ショットバー ブートレッガー SENGAWA BAR HOPPIN' -9ページ目

ショットバー ブートレッガー SENGAWA BAR HOPPIN'

BAR HOPPIN'とは・・・・バー巡りのコト
あなたは今夜、どこで呑みますか?
ブートレッガーは仙川の南の端ッコのショットバーです
ブートの酒番が、あんなコトやこんなコトをブログにアップしてますw

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「ブラッドフォードホテルとジェームズ・ロス」
「マッキノン氏族に王家秘伝の製法が下賜されて」から、百数十年後の19世紀後半にスカイ島でブラッドフォードホテル(the Broadford Hotel・1611年創業)を経営するジョン・ロス(John Ross)ジェームズ・ロス(James Ross)親子が、どういう理由か不明ですが氏族の一員、アレキサンダー・ケネス・マッキノン(Alexander Kenneth Mackinnon)から“突如として”「秘伝」の薬酒の製法を「譲り受け」ます。

この辺の経緯がはっきりしない事が「ドランブイ疑惑」の発端なんでしょうが、ドランブイ社や現在のブラッドフォードホテルのHPでは「モヤ~とした」説明しか掲載されていません。

ジョン・ロスの家系は代々スカルペイ島(マッキノン分家の所有地がある)のタックスマン=「氏族の不動産運用マネージャー」を担当するほどの“有力者”で古くからマッキノン家とも親交があったと想像されます。

ジョンは亡くなるまで製法を秘伝しましたが、息子のジェームズは(早ければ)1871年に製法をアレンジし始め、ブラッドフォード版ドランブイを製造します。

(前年には下院議員だったマッキノン家の先代が亡くなり、34代目氏族長に代替わりしています。
実はマッキノン本家は1808年に正嫡が無く直系が断絶しています。
その後はマクドナルド氏族系の人物が名跡を継承します。
1848年にスカイ島で、いわゆる分家騒動もあったらしく一族間に遺恨がわだかまっていた時代です)

元々はジェームズの友人達に“味見”させる為だったようですが、後には常連客にも提供します。この時の友人達(※)の一人が「ドランブイ」と名付けました。

(※)この友人達とは、ブラッドフォード港港長のチャールズ・マクレーン(Charles Maclean)、地元建設業者のジョン・マクリード(John Macleod)、そして、後にブラッドフォードホテルをロス家に替わって経営する事になるキャンベル氏の父であるサミー・キャンベルSammy Campbellだったと、ジェームズの孫ディードリ・パース(Deirdre Perth) と彼女の甥ハーミッシュ・ディクスン(Hamish Dixon)は調査しています。

ジェームズ・ロスは「ドランブイ」を開発から20年も経った1893年4月24日に商標登録します。
(なぜかスカイ島唯一のウィスキィ、タリスカーの工場が生産再開に伴い、地主と用地賃貸再契約を交わした翌年の事です)

「エレノア・ロスとマルコム・マッキノン」

しかし、9年後の1902年のクリスマスイブにジェームズ・ロスは57歳で夭逝します。
寡婦となったジェームズの妻エレノア(Eleanor)は6人いた子供達の進学の為、ブラッドフォードホテルを手離し、エディンバラに移住しました。

この時、養育費捻出の為、同郷のマルコム・マッキノン(Malcolm MacKinnon)に1ボトルあたり2シリングのロイヤリティで製法が譲られたとディードリ・パースは家族からの伝聞を元に主張しています。

「ドランブイ」は再び“偶然にも”マッキノン一族の手中に戻った事になります。
マッキノン一族から教わって製法を(アレンジしたとは云え) ロイヤリティ付きで同じ一族(分家とは云え)に売り付けるとは、“お話し”としてチョット無理があるかな~とも思えなくもないですが、ディードリ・パースの研究は多分に「記憶」に頼っていて裏付けに乏しい事も否めません。

また、スカイ島の氏族の活動とジェームズ・ロスのドランブイ商品開発の流れには奇妙な一致が見えますが、相互の関係性は憶測の域を出ません。

次回は20世紀に販路拡大目覚しいドランブイ社のお話しです。(つづく)


注:この記事の一部には不確定な証言に基づいた独自の推測が含まれています。この為、現在のドランブイ社、ブラッドフォードホテルの公式な広報内容と一部異なっています。ご了承下さい。

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ドランブイのボトルデザインが大幅にリニューアル。
これに因んだCMが英国本国で流されてます。
しっかりジャコバイト蜂起と絡めてます。
ただし、この映像には映画のシーン(おそらくブレーブハートの映像)が使われており、実際のジャコバイト蜂起時のスッコトランド人の風習とはだいぶ違う様です。
それでもこの映画はスコットランド議会開催に少なからず寄与したといわれています。


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「ウゾ12」40度(OUZO 12)40°
■「ウーゾ?ウゾ?」
最近、何かと話題の多いギリシャのお酒です。ウーゾ(正しくはウゾではなくウーゾらしいです)とはブドウの絞り粕を蒸留する、フランスのパスティスやマール、イタリアのグラッパに似たギリシャのアニス系リキュールの総称です。

ウーゾの原型は東ローマ帝国時代に「ツィプロ(Τσίπουρο)」や「ラキア(rakia)」 として登場しており、14世紀には既にアニスが混入されていました。また、「ウーゾ」という名前は19世紀の「ウゾ・マッサリア」(uso Massalia「マルセイユ向け=高級品」)からとか、トルコ語でブドウを意味する「ユズュム」(üzüm)に由来するとも云われていますがハッキリしません。

EU(欧州連合)が規定する、食料品の原産地名称保護制度(Protected designation of origin 略称PDO)に則ってウーゾは製造されています。なので「定められた地域原産品を定められた製法で生産・加工・調整されたものである事」が義務付けられており、他の国で同じように製造してもウーゾとは名乗れないってコトだそうです。

本国では氷を入れたグラスで水とウーゾをハーフ&ハーフで白濁させてアペリティフとして呑むのがポピュラーな呑み方なんだとか。

■「カロヤニス兄弟のウゾ12」
「ウゾ12」は1880年に帝政下のトルコのイスタンブル
(ギリシャ人にとってはコンスタンディヌーポリΚωνσταντινούπολις)
に在留していたギリシャ人兄弟カロヤニス(Kaloyannis Bros)によって配合の試行錯誤の末、試作樽12番目の酒が満足のいく製品になったので販売が開始されました。
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商品名の「12」はこの試行番号に由来し、また酒類総称をそのまま製品名に選ぶあたりに、風味に対する自信の程がうかがえます。

実はウーゾの原型「ツィプロ」に最初にアニスの香り付けをしたのは14世紀のギリシャのアトス山の修道士でした。アトス山は、ギリシャ人を始め東方正教の「聖山」(Άγιον Όρος)として重要な地位を現在でも保っています。そんなアトス山とウーゾは密接に関連していた事になります。

ギリシャ人兄弟がアトス山ゆかりのお酒を“わざわざ”イスラム教国のトルコ領内で作り始めたのも、当時ギリシャとトルコの間で領土紛争が絶えなかった事や、ギリシャ民族主義の隆盛という時代背景も遠因としてあったかもしれません。あくまで想像ですが。

因みに世界遺産になった現在のアトス山の修道院では、今でも訪れた旅行者にグラス一杯のツィプロと、ルクミと呼ばれる菓子のサービスをしてくれんだとか。(女人禁制だそーです)

兄弟は販売開始から約40年後の1919年にアテネ(Αθήνα)に付随する港湾都市ピレウス(Πειραιάς)に製造拠点を移します。トルコ帝国の第一次大戦敗北を確定させたムドロス休戦協定の翌年の希土戦争(ギリシャ王国が領土拡張を目論んだトルコ帝国との戦争)の真最中の事です。凱旋帰国といったところでしょうか。

現在の「ウゾ12」は最初の蒸留の後、アニスaniseed スターアニスstar anise ウイキョウfennel ナツメグnutmeg コリアンダーcoriander シナモンcinnamon カルダモンcardamonなど10種類以上のハーブとスパイスを浸漬後、更に二度目の蒸留を行い、銅製の樽に入れて熟成させます。

ギリシャ国内での人気も高く、シェア率36%と最も消費量の多い国民的なお酒になったばかりでなく、販売量も年間60万ケースを誇り、ウーゾの中でも世界的な代名詞になりました。

「ウゾ12」の古~いCMです

1999年以降はイタリアのカンパリ・グループ(Gruppo Campari)傘下に入ってギリシャ国内で製造を続けています。本社はピレウスの南東の町に移ったんですが、社屋の面している通りの名前がコンスタンディヌーポリ通り(Konstantinoupoleos Str)と、念が入ってマス。<おしまい>


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