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ジーコ監督→オシム監督

久しぶりの連続更新です。

まずは、ウクライナ決勝トーナメント進出おめでとう!!!

妻は帰国中ですが、やはり興奮気味です。

旧ソ連崩壊後、ロシアでも成し遂げていない偉業を!!!すばらしいの一言に尽きます。

シェフチェンコにもちろん注目が集まっておりますが、シャフタールドネツク所属のMFアナトリー・ティモシュチェクの活躍には目を見張るものがあります。早いチェックの中盤からカウンターが効果的でしたね。今日はベスト8をかけてスイスを対戦です。


ジーコ監督退任


ジーコお疲れ様でした。

「戦術が感じられない」いろいろ叩かれてきましたね。マスコミのジーコ批判には困ったものです。

しかし、ジーコ監督の偉業は「ワールドカップに出場させたこと」にあると思います。2002年は開催が決定した時点ですでに出場が決定してましたね。1998年、2006年のみ予選から出場権を勝ち取りました。その他、アジアカップも制して、コンフェデ杯にも出場。EURO2004を制した、ギリシャから勝ち点を取ったではありませんか。日本のサッカーレベルを発展させた人といえます。ジーコ監督の偉業は計り知れません。


ジーコお疲れ様でした!


そこで、オシム監督の登場。

オシム監督は我が愛する南東欧地域、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国サラエボの出身です。

「オシム語録」と言われる、ウィットの利いた会見やインタビューは以前から注目をしておりました。

限界には、限界はありません。


 

限界の定義は何だと思いますか。


 

限界は個々の選手の目標で、


 

限界を超えれば、


 

次の限界が生まれるのです。


 

今後が楽しみです。



またまた久しぶりです

おひさしぶりです。一年ぶりの更新です。

唐突ですが、川崎市高津区子母口に移転しました。

なぜ? そうです、理由があるから移転したのですが、神奈川県内ならどこでも良かったとだけ、

話しておきましょう。東京に比較的近く、しかも家賃が安い。それだけですね。

子母口(しぼくち)というところは、溝口からバスで15分、元住吉からもバスで15分、最寄の駅は

武蔵新城徒歩25分という、大変交通至便なところにございます。

バスで駅まで通ったりするのは、生まれて初めてです。


ここ子母口にはおいしいお店がいくつかありますが、少しずつ紹介をしていきたいと思います。

1)酒処 たけちゃん

2)ステーキハウス Canadian19

3)七五三寿司(しめずしと読む)

約一ヶ月の調査の結果、この3店がかなりいけてます。


この中で特にお薦めなのが、「たけちゃん」です。

場所は子母口バス停近くのリサイクル店の裏にあるとだけご案内しましょう。

営業時間は17:00-23:00です。お店にはカラオケがあって普通の酒処で、

お客さんのほとんどが地元の人で占められているお店です。MAX10名といったところでしょうか。

しかし、そこには珠玉の料理があるのです。


「自家製ギョウザ」


これがすごい。一度食べたら、病み付きになります。はい。ヘルシーな味付けなのですが、

愛媛県出身のママさん自慢のギョウザです。

その他に、「焼きうどん」「さばみそ」、すでに小職ははまりまくっております。


川崎市の高津区、中原区の方、一度是非足を運んでみてはいかがでしょうか?

久しぶりです

お久しぶりです。

すでにブログを持っていたことすら忘れてました。 (;^。^)

青山ご在住の社長さんhttp://blog.livedoor.jp/wolfdayo/

からPUSH がはいりまして、久しぶりに書いてみました。

アクセス数、あがるのでしょうか?


そういえば、年末はブルガリアで過ごしました。

もともと、私は長野オリンピックのブルガリア選手団のお世話係をボランティアでしておりまして、

何を隠そう、大学時代にブルガリア人のGFがいたこともありました。


小生=ロシア というイメージが強いようですが、実はブルガリア畑出身なんです。

最後に、1999年にブルガリアを訪問して以来、6年ぶりの訪勃牙利(ブルガリア)でした。


一番驚いたのは「空港」でした。最後に訪問をしたときは、バス停に毛が生えたようなお粗末な空港でしたが、すっかり改装されて、西欧化しまくっておりました。


最近では、琴欧州が有名になりましたね。

今回訪問をしたのは、ウクライナに滞在していたときに、弊社のスタッフから、

「社長、ブルガリアのガイドの手配が間に合いません、社長行ってきて」

とありました。

12/27妻の実家のあるスムィ(SUMY)市を早朝に発ち、電車で5時間かけてキエフへ。

3時間の乗り継ぎのあと、ブルガリア行きの夜行列車に乗りました。

キエフからブルガリアのソフィアまでは約38時間です。

飛行機で行こうとも考えたのですが、モスクワかフランクフルトを経由しないとたどり着けないため、

夜行列車となりました。さて、キエフで列車に乗り込みました。

コンパートメントは「ウクライナ人親子とルーマニア人と私」の4人編成。

スムィで赤ちゃんの夜鳴きのせいか、睡眠不足になやまされておりまして、熟睡することができました。

夜23:00頃、ウクライナ人親子が下車すると、明らかにロシア系でないグループが乗り組んできました。

「Kak si ? 」 おおおおおお、ブルガリア語ではないですか!

感激しながら、彼らを迎えました。彼らも私のブルガリア語に少し感激したようでした。

しかし、語学とは使っていないと衰えますね。会話がどうしてもロシア語になってしまいます。

大学4年生の頃はアンチロシアでロシア語を話すことができず、ブルガリア語一辺倒だったのですが、

10年経つとこうも変わってしまうのか・・・・。と寂しくなりましたね。


続く


最近ブルガリア人のシンクロナイズドスイミングチームが密かに人気があるようですね。

ウクライナ

これから出発です。

いよいよウクライナ、妻に会える!!

5/16から3時間くらいしか寝てません。仕事の引継ぎが多いから。

飛行機の中では、熟睡ですね。

楽しみ楽しみ。がんばります。



ロシアの韓国系のロシア人と論争?

ウラジオストクに到着する。

市内と空港は70km離れているのだが、市内にさしかかる通りに

突然LGの看板が目に映る。

韓国の企業はロシア・ウクライナでの販売活動は好調で、

企業としての知名度も高い。

街行く人々の携帯電話は圧倒的にNOKIAかLGだ。

私もLGは好きである。

ウラジオストクで一番高級なホテルは現代ホテル(HYUNDAI HOTEL)。

韓国系ロシア人の人も多く在住する。


ところで、2年前のある日、韓国系のロシア人と話すことがあって、

論争をしてしまったことがある。日本へ留学経験があるそうだ。

彼と話していて、サッカーの話題になった。


ちなみに、私は元パープルサンガ京都でプレイをし、現PSVの「パク・チソン」が

好きなプレイヤーの一人である。パクチソンは先日のヨーロッパチャンピオンズリーグでも

大活躍をした。そこで、「パク・チソンはすごい!、ワールドカップは本当に

素晴らしいプレイでした」と話題を合わせると。

「ありがとう、でもね、われわれには一つ不満があるんですよ、ワールドカップはもともと韓国だけの開催だったの日本が汚い圧力で盗まれたんだ!」


(あれ?そんな話は聞いたことないなあ)


「ええ?そうなんですか?」と答えると、


「知らなかったの?何だ君は日本人特有の健忘症の持ち主かい?

日本人は過去のことを良く忘れるからなあ」


皮肉がきた。


当時私が知っていた報道としては、

1.当時のFIFA会長(アベランジェだったか?)が「アジアでやりたい」と発言。

2.その後、日本立候補

3.日本、単独開催に対して好感触

4.そこへ、当時の韓国サッカー協会の会長が大統領選挙も視野に入れて、開催立候補

5.韓国側がここで嘘か本当かは知らないがかなりFIFAやUEFAに数千万に上る

接待攻勢をしたらしい。まあ、これはよくあること。

6.韓国側が日本側のスポンサーとしての資金力などからFIFAやUEFAが

日本は外せないという意図を汲み、共同開催を目標に切り替える。

7.共同開催実現(韓国側、こぎつける)


このような情報を報道を聞いたことがある。

これらの日本での報道を彼に伝えると


「君は何もわかってない」


彼も、酔った勢いもあるのだろうが、私はあきれ、驚愕した。


詳しく聞くと、「韓国では共同開催にさせられた。と報道されている」とのことだ。


あれ・・・韓国側がスタジアム建設するのにお金がないと言って、

お金を貸したの日本じゃなかったっけ・・・・確か数千億円・・・・

まだ、返済中なはず。


さらに彼は


「日本人は本当にひどいことをしたんだ、君には直接な罪はないかも

しれないが、理解をする必要はある」等々・・・

話はさらに「日本人論」「日本人の歴史観」「従軍慰安婦問題」

(肯定的な意見はほとんどない、否定ばかり)

約1時間講義をくらってしまった。

彼は熱心に私の歴史観を否定し、韓国側の歴史観に洗脳していこうと、

それはそれは・・・・・

はい、わかりました! というのが精一杯。


しかし、私も日本人として、熱くなり、やや皮肉な質問をしてしまった。

(まだ若いですな)


「日本人のことを否定されるたり、嫌ったりのは結構ですが、

それでは韓国人は否定されたり、嫌われたりしないのですか?」


「それはない。我々は正義の民族だから」


(ううううううう、こういう人は苦手だ)


「私は旅行会社に勤務してましたが、イタリアでは<韓国人お断り>のホテルがあり、

日本には韓国人の武装スリ団が多く存在してます。これは?」


「それは、北の人たちだ」


(げろげろ)


「では、北でなく南の韓国は世界で最も強姦(レイプ)の発生率が高い国の一つと聞きますが」


「それは、いい女が多いからだ、日本軍がレイプの方法を教えてくれたのさ・・・」


・・・・・・・(熱くなる)


「そのおかげで、ベトナム戦争の時に参戦したときに、ベトナム人に対して虐殺やレイプをしまくったんですね」


「それは嘘だ!!!!君ねえーー日本の教科書で教育されると、

君のようにいい加減な情報を持つようになるのだろうね、個人的にももっと再教育が必要だよ」


「これはベトナムの人から聞きました」

(これは本当である。実際、ベトナムでは韓国のイメージは非常に悪い・・・)


「(彼の顔がさらに紅潮し)、いいか、日本のマスコミなんてあてにならん、いいか?

君の国のマスコミと教科書は最低なんだ!!!!わかったか」


「・・・・・事実なんですけどね、私が話したことは。今度ベトナムへ行ってください」


「ベトナムがどうのこうのという問題じゃない。日本人の資質と教育の問題だ!!」


「わかりました、わかりました。でも最後に一言だけ言わせてください。

海外にでて、都合が悪くなったり、悪いことをすると

「俺は日本から来た」という韓国の人を目撃したことがあります。

それはやめてください。そんなことをして何か得になるんですか?

それと、サムライと剣道は韓国人が最初に作った!という論争も韓国人として

やめてください。日本人から見ていい迷惑です」


「君は最終的にはそういうことを言うのか、やっぱり日本人だなあ・・」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・(無言)


とまあ、論争はあまり得意なほうではない。

でも、このような韓国の人にあったことが一度ではなく、2-3度ある。


私は実は韓国に対して、「不幸な過去があって、これからは友好を深めて

いかなくてはならないパートナー」という認識がある。

同世代の日本人の典型的な意見ではなかろうか。


複雑な思いで、竹島の行方を見守る・・・・合掌

移転しました

事務所を移転した。心の中に空虚感がある。

いよいよウクライナへ渡航するもののお世話になったW社から去ることは寂しいの一言である。

思えば3年前、W社のY社長とウラジオストクへ渡航し、出会ってからとんとん拍子で話がすすみ、

W社のオフィスへお邪魔することになった。決め手は「将来的に会社として大きくするというよりも少ないプロフェッショナル集団として10名前後で運営していきたい」Y社長は「同感です」。

いろいろな複層的な会話の中でも、この連帯感を共通する一言で「お邪魔になろう」と決めた。

小職の会社はまだ一期目であった。

Y社長と初めて会ったときの印象は物静かな印象であった。

しかし、話をしてみると、趣味の強い好奇心旺盛な行動の人であり、

「狼」としての会社の運営に高い誇りをもち、かつ「強運」な方でいらっしゃった。

「直感」でそう感じた。運の強さは大事である。

おかげで小職の会社は2期目に一気に売り上げを伸ばすことができた。

「強運」なY社長の運をおすそ分けしてもらった形である。

Y社長のW社と2年間を過ごして「草創期から成長期へ向かう会社」を目の当たりにさせていただいた。

Y社長の強い想いとともに会社が成長している。手作りで一つ一つ作られている。

学ぶことは多かった。直感型の小職とは雲泥の差であった。

末尾ながら、W社のY社長と皆様へ心からの感謝を申し上げます。

初めてのブルガリア

1992年はじめてブルガリアへ行った。大学2年生の頃であった。

小職のクラスメートの間で、夏休みを利用して、ヨーロッパを旅行することがブームになって、

影響され渡航を決めた。大学2年の時の冬休みを使い、アエロフロート航空にて

成田~モスクワ~ブルガリア~東欧旅行~ワルシャワ~モスクワ~成田。

一ヶ月強の旅行であったが、とても有意義な旅行であった。

2月はブルガリアもまだ寒く、雪が多く見られた。

ソフィアへ滞在後、プローブディフ、ヴァルナを観光して、ルーマニアとの国境の町

ルセに入った。雪が50cm前後積もっていて、バックパッカーの私には困難であった。

駅からあちこちで足を滑らせながら、プライベートロッジへ向かった。プライベートロッジとは、

年金生活者の方々が空室となっている部屋を旅行客に提供しているロッジまたはゲストハウス。

1泊朝食なしで10USD前後。一回目のヨーロッパ旅行ではほとんどユースホステルか

プライベートロッジへ宿泊していた。

ブルガリアのルセのプライベートロッジは素敵なところであった。

おじいさんと娘さん+ワンちゃん の家の一部屋を借りた。1泊8USD。

娘さんの名前はアリーサ。学生。ソフィアの大学で勉強しているが、たまたまルセへ帰郷していたようだ。

ブルガリア語を勉強したての私のブルガリア語はまだ不十分で、

英語がたよりでアリーサとは英語でコミュニケーションすることができて大変に助かった。

私と同じ年齢ということもあって、意気投合。本当に親切な女性で、急遽ルセの街を案内してくれることになった。ルセからルーマニアブカレストまでの列車のチケットを買う手伝いもしてくれた。

両親が2年前に事故でなくなったようで、「両親のためにも素敵な人生をおくるんだ」と話していたのが、

印象的だった。初恋に似た気持ちでデートしたこともあって、ルセは今でも良い思いでばかり浮かぶ。

ブルガリアは本当に優しい人が多く、プライベートロッジでは通常挨拶だけで済ませることが多いのだが、

ブルガリアはいつも旅行客を歓待してくれる。ホスピタリティ溢れる国だ。

日本語熱

ウラジオストクの第51学校に行ったことがあります。

この学校には日本語クラスがあって、小学校から勉強をスタートしてます。

写真のように、訪問をしたときは大歓迎でした。

大人の影響に関わらず、「日本に興味」がある子供達が純粋に勉強してます。

授業参観をして、「オモシロイ ニホンゴ オシエテ」と訪ねられたので、

「自転車のことを、チャリンコといいます。しかし、名古屋ではケッタ」といいます。

由来について聞かれ、身振り手振りで伝えたところ、理解してもらいました。

14歳くらいの女の子から失笑されました。(笑)

15-16才になって卒業し、もっと日本語を勉強したい人は極東国立総合大学の日本語学科などへ

進学するそうです。

こういった草の根レベルの交流って大切ですよね~。

 

10ヶ月

今日は良い天気だ。青山墓地を散歩したら、すこぶる気持ちが良い。でも眠い。「春眠暁を覚えず」とはこのこと。ひたすら睡魔が襲ってくる。

Kaetie Melua ケイティ・メルア

http://www.platia-ent.co.jp/artists/katie/

かなり良い。気に入った。癒し系か?

小職の最近のお気に入りは

アンドレイ・グービン http://www.gubin.aha.ru/
クラースキ http://www.kraski.org/
のデュオの Te,Kto Lyubit という歌が一番のお気に入り。

アンドレイ・グービンといえば、4-5年前にロシアでは大人気だったが、

最近は少々活動停止気味。久しぶりの復活を思わせる名曲である。

グービンは作詞・作曲もする。日本で云えば小室哲哉みたいな存在かも。

メロディラインはまったく違うけど。クラースキのOksanaは透き通る高音のヴォイスが

さらにGlobeのケイコを思わせる。二人に歌わせたい。

さあ仕事しよ。今日は秋田より旧友来る。飲み会か?

初めてです

最近知り合いからのメールでブログアドレスが一緒に添付されることが多くなった。流行のものにあまり敏感でないのだが、ブログを見ているうちに、何か生きているしるしでも残せたらなあと思った。

現在昨年12月に入籍し、今年11月でパパになる予定。それまでの心境でも書き綴ろうかと。

まあ、日々雑感とした感じでいきたい。

妻は現在妊娠2ヶ月、今日妊娠後始めて産婦人科へ行くらしい。ちょっと心配。現在は私は日本、妻はウクライナ在住。夫婦別居になっているのは喧嘩をしたからでなく、実務的な理由。7月に結婚式があり、結婚後日本で本格的に住む前に、ウクライナで運転免許を取得など、自国で取れるべき資格などは取っておいたほうが得であると判断。妻はロシア語、ウクライナ語、英語、日本語、フランス語の順で言語を操る。私は日本語、英語、ロシア語、ブルガリア語の順。ちなみに私達の会話は 夫 →ロシア語→妻→日本語→夫 時々英語とウクライナ語がMIXする。普通の日本人が私達の会話を聞いたら、さぞかし奇妙であろう。夫33才、妻23才。スタート。