人のようだ。どういうつながりから分からないが、聖心女子大学もESAの趣旨に賛同し、協力されているのかと思う。
 

 
又、客演のコロンえりかさんは「Bruder」(ドイツ語で兄弟という意味らしい)というドキュメンタリー映画に取り上げられた「目の見えない子、耳の聞こえない子、車いすの子、自閉症の子、そして障がいのない子供たちが一緒になって挑戦した音楽の都ウィーンでのベートーベン『第九』公演」の芸術監督を務めておられたようだ。私にはできない活動をされていることに頭が下がる思いをした。99分の映画で、一昨日の12日(金)からアップリンク吉祥寺で公開されているとのこと。観に行こうかと思う。


気楽な気持ちでお邪魔したチャリティ・コンサートだったが、多くの異なる感動を頂いた。感謝。