興味深く読ませて頂いた。ニセコとは、大量の外国人観光客が押し寄せている北海道・ニセコのことで、地元のタクシー運転手さんの言葉を借りると「外国だなっていう印象ですね。日本じゃないと思います」となる。


そんな書き出しから、日本そのものが外国人観光客に占拠され、ニセコのようになるぞという予言書又は警告書かと思ったが、読み進む内にそうではないことが分かった。



すなわち、ニセコは元々スキー愛好者には大人気だった「ジャパウ」と呼ばれる Japan Powder Snow が楽しめる場所で、これをPRするなら外国人富裕層客向けに絞ることを「選択」し、次に街ぐるみで様々なサービスを彼ら向けに「集中」することでリゾート地として大成功を収めたらしい。要は「選択と集中」をすることで、狙いを定めた消費者を引き寄せることが可能になるという趣旨らしい。

 

スターバックスの例も面白かった。「フラペチーノ」の導入で若い女性客を狙ったところ、これが当たったことからコーヒー好きのオジサンは敬遠するようになったらしいが、若い男性客も増えたことで客層が若返り、ちょっと背伸びしてでも行きたいというカフェになったとのこと。確かに、疲れ切ったようなオジサン客がいないから、私は正直入り辛い(笑)

 

びっくりドンキーの話も説得力があった。「ハンバーグ」に特化して素材にこだわり、冷凍ではなく生で配送するシステムまで作り、更には箸で食べられる厚さにすることで「ハンバーグ好きの日本人客」への選択と集中を行ったらしい。その結果、競合ファミリーレストランを支持する理由が「値段の安さ」にあるのに対し、びっくりドンキーの支持理由は「美味しいから」で、根強い固定客を獲得したとのこと。

 

丸亀製麺は「粉から手作り。材料は国産小麦、水、塩のみ」を強調し、それが見える動線を店内に施したことから、そういうコンセプトを重視する顧客を得て復活したとのこと。創業者の「全員がイイネと思うものを目指すと平均化して個性がなくなる」という言葉が紹介されていたが、日本は商品もサービスも、もっと言うと会社も個人も、個性をなくしてしまうとサバイバルできない時代になったのかなと思った。

2025年9月4日に始まり、2026年5月30日に終わるというツアーだが、12月28日(日)、オーチャードホールに来られると分かり、半年前にチケットを予約した。清塚さんはNHKの「クラシックTV」で番組が取り上げた音楽家や曲を大変分かりやすく解説されているが、今回のコンサートでも、笑いを取りながら巧みに作曲家の紹介や曲の背景を解説されていた。こちらからすると関心が高まったところで演奏されるから、私など聞き耳を立てながら前のめりになって聞いてしまった。

 

さて、前半は「ベートーベンとシューベルト」、「シューマンとブラームス」、「瀧廉太郎とショパン」、「ドビュッシーとラフマニノフ」という「二人一組」ごとに二人の関係性又は共通点を説明し、各々の作品を演奏されたが、これが実に興味深くて勉強になった。

 

「ベートーベンとシューベルト」

ベートーベンは晩年ウィーンで5本の指に入るほどの資産家になったが、一方のシューベルトは全く売れず、彼を支える支援サークルの方々のお世話になっていたらしい。そんな説明の後、ベートーベンのピアノ・ソナタ第23番「熱情」を聞くと、迷いのない喜怒哀楽のエネルギーが充満しているように感じたし、シューベルトの即興曲 変ホ長調 作品90 第2番というのを聞くと、不安や迷い、躊躇、幸福への願望などが実際に込められているように感じた。


「瀧廉太郎とショパン」

この二人には、若くして結核に冒され、早逝してしまったという共通点があり、瀧廉太郎は23才で亡くなっている。彼はベルリン留学中に結核にかかり、やむ無く帰国して療養するも回復せず、亡くなる数ヵ月前に作曲したのがこれから演奏する「憾(うらみ)」というピアノ曲だ説明された。更には、「最後の音はレ。これは廉太郎のレで、普通は左手で弾く低い音だが、わざわざ右手で弾けと指示されている」と説明されたから、俄然、曲への関心が高まった。曲そのものは美しく、怨念のようなものは感じなかったが、最後の「レ」には、「もっと生きたい」という瀧廉太郎の心の叫びを感じた。



清塚さんのトークは噂に違わず軽妙でウィットに富み、何度も笑わされた。最後の曲を演奏される前など「アンコールで出て来るには拍手が必要です。皆さん、全力で拍手するんですよ、だって今日は座ってただけなんだから」とおっしゃったが、回りの方々は「待ってました」とばかりに大笑いしながら拍手をされていて、清塚さんとは相思相愛の仲なんだと思った。ただ、音楽に疎い私にとっては、清塚さんの作曲家や曲についての紹介が何よりも有り難がった。

高校時代から続いている運動部仲間の忘年会、「ピーマン会」に参加するため帰省した。先ずは今回も「これは切符ではありません」という利用票を手に不安な面持ちで新幹線に乗車(笑)



京都駅で湖西線に乗り換え、両親が眠る琵琶湖畔の和邇へ。母には赤のカーネーションを加えた花を、父には好物だったエクレアを供えた。


ピーマン会まで時間がたっぷりあるので、山科駅で下車、疎水沿いに学生時代に住んでいた日ノ岡まで歩くことにした。安朱橋から出発。


「イノシシに注意!」にビックリ。ただ、良く読むと「人慣れしたイノシシ」らしく、「餌を与えないように」と書いてある。餌は持っていないので注意は守れる(笑)


しばらく歩くと赤い橋が見えてくる。日蓮宗大本山本圀寺への道。春には疎水の両岸に桜が花開き、とても美しいところ。


更に行くと黒岩橋があり、その先にトンネルが見える。ここに来たのは20年振り。左の道を上がったところに実家があった。ちょっとだけタイムスリップした。


もう少し歩こうと、日ノ岡から九条山を越えて南禅寺へ。門をくぐれば、明治時代に造られた赤レンガの水道橋、「水路閣」を見られるが、足がつり始めたので中止(笑)


ふと歩数計を見たら、1万5000歩を超えていたので、近くにあったカフェで一休み。見事なアートが施されたカフェオレ。


仁王門通りを東山通りまで歩く途中に平安神宮の鳥居が見えた。「鳥居の上にはトラックを6台停められるだぞ」と小学生の頃、教えてもらった記憶がある。


ピーマン会は午後5時に開始。
会費を集めていたメンバーがトイレに行くなり、「あいつ、どこ行った?会費を持ち逃げか」(笑)、髪の毛が薄くなったメンバーが「昨日、床屋に行ってきた」と言うなり、「お前、それ、無駄遣いや」(笑)、一時間遅れで参加したメンバーが到着するなり、既に酔っ払ってるくせに「3分前まで飲まずに待ってたんやぞ。謝れ!」(笑)
と、今年も言いたい放題、笑い放題の賑やかな会になった。こんな70才で大丈夫かな。