2025年9月4日に始まり、2026年5月30日に終わるというツアーだが、12月28日(日)、オーチャードホールに来られると分かり、半年前にチケットを予約した。清塚さんはNHKの「クラシックTV」で番組が取り上げた音楽家や曲を大変分かりやすく解説されているが、今回のコンサートでも、笑いを取りながら巧みに作曲家の紹介や曲の背景を解説されていた。こちらからすると関心が高まったところで演奏されるから、私など聞き耳を立てながら前のめりになって聞いてしまった。

 

さて、前半は「ベートーベンとシューベルト」、「シューマンとブラームス」、「瀧廉太郎とショパン」、「ドビュッシーとラフマニノフ」という「二人一組」ごとに二人の関係性又は共通点を説明し、各々の作品を演奏されたが、これが実に興味深くて勉強になった。

 

「ベートーベンとシューベルト」

ベートーベンは晩年ウィーンで5本の指に入るほどの資産家になったが、一方のシューベルトは全く売れず、彼を支える支援サークルの方々のお世話になっていたらしい。そんな説明の後、ベートーベンのピアノ・ソナタ第23番「熱情」を聞くと、迷いのない喜怒哀楽のエネルギーが充満しているように感じたし、シューベルトの即興曲 変ホ長調 作品90 第2番というのを聞くと、不安や迷い、躊躇、幸福への願望などが実際に込められているように感じた。


「瀧廉太郎とショパン」

この二人には、若くして結核に冒され、早逝してしまったという共通点があり、瀧廉太郎は23才で亡くなっている。彼はベルリン留学中に結核にかかり、やむ無く帰国して療養するも回復せず、亡くなる数ヵ月前に作曲したのがこれから演奏する「憾(うらみ)」というピアノ曲だ説明された。更には、「最後の音はレ。これは廉太郎のレで、普通は左手で弾く低い音だが、わざわざ右手で弾けと指示されている」と説明されたから、俄然、曲への関心が高まった。曲そのものは美しく、怨念のようなものは感じなかったが、最後の「レ」には、「もっと生きたい」という瀧廉太郎の心の叫びを感じた。



清塚さんのトークは噂に違わず軽妙でウィットに富み、何度も笑わされた。最後の曲を演奏される前など「アンコールで出て来るには拍手が必要です。皆さん、全力で拍手するんですよ、だって今日は座ってただけなんだから」とおっしゃったが、回りの方々は「待ってました」とばかりに大笑いしながら拍手をされていて、清塚さんとは相思相愛の仲なんだと思った。ただ、音楽に疎い私にとっては、清塚さんの作曲家や曲についての紹介が何よりも有り難がった。

高校時代から続いている運動部仲間の忘年会、「ピーマン会」に参加するため帰省した。先ずは今回も「これは切符ではありません」という利用票を手に不安な面持ちで新幹線に乗車(笑)



京都駅で湖西線に乗り換え、両親が眠る琵琶湖畔の和邇へ。母には赤のカーネーションを加えた花を、父には好物だったエクレアを供えた。


ピーマン会まで時間がたっぷりあるので、山科駅で下車、疎水沿いに学生時代に住んでいた日ノ岡まで歩くことにした。安朱橋から出発。


「イノシシに注意!」にビックリ。ただ、良く読むと「人慣れしたイノシシ」らしく、「餌を与えないように」と書いてある。餌は持っていないので注意は守れる(笑)


しばらく歩くと赤い橋が見えてくる。日蓮宗大本山本圀寺への道。春には疎水の両岸に桜が花開き、とても美しいところ。


更に行くと黒岩橋があり、その先にトンネルが見える。ここに来たのは20年振り。左の道を上がったところに実家があった。ちょっとだけタイムスリップした。


もう少し歩こうと、日ノ岡から九条山を越えて南禅寺へ。門をくぐれば、明治時代に造られた赤レンガの水道橋、「水路閣」を見られるが、足がつり始めたので中止(笑)


ふと歩数計を見たら、1万5000歩を超えていたので、近くにあったカフェで一休み。見事なアートが施されたカフェオレ。


仁王門通りを東山通りまで歩く途中に平安神宮の鳥居が見えた。「鳥居の上にはトラックを6台停められるだぞ」と小学生の頃、教えてもらった記憶がある。


ピーマン会は午後5時に開始。
会費を集めていたメンバーがトイレに行くなり、「あいつ、どこ行った?会費を持ち逃げか」(笑)、髪の毛が薄くなったメンバーが「昨日、床屋に行ってきた」と言うなり、「お前、それ、無駄遣いや」(笑)、一時間遅れで参加したメンバーが到着するなり、既に酔っ払ってるくせに「3分前まで飲まずに待ってたんやぞ。謝れ!」(笑)
と、今年も言いたい放題、笑い放題の賑やかな会になった。こんな70才で大丈夫かな。



そして、予告のなかった「もう一席は当日のお楽しみ」が始まった。12月に泉岳寺の近くで催される講談会だから、恐らく赤穂浪士の話だろうと想像はしていたが、鯉風さんが数ある「義士銘々伝」の中から選ばれたのは大高源五の話だった。

 
討ち入りを翌日に控えた12月13日、松尾芭蕉の弟子、宝井其角が両国橋で大高源五を見掛ける。2人は俳諧を通じて以前から顔見知りではあったが、源五がみすぼらしい姿で大掃除用の煤竹(すすたけ)を売り歩いているのを見て其角は心を痛める。しかし、そこは互いに俳人であることを幸いと、上の句と下の句を詠み合うことで旧交を温めようと源五に声を掛ける。
 
先ず、其角が上の句を詠む。
「年の瀬や水の流れと人の身は」
これに源五が下の句を詠む。
「明日待たるるその宝船」
 
 其角には下の句の意味が分からないが、多分、明日からは煤竹に代え、縁起の良い宝船の飾りを正月用に売るのだろうと解釈し、あまりにも源五が寒そうに見えたことから、自分が着ていた羽織を源五に与えて別れる。しかし、その羽織が俳諧を教えている松浦のご隠居からもらったものであることを思い出し、其角はその足でご隠居を訪ね、両国橋で出会った源五に羽織を与えてしまったことを詫びる。又、源五とは上の句と下の句を詠み合ったことも伝えるが、それを聞いたご隠居は下の句の「宝船」に込められた源五の覚悟に気付き、「明日は全国の大名たちが荒肝を冷やす出来事が起こるであろう」と呟く。そして翌14日、源五たち四十七士の赤穂浪士が吉良邸への討ち入りを果たす。
 
吉良邸に討ち入り、吉良上野介の首級を上げた赤穂浪士は泉岳寺まで引き揚げ、主君の墓前で仇討ちを成し遂げたことを報告する。又、切腹後は主君が眠る泉岳寺に埋葬される。その泉岳寺が直ぐそばにあるだけに、高輪クリニックで聞く赤穂浪士の講談には生々しい迫力があるし、これを聞くと、無事に年末年始を迎えられそうな気分にもなる。いつものことながら、源五や其角、松浦のご隠居など登場人物の姿や表情が目に浮かぶようになる鯉風さんの講談は聞き応えがあった。感謝。