話は少し戻りますが、私は無気力から解放された後、外見的なコンプレックスに酷く悩みました。


人の生きざまって顔(表情)に出ますから、生きる気力がなかった当時の顔はもう酷いものでw


何度か仰天チェンジに応募しようか悩みましたw



食べ過ぎで80キロ越え、自分が重くて何もしたくない、食べたら眠くなるから寝るの悪循環でした。


太り過ぎと、人生つまらない感の滲みでた顔・・・どっからどう見てもデブスで、その自覚があったから、外を歩くのが大変でした(^^;)


今は一部じゃデブもかわいいみたいな風習もありますし、かわいい服もありますけど、私の時代はデブは婦人服着るしかなかったんで_| ̄|○


中学生からスーパーの婦人服でした(-_-;)


デブだしブスだし、変な服着てるし(肩パット入ってる婦人服、タック入りのパンツだもんね)、知り合いの美容師免許持ってるおばさんに切ってもらってた髪の毛は、蛍原さんソックリで・・・


外見にコンプレックスありすぎて、外を歩くと冷や汗が止まらず


また、誰もが自分を見て笑ってるような気がして仕方なかったです。


一日に何度も洋服を着替えて「これなら変じゃないかな?」と鏡を確認してました。


今思えば、何着ても変でしたけどね・・・肩パットとかだしw



現役で受験に落ちて浪人の道を選んだ私は、ようやく学校のストレスから解放されて食べなくても大丈夫になりw


一気に痩せました。


痩せて、突然目が二重になりました。

こんな腫れぼったい一重が二重になるの!?って思うくらい驚きました。


痩せて二重になって、少しずつコンプレックスから解放されてきた時、いつも雑貨を買いに寄るお店で「良かったらメイクして行きませんか?」と声をかけられた。


腫れぼったい一重で化粧の仕方なんか解らなかったので、19歳まで化粧したことなかったんです。


人生で初めてのメイクを経験した時に「欲目かもしれないけどキレイに見える」と、本当に一気に心が解放される感覚でした。


私は中学高校とどん底を経験して、その経験を背負って臨床心理士の勉強をしようと考えていました。

何の挫折も味わったことのない人よりも、どん底を味わった人間の方が、人の心の痛みを一緒に背負えると思ったからです。


でも、初めてメイクをしてもらった時に、一番心の傷になっていた部分が修復された感覚だったんです。


私の心は「メイク」で修復されて行きました。


普通の子は中学高校でメイクを始めるもんですが、私はイモ臭い女子高生だったので、メイクに目覚めたのは19歳の時でした。


そこから私もメイクと言う手段で、昔の自分と同じように自分の外見にコンプレックスを抱える人を助けたいと考えるようになった。


自分のコンプレックスから解放されて、安心して少しずつ表情も変わって行きました。


そうやって女の人って、キレイになれるんだな~って思えたので、私のやりたいことはメイクを学ぶことへと変わったのでした。


2浪の途中で専門学校へ行くことを決意。


だから1浪して落ちた後、私は受験勉強を辞め、専門学校へと進学しました。


頭の片隅に「英語・・・やり残したままだな~」と言う思いを持ったまま、メイクの勉強を始めたのでした。


続く

大人になって母と話をして驚いたこと


「毎日、ちゃんと帰ってきた~」って安心したそうです。


朝、私を送り出す時に「線路に飛び込んでしまうんじゃないか?もう帰って来ないかもしれない」と思ったのだと聞かされました。



飛びこめなかった事情も伝えましたけどw


奇跡が起きて英検3級を取得できたので、無事に高校に進学することが出来ました。


高校からは問題の担任から解放されました。


心は少しずつ落ち着きを取り戻しました。


とは言え、とてももろく、何かのきっかけで「もう死んでしまいたい」と思う日々でした。



過食の傍ら、現実逃避に何かしらに夢中になって誤魔化していました。

中学1年生の時はアニメ、2~3年はジャニーズ、高校はお笑いと、ちょっとマイナーなシンガーさん。


アニメヲタク時代が功を奏して。。。イラストを描くようになったので(それまでは、ものすごく絵が下手だった)、高校時代には美術的な才能が開花し、美大を目指そうかな~・・・なんて逃げ道を考え出しましたが、人より少し上手い程度なので美大には行けませんwww


最近の私の作品を・・・ジャニーズJrのジェシー



まあ、このくらいなので美大受験なんてとんでもないです。


が、それでも美術史を学ぶとか、そういう道もあるのかも?とアトリエに行ってみました。

美術系の大学だろうが、どこの大学だろうが、英語は受験必須科目です。



代ゼミのアトリエに通い出したのもあり、代ゼミで英語の授業を取ってみることにしました。


3単現のsが解らない上に、過去分詞すら覚えきっていない高校生だった私が、鬱から抜けだし、大学受験にチャレンジしてみようと思う気持ちになったのです。


でも中学1年生の英語から解らないレベルですし、こんな馬鹿が予備校来てるとバレたらどうしようil||li(ФДФ;)il||li と言うマヌケな思いから、代ゼミのサテライトを選びました。


最近は、録画の授業も当たり前みたいですけど、私の時代は予備校に行って授業を受けるのが普通でしたので、代々木校の授業を同時生中継なんてハイテクなシステムでした(^^;)


代ゼミで出会った先生達は、イロイロとエピソードを持っていて、全然ヤル気のなかった時代乗り越えて有名大学に進学したとか、奮起して編入したとか、落ちこぼれの学生達が「自分もやれるかも!!」なんて気持ちで食い付きたくなる魅力を持つ先生たちがたくさんいます。


私も、まんまと「こんな私でも頑張れるかもしれない!!」なんて思って、代ゼミに通い始めました。


でも、根本的な部分が欠如していたので、私自身は国語以外伸びませんでした(笑)


予備校に通ってるだけで「できるようになった気分」になってました・・・。

一番ダメなパターンです。


私は先生の経験談を聞き「私も奮起して、昔の自分に戻りたい!!優秀な私に戻りたい!!」なんて思いから、母と兄の母校である大学に志望校を決め(絵を描くのは好きだけど、あくまでも趣味で絵で食って行けるわけないと解っていたし、美術史にも実は興味なかった)、臨床心理士と言う目標を持って大学受験に挑んだんです。


中高6年間、無気力だった私が現役で受かるわけもなく、結局2年浪人しました。


現役、1浪、2浪の3年間は結果的に英語は0に等しいんですけど、国語と小論文が驚くほど「わかる!」となり、文章力と言うものを得られたので、意味はありました。


実際、現代文は受験でも100点取れましたし、毎年センター見て問いてみても、相変わらず現代文は満点取れます。


英語は、正直3年も学んだのに、さっぱりでした。

伸びませんでした。


難しいことを何度学んでも、土台がなければ身にはなりません。


今の私なら、その傍らに自分で基礎を勉強すると思いますが・・・、あの当時は、気を抜くとすぐに無気力になってしまう時代で「予備校に通っているうちに『自然と』英語が出来るようになったらいいのにな~」と言う甘えがありました。


・大学を受験する

・予備校に通う


それだけで、やっと同級生達に追いついたような感覚だったんですよね。


やらなきゃ、何も始まらないのに、何も始めなかった・・・いや、まだ出来ませんでした。

心が完全ではなかったから。


続く

中学に入学したら英語が勉強できる!!


子供の頃、ずっと楽しみにしていたことです。


でも実際に中学に入った後、私は長いこと「無気力」に悩まされました。


ともかく何もしたくなかった。


だから英語もThis is a pen.の後くらいから、もう何を勉強したんだか、あまり記憶がないんですよ。

三単現のsとか、現在完了とか、全然・・・なままでした。


ちょっと前まで「勉強」が楽しくて仕方なかったのに、何もしたくなくなったら、突然「勉強ってどうやるんだろう・・・」と言う疑問にも悩まされることになりました。


褒められることを生きがいに、勉強が楽しくて仕方なかった時は、勉強の仕方なんて関係なく、頭が勝手に覚えてくれていたので、私は「ノート」の使い方も解らなかった←ノートを取ったことがなかった。


どうやっても頭に入らない、勉強の仕方が解らない・・・


中学1年生は、そのまま終わりました。


ずっと学年最下位のまま1年を終え、2年に進級すると、私を待っていたのは今だったら確実に訴えられるレベルの担任でした。


成績が悪かったから最初から目を付けられていたんだろうな~と今は思います。


中学2年に上がってからも、何もしたくない気持ちは同じでした。

成績も伸びないどころか、順位は下がりようなく123人中123位・・・でも122位の人との点差が100点以上とかでダントツの最下位になりました。


ここから「イジメ」のようなものが始まりました。


毎日、担任から家に電話が行きます。

十中八九は嘘、たまにホントのこともある。

忘れ物してないのに「今日は教科書を忘れてきたんですよ」と言う嘘から始まり、ともかく嫌味のオンパレードを母に浴びせるわけです。


自分が優秀に生きてきた母にとって、先生に怒られるなんて経験は初めてのことであり、そしてまた、まさか「先生」と言う職業の人が「嘘をつく」なんて思いもしないわけです。


私は家に帰れば、身に覚えのないことで母から怒鳴られ、学校に行けば変な個室に連れて行かれ、担任から毎日「生きている価値がない」と言われ続けました。


時に、一日一回ではなく、休み時間の合間ごとに連れて行かれる日もあった。


終礼中に「10点台のテストが3つもある人が、このクラスにいるんですよ^^」と、みんなにわざと私の成績を言ったり、今の時代なら確実に訴訟起きるんじゃないか?と思ってしまいますw



育ってきた環境もあり、私の見てきた世界は、優秀な成績で高校を卒業して一流大学に進学し、名の知れた企業に勤めて行く大人たち。


成績の悪い例が身近になかったもので・・・、大学に行けない自分の成績を見て死ぬしかないと本気で考えていた。


生きて行く手段がないと思っていた。


「こんな成績じゃ大学にも短大にも行けない」・・・その言葉を鵜呑みにしていました。


今思えば、選ばなきゃ行ける大学なんて山ほどあります。


でも、それが解らず、大学に行けないから将来働くことも出来ないし、早く死ななくちゃ・・・って毎日考えていました。



とは言え、ドラマじゃあるまいし、手首切ったって死ねないんですよね


そして痛いんです。


ズバっ!!!!と切れないあたり、この世に未練があったわけですが(笑)


線路に飛びこむには、電車が遅れると1分ごとに何百万も遺族に請求が行くって聞いたことがあるし、生きてるだけでも迷惑なのに死んでからも、そんなに迷惑なんてとてもじゃないけどダメだ・・・と思いとどまった。


私は生きていちゃいけないのに、死ぬ勇気もない・・・それが15歳の私が背負っていた気持ちでした。


その現実から逃げるために?


よくある話ですが「食べてる時だけは忘れらたんです」( ゚∀゚)・∵.プッ!!


精神的な疾患がメジャーではありませんでしたから、病院にも行ってませんし、正確な判断はし兼ねますが、おそらく鬱だったと思うし、過食症だったと思いますwww


1日8食とか食べてましたし、気持ち悪くて吐いても「あ、今出た分また入る!」って食べるんですから、明らかに病気だったと思います。


最高で85キロまで行きました(身長162センチ)


現在は身長167センチ、ベスト体重は56キロですが、アメリカに来て59キロから減りませんw

甲状腺機能低下症で、大して食べなくても太ると言う病状の中では、それなりにコントロールしているかなとは思っています。



話は戻り、中学2年、3年と、その担任のまま進級し、長いこと取り返せない、どん底を味わったのでした。


成績が悪い私を毎日ののしり続け、たまの奇跡には信じられない嫌味


全国模試で数学だけ15位・・・「0が一つ足りないんじゃないかと思うわよね」


高校進学はエスカレーターだけど、英検3級は絶対に持っていないといけなかったのを奇跡的に合格・・・「嘘だとしか思えなかったんだけど、あなた受かってわ(溜息)」


文化祭で良いイラストを書けば「神様は、ちゃんと平等にタレント(才能)を与えるのね、あなたは勉強が出来ないから、絵に才能を与えてくださったのね」


カトリックの学校とは言え、酷い言われよう( ゚∀゚)・∵.プッ!!


出来ないのは自分の努力が足りないせい、出来るのは神様が与えてくださったから・・・


どっちも私の潜在能力と努力での結果です!!!!!と、「●●さんって何でも出来るんですね!!」と言われる今なら胸を張って言えます。


何でも出来るんですね!って、よく言われるけど「うん、結婚以外はね~( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \ 」


続く

中学に入ると、みんな受験して入学してきているわけですから、当たり前に自分よりも優秀な人たちにたくさん出会います。


私は完璧主義で、完璧を求めすぎるが故に「完璧じゃなくなった」その瞬間に全てを投げ出したくなる性質を持っています。


それが当時、無気力になった原因の一つでもあると思います。


現在は35年も生きてますと、自分はそういう人間だと言う自覚があり、完璧じゃなくても、このレベルクリアしたんだから、良しとしよう・・・と少しコントロールが出来るのですが、10代はそうも行きませんでした。


小学生の時、5年生まで塾に通って6年生は受験落ちても後悔しにように・・・と、塾に行かずに遊んで暮らしていたのですがw


私立中学は6年生の時に塾で習ったことは改めては教えてくれなかったので、「塾で習ったでしょ?」なんて言われて授業を進められて行くのが「完璧ではなくなる」瞬間でした。


人が自分よりも出来ると知った瞬間に、何だか全て投げ出したくなりました。

私の知らないことを、みんなは知っていて、そして教えてももらえない・・・。


そう思うと、今は便利な時代ですねw

解らないことは、後でyahooで調べれば解りますし、いくらでも知識の穴埋めをしながら日常生活が送れますから。


でも、当時はインターネットなんか普及してませんでしたし、知らないことの調べ方も知らなかったんです。


他にも中学入学と同時に、たくさんの「人よりも劣っている点」を感じだし、そういう積み重ねが「もう何もしたくない」と言う無気力につながったように思います。


そして、不運と言うのは重なるもので、

中学1年で「何もしたくない」となったのが、なぜ6年間も続いてしまったのかと言うことになるのですが、中学2年に上がると同時に、最悪な担任に当たり、そこから2年間、どんどん生きる気力を失いました。


結局のところ、中学3年間の半鬱状態が大きく影響し、心が少し立ち直った後の高校生活でも、手遅れで何も取り返せませんでした。


中学入学してから最初の中間試験は、ほぼ最下位でした。

優秀で完璧主義なのは、私だけでなく母も同じで、私の成績に衝撃を受けたのは恐らく私よりも母だったのではないかと思います。


子供の頃から100点を取らなきゃいけないと言われて育った。

98点では「何で1問間違えたの?」が我が家ですw


自分も、息子も優秀で生きてきた・・・突然娘が最下位になった、母も私もこの6年間は闘いでした。


続く

優秀な母の娘・・・と言うプレッシャーが快感だった小学校時代。


そのプレッシャーが重荷でしかないと感じるようになった中学高校時代。


優秀な両親と、優秀な兄・・・から7歳離れて生まれた私は、子供の頃は家族と対等に話がしたくて背伸びばかりの子供でした。


「褒められる」ことだけを生きがいに、褒めて!私を見て!!と言う目立ちたがり屋の子供でした。


褒めてくれるから・・・と言う理由で勉強をして優秀な成績をキープすることが子供の頃の私の生きがいでした。



「私ね、大きくなったら東大に行くんだ!!!」


先日、私の甥っ子が同じことを発したので、ビックリして鳥肌が立ちましたw

どうか、おばちゃんみたいに人生と言う橋を踏み外さずに生きて行くんだよ!!


さておき


英語についてですが、子供の頃に「もくもく村のけんちゃん」と言う英語教材に出会い、英語を知ることが何だかとても楽しくて仕方なかった。


大人たちは私の発音の良さに驚き、たくさん褒めてくれました。


自宅で個人塾を開いている母の生徒達にまで、発音を驚かれ、何だか有頂天になっていた子供の頃。


私は、このままずっと優秀な成績で大人まで生きて行って、中学生になったら英語を勉強して、大人になったらペラペラになるんだ♪と、子供のころは安易に考えていました。


中学生になったら英語を学ぶ・・・それを、どれだけ楽しみにしていたことか。



しかしながら中学入学と同時に私の人生は転落の一途をたどるのです。



小学生の頃は友達がいませんでした。


勉強が出来るから、頭が良いと言う自覚が嫌味でしかなく、性格が悪いから友達が出来なかった。


それを「マズイ」と感じて、中学受験をすることにしました。



自分のことを知らない人達の中で、違う自分を一から作りなおそう・・・それが受験の目的。


きっと、このまま公立に行っても友達も出来ずに一人だろうと、薄々感じていたからです。


大人になった今、友達はいるか?と訊かれると、まあ「友達」はいますが「親友」はいません。

自分の求める自己を形成できたのが、最近のことなので、欠陥だらけで生きてきた自分に親友と呼べる人がいないのも、当然のことだと思っています。


これも、きっと生きている限りtoo lateはないと言い聞かせ、長い人生、国境を越えて素敵な友達が、これからも出来て行ったら良いなと願うばかりです。



話は戻り、


念願叶って、私立の中学に入学後、自分でも思いもよらないことが起きます。


正直、本当の理由は今でもわかりません。

でも、それは本当に突然やってきました。


「何もしたくない」


と言う、心の病と思える症状。


恐らく色んなことが重なったことが原因かと自分では判断していますが「何もしたくない」6年間は、今思えば私のとっても、親にとっても大きな試練だったと思うのです。


続く・・・