「ブラッドフォードホテルとジェームズ・ロス」
「マッキノン氏族に王家秘伝の製法が下賜されて」から、百数十年後の19世紀後半にスカイ島でブラッドフォードホテル(the Broadford Hotel・1611年創業)を経営するジョン・ロス(John Ross)ジェームズ・ロス(James Ross)親子が、どういう理由か不明ですが氏族の一員、アレキサンダー・ケネス・マッキノン(Alexander Kenneth Mackinnon)から“突如として”「秘伝」の薬酒の製法を「譲り受け」ます。
この辺の経緯がはっきりしない事が「ドランブイ疑惑」の発端なんでしょうが、ドランブイ社や現在のブラッドフォードホテルのHPでは「モヤ~とした」説明しか掲載されていません。
ジョン・ロスの家系は代々スカルペイ島(マッキノン分家の所有地がある)のタックスマン=「氏族の不動産運用マネージャー」を担当するほどの“有力者”で古くからマッキノン家とも親交があったと想像されます。
ジョンは亡くなるまで製法を秘伝しましたが、息子のジェームズは(早ければ)1871年に製法をアレンジし始め、ブラッドフォード版ドランブイを製造します。
(前年には下院議員だったマッキノン家の先代が亡くなり、34代目氏族長に代替わりしています。
実はマッキノン本家は1808年に正嫡が無く直系が断絶しています。
その後はマクドナルド氏族系の人物が名跡を継承します。
1848年にスカイ島で、いわゆる分家騒動もあったらしく一族間に遺恨がわだかまっていた時代です)
元々はジェームズの友人達に“味見”させる為だったようですが、後には常連客にも提供します。この時の友人達(※)の一人が「ドランブイ」と名付けました。
(※)この友人達とは、ブラッドフォード港港長のチャールズ・マクレーン(Charles Maclean)、地元建設業者のジョン・マクリード(John Macleod)、そして、後にブラッドフォードホテルをロス家に替わって経営する事になるキャンベル氏の父であるサミー・キャンベルSammy Campbellだったと、ジェームズの孫ディードリ・パース(Deirdre Perth) と彼女の甥ハーミッシュ・ディクスン(Hamish Dixon)は調査しています。
ジェームズ・ロスは「ドランブイ」を開発から20年も経った1893年4月24日に商標登録します。
(なぜかスカイ島唯一のウィスキィ、タリスカーの工場が生産再開に伴い、地主と用地賃貸再契約を交わした翌年の事です)
「エレノア・ロスとマルコム・マッキノン」
しかし、9年後の1902年のクリスマスイブにジェームズ・ロスは57歳で夭逝します。
寡婦となったジェームズの妻エレノア(Eleanor)は6人いた子供達の進学の為、ブラッドフォードホテルを手離し、エディンバラに移住しました。
この時、養育費捻出の為、同郷のマルコム・マッキノン(Malcolm MacKinnon)に1ボトルあたり2シリングのロイヤリティで製法が譲られたとディードリ・パースは家族からの伝聞を元に主張しています。
「ドランブイ」は再び“偶然にも”マッキノン一族の手中に戻った事になります。
マッキノン一族から教わって製法を(アレンジしたとは云え) ロイヤリティ付きで同じ一族(分家とは云え)に売り付けるとは、“お話し”としてチョット無理があるかな~とも思えなくもないですが、ディードリ・パースの研究は多分に「記憶」に頼っていて裏付けに乏しい事も否めません。
また、スカイ島の氏族の活動とジェームズ・ロスのドランブイ商品開発の流れには奇妙な一致が見えますが、相互の関係性は憶測の域を出ません。
次回は20世紀に販路拡大目覚しいドランブイ社のお話しです。(つづく)
注:この記事の一部には不確定な証言に基づいた独自の推測が含まれています。この為、現在のドランブイ社、ブラッドフォードホテルの公式な広報内容と一部異なっています。ご了承下さい。


