3/12に結婚式して、3/14に役所に登録に行きました…さて、どちらが結婚記念日なんだか(・_・;



バレンタインに婚約したので、ホワイトデーが結婚記念日ってことにしとこうかと思います。



アメリカは結婚式するか裁判所で裁判官に愛を誓うかしないと結婚できない仕組み。

確かに…愛を誓って結婚は筋が通っていると気付いた。

日本の婚姻届け出して、もう結婚しているのに、式挙げて愛を誓うって考えてみたら不思議な流れよね(・_・;



結婚式には学校の友達と1番お世話になっている先生を1人呼びました。

旦那の叔父さんの家での挙式だったので、たくさんは呼べず。

そして先生と写真撮り忘れた(つД`)・゚・



学校の友達…は、台湾人2人とタイ人1人(^^)

留学して思ったのは台湾人とタイ人とブラジル人は合うと言うこと(°ㅂ°)



ウェディングケーキは韓国ベーカリーで日本ぽいものを注文しました。

アメリカのアイシングとバタークリームのケーキなんて絶対嫌だ!と思って、美味しい美味しいケーキにしました。



が、グルームケーキとか言うものを送られ…



チョコレートに目がないアメリカ人はウェディングケーキには見向きもせず、チョコレートケーキに殺到。



美味しいケーキは下一段捨てることになりました(-_-)



何とかキティちゃんのウェディングケーキにしたくて自分でクッキー焼きました。

キティの型しかないのを包丁でダニエル作りました(笑)







無事に役所に登録してアメリカでの婚姻が成立したところで、永住権申請手続きが始まりました。



結婚式にお金がかけられない理由も、この永住権申請にあり。

申請だけで15万円くらいかかります。

申請はネイティヴが読んでても「は?」みたいな書類が多いそうで、自分たちで出来なくはないけど、それなりのリスクがある。

時間もかかるし、それこそ次にいつ日本に帰れるのかって話になるので弁護士に依頼。

念には念をです。

万が一、問題が生じると厄介なので弁護士を通します。



留学の際に、今の学校を仲介してくれたエージェントが、たまたま、こちらに在住のアメリカ人と結婚した日本人の方で、留学後も色々お世話になっているのですが、その方が信頼できる弁護士さんを紹介してくれて、さらに価格も平均的だったので、その方にお願いすることに。



どうやって弁護士探そうかと思っていたので、本当に助かりました。



結婚して、すぐに弁護士に連絡して手続き開始。

色々な書類が必要になるのですが、指定された医療機関で健康診断を受け、必要な予防接種を受けないといけません。



その中で問題になるのが、ツベルクリン。



ツベルクリン=結核です。



日本はツベルクリン反応を見てマイナスな場合にBCGをうたれますが…子供の頃は、これは何のためにやられてるのか全然知りませんでした。



結核にかかっても重症化しないよう?小さな抗体を持っておくと言う考えらしいです。



BCGって、結核菌?を身体に入れるやつだったんですね。



で、このBCGで結核の抗体を持っておく…と言うやり方は、日本くらいしかやってないそうです。(台湾人に話したら台湾もそうだと言っていたのでアジアで主流なんですかね?)



ようするに、アメリカでツベルクリン反応をやると、私たち日本人は子供の頃にBCGやって結核の抗体持ってますから、プラスに反応するわけです。



…結核菌保持者扱いです。



事前に、このBCG問題を知っていたので、12月の一時帰国の時に日本でツベルクリンを受けてみました。



BCGの効果が10年とか15年とかで消えると言う都市伝説に期待してみたのですが、結果的に、ものすごいプラスでした_| ̄|○



12月にツベルクリンうったところは真っ赤に腫れて、数日で水疱になり、割れて膿んで、今でも痕が残っています。



母子手帳の予防接種履歴を英訳してもらう際に、色々相談して、内科でレントゲン撮って、ツベルクリン反応はプラスでも結核患者ではない、問題ないと言う診断書の英訳も作ってもらって持参し



日本は、こういう理由でBCGやってるから、みんな結核の抗体を持っていると説明したのですが



それでも「判断基準はアメリカの数値でするから!」と言われた(-_-)



いろんな日本人の体験談読んで、これで回避している人もいるのに…



中国人ドクターか、何人かよくわからないドクターか、アメリカ人のドクターでアメリカ人を選んだんだけど他のドクターを選ぶべきだったんだろうか(*´Д`)=З



月曜にツベルクリンやって、水曜の医師の判断は



「陽性、絶対レントゲン」



でした。



相変わらずの強陽性でした。



アメリカの基準では中心部が5mm以上腫れると陽性。



私は16mmでしたので、明らかな陽性。



結核患者扱いされたら、この医療費が高いアメリカで結核の治療しろってなるわけで…レントゲン撮るまでビクビクでしたが、レントゲンの結果は問題なし。



だから、そう言ったじゃないか!と思うものの、ものすごく安心した_| ̄|○



とはいえ、レントゲン費用が$50加算されました。



ツベルクリンやった日と、翌日は痛みで眠れなくてアイスノンで冷やしながら寝て…それでも1時間おきに目が覚める始末でした(*´Д`)=З



3日目には、また水疱化、4日目には諦めて水疱に針を刺して水抜き。

これも絶対、痕が残るだろう…



3/30までのグリーンカード申請にはインフルエンザの予防接種も必須らしく、結局、予防接種3本、ツベルクリン、採血を2日でやり、腕が重くて痛くて先週は大変でした。



本当に結婚式以外のところで、日本人が普通に結婚式挙げるくらいの金額が出て行きます。



結婚式は多少妥協しても、ともかく金をかけない!と貫いて良かったと本当に思います。



とりあえず、今や日本しかやってないと言われるBCG…



やめれば良いのにと思いつつ、私が受けたのも30年前の話だし、やめたところで何の影響もないなとも思う。



将来、お子さんのアメリカ留学をお考えの方、アメリカの大学進学の時にもツベルクリンテストあるそうで、同じ問題が起きるそうです。

日本でBCG避けられるのかはわからないのですが、頭に入れておくと良いかもしれません。



とりあえず両腕が汚い…



ドラッグやってるとか思われないかと不安ですよ、この汚い腕_| ̄|○



まずは書類が全部揃ったので弁護士さんに送付。



しばらくは学校に集中できそうです。

来月で卒業ですが(^_^;)

留学に全く関係ないのですが日本は3月11日。

TVジャパンのニュースも震災を振り返る話が多いので。


あの当時、私はメイクの仕事から一度離れてみようとアパレルの仕事に転職した所でした。

小さなお店の店長をしていたのですが、小さなお店だけに基本的に私一人と主婦のパートさんが短時間だけ入る環境。


あと別の店舗と、私が店長をしている店舗の両方を見る社長秘書に当たる頼りにならない男性がいました。

朝、私の方の店舗に顔だけ出して本店に行くと言うスケジュールだったので、あの地震が起きた時はパートさんと私の二人でした。


私の働いていたビルは、とても古く頑丈な作りで、あまり大きな揺れは感じませんでした。

震度5強だったらしいのですが・・・。


小さな揺れを感じて外に出ると大きな地響きが聞えて、これから何か起きるのか?と思ったものの、私のいた場所は、特に何も起きませんでした。


その後、すぐにパートさんの帰る時間となり店頭には私一人。

本店と連絡を取ろうとしたものの、電話は繋がらず。

家族に連絡を取ろうと思っても電話がつながらなかった。


それなのに、なぜかインターネットは生きていたので社長とチャットをすることに。

店舗の奥まった所にPCがあるため、チャット中は外の様子が全く解らない。



かなりの時間チャットに時間を費やし、ちょっと外を見ます。。。と伝えて外を見ると


他のお店は全店閉店。

商店街に一人で取り残されていました。


事情を話し、全店閉店していたらお客さんも来ないので、うちも閉店すべきだと話しても最初は「本店には今お客さん来てるから」と中々閉店させてもらえず。


やっと許可を得て閉店させて、警備の所に鍵を預けに行ったところ「交通機関は全部止まってるよ」と言われ、徒歩で帰ることを決意。


元々スタミナには自信があり(この後に仕事のストレスで身体壊してからおかしくなったので、当時は3日くらい寝なくても平気なほど体力には自信がありました)、5時間くらい歩けば家に着くだろうと思った。


当時、まだiphoneなんて持っていなかったので、地図はなく・・・


いつも来るまで通る大通りしか知らなかった(車でも、もっと近い道はあるのに知らなかった)ので、ひたすらに、その大通りを歩くことにした。


時差はあってもメールは届くようだったので、母にはメールでその旨を送り歩くことに。


商店街を抜けて大通りに出て驚いた。

停電で信号も外灯も何も点いておらず、渋滞した車のヘッドライトに目がくらんで前が何も見えない。


最初は、音楽聴きながらジョギングしながら帰るか・・・くらいに思っていたのが、五感を研ぎ澄まさなければ前に進めない状況でした。


渋滞している車のヘッドライトと、外灯のともらない真っ暗な歩道のコントラストに目がくらみながら、ひたすら一人で歩き続けました。


高速道路の下の道を。


その道しか知りませんでした。


余震のたびに上を見上げ、高速道路が落ちて来ないことを願いながら一人でひたすら歩いていたら、突然歩道がなくなった。


警察に、ここからは歩道がないので迂回してくださいと言われた。

迂回と言っても道を知らないので、とりあえず、勘を頼りに一本隣の道へ。


停電した住宅街に明かりは全くなく、文字通り手さぐりと、電池の切れそうな携帯の明かりを頼りに歩くしかなかった。


勘は当たっていて、元の産業道路の歩道のある所に戻ってきた。


長い産業道路は片側にしか歩道がなく、ある程度まで行くと歩道橋があり、その先の歩道は反対側にしかない。


明かりがあれば何て事のない歩道橋も、真っ暗な中、車のヘッドライトに目がくらんだ状態で上ると、上った時点で自分がどちらから来たのか解らなくなった。


本当に「ここはどこなんだか、私帰れるんだろうか」と思いながらの帰り途。


2時間歩いた所で、ようやく停電していない地域に。

コンビニで携帯充電器を買おうと思ったけれど、みんな思うことは同じで売り切れ。


そのまま歩き続けることに。


みんな何人かのグループで歩いている中、私は一人で歩き続ける。


歩く前に、高校の同級生で近くの会社で働いてる子に連絡してみたところ、会社でみんなで残ると言っていて、何だか羨ましく思えた。


とりあえず、あの日私が外で見た人は、誰一人一人ではいなかった。


5時間歩いた所で、母も車出せる状況になり拾いに来てくれたので、歩いた時間は5時間でした。



とりあえずの感想は「孤独すぎた」と言う感じ。


何でもない時に一人で5時間歩いて帰れってなったら、全然歩きますけど、停電してるわ余震で何起きるか予測できないわ、携帯はほとんどつながらないわ電池ないわ。。。の中で一人で5時間歩くのは結構大変でした。



翌日、なぜか出勤となったうちの店。

朝、出勤すると社長秘書の男が来ていたので、昨日大変だったよね、帰れたの?と訊いたところ


「女性従業員みんな俺に抱きついて悲鳴上げててさ~」

と、こんな時でも俺モテるみたいな話に、思わず


「前から思ってたけど、空気読めないよね」


「俺!空気は読まないんで!!」


ちょっと歯をくいしばれと思ったけれど、溜息だけで勘弁しておきました。


複数人いた本社でみんなに抱きつかれていた自慢より、こっちの店舗で一人でどう対応したのかは気にならないのか。。。と言う感想。



震災直後、誰もが私に「強いよね」と言ったけど、


私が「怖い~ 無理~」と言ったところで誰か助けてくれたのか?って話。


助けてくれる人が周りにいて、怖い、怖いと言えた状況の人が安易に一人だった人に強いとか言わないでほしいと思った。




日本に入る時は、とても孤独だった。


私は強い人間で、何でも一人で出来る人だと思われていた。


数年前に自己改革をして、人生が変わったけれど、それ以降に出会う人は、みんな素敵な人。


人は自分を映す鏡だから、自分が良い方向に変わった証なのかなと思う。



過去の自分は、それはそれは尖がっていたので・・・・


100%の確率で「元ヤン」と思われていた。。。



たくさん人を傷つけて、常にどこでも孤独でした。

でもそれは自分が作り上げた世界だったので、全部自分のせいでしたけど。


自分を変えることに必死になって、ようやくたどり着いた今。


元々が「一人で別に平気」なタイプで、学校でも一人な学生生活を送っていたから、今もあまり自分から友達を作ろうとしないのだけど、人が寄ってくる自分になりました。


学校で、廊下を歩いていると、たくさんの人に名前を呼ばれる。

たくさんの人に抱きつかれる(笑)


先生も明らかに私に対してだけ表情が違う(笑)



そして、結婚式を明後日に控えて思う・・・


素直に甘えられる人とも出会えたな。


アメリカに来てから出会った人(友達になった人)は、みんな素敵な人で、まさに新しい生活をしている気がしている。



3月11日を振り返って思うのは、あの孤独が今は嘘みたいだなと言うこと。


その当時勤めていた職場では、その後本当に大変な思いをし、身体を壊して退職・・・約1年療養生活を送ることとなり、正直、二度と社会復帰できないかと思うほど、辛い思いをしました。


その後、33歳の時に自分で自分に対して決めたルールがあり、それを徹底してから本当に人生が変わったなと思う。


今住んでいる環境は別として、とても生きやすくなりました。


アメリカでの生活は、今後不安もたくさんあるけれど、周りの人を見て、あの時に感じたような孤独は、ここで感じることはないのだろうと思うのでした。


震災の時は、とりあえず、よく頑張った私。

本当にどうでも良い話なのですが

数年前、もちろん日本にいた時、夜道(と言っても22:00頃)を歩いていた時に、突然背後から襲われました。

駅から家に帰る途中のこと。
襲われたって言っても、まあ後ろから乗っかられて、服の中に手を突っ込まれて胸を揉まれただけなんですが

その数日前に、ダンスの技の練習で失敗して腰が痛くて、歩くのもヨタヨタしていたので、襲いやすかったんだろうと思うわけですが

病院で今結構ギリギリな状態だと思うので、ともかくしばらくは絶対に中腰にはならないこと、そして重いものを持たないことを注意された、その帰り道に、後ろからおぶさるように乗っかられたので

中腰で、重いものを背負いました。

↑翌日からヘルニアで松葉杖生活。以降、メイクの仕事はできなくなりました。
何件か請け負ったものの、翌日から歩けなくて松葉杖になるの繰り返しで、今後メイクを仕事にはできないと言う結論。

通常、私の性格的に、そんなのにはやられないんですが、手負いの時は何もできませんで、叫ぶしかなかったわけです。

警察にも同じこと言いましたけど、襲われた時どう思いましたか?って「手負いだから舐められた、ふざけんな、このヤロー」

犯人に対してどう思いましたか?

「残念だったな!バーカ!意外と年寄りだよ!」

↑後日警察に提出しなきゃならなかった日記にも同じ内容。

私の友達も、その犯人運が良かったね、手負いじゃなきゃ殺されてたよね(笑)

と言うくらい、私はその程度では動じないのです。

犯人は、かなりの余罪があり、他の被害者の中には外を歩くのが怖くなったと言う人もいるらしいけど、私は全く。

手負いじゃなきゃやられないし

と、なんの変化もなく、その後も普通の生活を送っていました in Japan.

ところが、どっこい。

アメリカに来てからと言うもの、外に出るのが怖くて何も1人で出来ません。

言葉が完璧にはわからない

ただそれだけで、全てがとても怖く感じます。

初めてダラスに来た時、それまで15年以上も海外旅行もしてなかったので「アメリカは怖いところ」的に周りからも色々言われ、お財布は長財布はダメだとか、カバンは斜め掛けじゃなきゃダメとか、スマホはテーブルの上に出しちゃダメとか、ショーパンにタイツなんていないからアメリカンな服装しろとか←どんなだ💧

いろいろなアドバイスを貰って来たわけですが

今は財布は遠慮なく長財布だし、カバンもトートバッグだし、スマホはテーブルに出して見るし、全然ショーパンにタイツ履いてます。

とはいえ、なんとなくアメリカは怖いところなイメージは拭えない。

1年住んでみて、ここがどのくらい安全な場所なのか…と言う基盤が築けてないからかな?とも思ってます。

日本で襲われようが、その後もっと襲い時間に外を1人で歩くのも何も感じなかったのは、30年以上そうやって生きて来た場所だから、そんなことはそうそう無い…と言う基盤が感覚としてあるからだと思うわけです。

しかし、ここ

全然知らない場所。

アメリカに憧れて、いつかアメリカで暮らしたい!と言う野望を抱いて留学してくる子とは違い、もともと石橋を叩き過ぎて、たまに渡らない私は、アメリカ生活での全てに消極的である。

ゆえに、1年いてもここがどんな場所なのか…全然知らない。

1人で何もできない。

結婚相手と2人で暮らし始めたアパートは、彼が元々住んでいたアパートの別の大きな部屋で、以前と同じ敷地内。

以前の彼だけで住んでいた部屋は、とても静かで気の流れも良い感じで気に入っていたので、同じアパートの中で引っ越したんですが

ある日、夜11時頃に泣き叫ぶような異常な悲鳴が聞こえた。

斜め上の住人、カップルが揉めて、男が女の娘をナイフで刺したと言うことで警察沙汰。

男逃走…

そういう人間もここのアパートに住んでいるという、なんか恐怖を煽る一件。

そして、夏ごろに上の階に引っ越して来た若い女の子2人?恐らくルームシェアの2人組と思われる…が、引っ越したてのハウスウォーミングパーティを、明らかに頭のおかしい感じのパーティを
約一週間に渡って続けた。

複数人の奇声を聞きながら1人で過ごす夜中は、苦痛でしかない。

ハウスウォーミングから、しばらくは大人しかったものの、ハロウィンの時は、こんなメモがドアに貼られていました。

うるさかったら連絡してね…の前に、3時までパーティするのが良識の範囲内なのかアメリカ?

この3時が、サマータイムが終わった日=午前2時が2回来る日だったので、感覚的には朝4時までパーティしていた状況。

私は英語力にまだ自信がないけれど、旦那となる人の仕事は週末の夜中なので、このクレイジーなパーティが行われる週末は、いつも1人で家にいるのです。

電話…できるほどの勇気も英語力もなく、彼が職場から電話してくれたものの出ない。

何度も電話して、ようやく伝わったけど、一瞬騒ぐ声が静まった後、低音ガンガンの音楽がかかり部屋が振動する始末。
ウーハーみたいな、アレです。

そして最近はカラオケマシンを購入したようで、夜中にカラオケパーティしている。

奇声を発しながら暴れてカラオケパーティ。
これ異常の騒音出せませんと言う限界にチャレンジでもしているのかしら。

プロレスパーティでもしているのかしら?と思うほど、暴れている音に、寝ようと思っても眠れません。

ドカーンと言う音にビクビクする深夜。
テーブルの上から床にデブがジャンプした時にしか出ないような音です。

基本、この上の住人は奇声を発しながら暴れてパーティをしているので、明らかに異常な住人であり、私は接触したくない。

日本なら、大家さん、管理人さんに伝えて第三者に注意してもらうけど、ここはオフィスに言っても何の解決にもならないとのことで、彼が直接話しに行こうかと毎度言うけれど…頭のおかしい人とは関わらないのが利口だと言う考えの私なので、ともかく何もしないで欲しいと頼んでいる。

最初から良識に欠けている上に、そういう友達がたくさん来るので、逆恨みでもされたら面倒。

なので、とりあえずは引っ越したい。
今の部屋に引っ越して来た時は、私は全然英語がダメで言いたいこと、訊きたいこと、何も話せなくて彼の決めるまま、一階に引っ越して来てしまったのだけど(前は2階だった)、たくさん人が通るし、たまに大声で怒鳴りながら歩いている人もいるしで、週末4日間1人で過ごす夜は怖くて仕方ない。

と言う色々が積み重なってか…、1人で外に出るのが怖くて仕方なくなっている。

ゴミ捨てすらも。

オフィスのポストに手紙が来てるか見に行くのも。

今後結婚したら、いずれは仕事を見つけて1人で働きに出なければならないし、その前にカレッジ行こうとも思っているし。

でも、この地域が「どのくらい安全なのか?」って言う自分の中の基準が形成される時に、こういう環境で1年過ごしたところ「あまり安全とは思えない」と形成されたような気がしている。

安全な日本でも襲われるんだから、安全とは言えないこの地域では何があるかわからない…と言う基盤が心の奥で形成されてしまった気がしています。

たまに、彼は友達を家に呼んでゲームをしたがるけれど、その間、私は全くくつろげないので、どこかに行きたい。

先日、学校の最悪だったセッションが終わって、やっとゆっくり出来る…と言う日に「学校終わったから大丈夫でしょ?友達呼んだ」と言われ、精神が崩壊。

アメリカ人は、前々からスケジュール立てることは基本しないので、常に突然友達来ます。

心の準備出来てない時に来ます。

一階で居心地の悪いアパートの部屋。
でも私には、このアパートの部屋しか居場所がない。

日本にいたら「じゃ、私はちょっと出かけてくるね~」って出来るけど、それがここでは今は何も出来ない。

暗いと不平を言うよりも、すすんで灯りをつけましょう の精神を大事にしている私ですが、灯りのつけ方がわからないアメリカ生活。

彼の友達が帰るまで、どこかに1人で行ってみようか…と思いながら、外に1人で出る勇気がない。
自分の部屋に閉じこもって、ずっと待機しているのが、何だか惨めで辛くて、本当にアメリカで生活していく自信がなくなった→精神崩壊。

あぁ…日本に帰りたいな~と思った。

彼は、これには全然気付いていなかったようでした。
なので1から全部話して、ようやく少しは伝わったかなと。

相手の家に行ってくれるなら、それが一番良いんですけどね、相手の事情により、こちらに呼ぶしかないので。

私と結婚することで、何か不自由を強いるのもと思うのですが、こういった事情で何も1人で出来ないのが今の現実です。

外に1人で出られない、唯一のくつろげる場所も快適ではない。

何から改善すればアメリカで生活していけるのだろうか。

まず、出来るのは引っ越すことからかな。

契約が切れるのが6月だけど、出来れば、手数料次第でその前に引っ越せないだろうかと真剣に悩んでいる今であります。

家が、くつろげる場所になったら、心に少しはゆとりが出て、もっと色んなことの幅が広がるかもしれない。
誰の結婚式かっていうと…私のです。

私事ですが先日バレンタインデーにエンゲージしまして…、エンゲージしたてにも関わらず、あっという間に結婚します。

来月。

アメリカでの結婚の仕方も色々手続きが日本と違い(日本で結婚したこともないですがw)興味深いのですが、結婚式の色々も何となく面白い。

何となくっていうのは、まだ私の英語力が全然なので説明聞いていて100%は理解できてないからですね(・_・;

旦那さんになる人はアメリカ人です。
でも私たちは、どちらも無宗教。

そうなると裁判所で愛を誓うか、どこかにministerに来てもらって
愛を誓うか…となるようです。

そこで、結婚式は彼の叔父さんの家で挙げさせてもらうことになりました。

叔父さん…といっても、まだ30代で私と歳も近いので友達って感じなんですけど(^_^;)

映画に出てくるようなプール付きの大きなお家なので、そこで小さな式をすることになりました。

話は逸れますが

私は若い頃に、お金でとーーーーーーっても苦労をしました。
借金まみれでした。
華のある世界に見える美容の世界も、収入は底辺。
販売職はノルマ達成のために自腹と言う暗黙の了解的なルールがあり、さらに美容業界にいるから自分を磨くお金もかかり、他メーカーさんとの付き合いで買ったり…と、少ない収入に見合わない出費にどれだけ嫌な思いをしたかわかりません。

OLに転職するまでの10年以上、ずっと借金背負ってました。
OLになってから2年くらいで完済して、OLってお金使わないし、好きな服着てメイクも好きに出来て、何て良い職業なんだろうと思いました。

何が言いたいかと言うと、借金背負っていた若い頃も、それから完済してお金がなくはない今も結婚式って、すごく嫌なもの…と言うのが私の見解なのです。

ご祝儀、引き出物…呼ぶ側も呼ばれる側も何だかすごく無駄な出費をするイメージ。
アメリカでの結婚式の打ち合わせしながら、何で芸能人でもない私がこんなに注目されなきゃならないんだ∑(゚Д゚)と言う恥ずかしさでいっぱい_| ̄|○

なので日本でも結婚式する気はないです。
1.5次会みたいな、お祝い会みたいなのはしようと思いますが、結婚式、披露宴って変な行事だなって思っちゃうんですよね。

普段は友達なのに、披露宴では一段高いところから眺める…何だか嫌。
余興とか…
なんの発表会だ(´Д` )って思う。
そんな嫌なことするために結婚式披露宴のコストがかかり、呼ばれる側はご祝儀と言うコストがかかる。
嫌なこと尽くし。

なので自分は結婚式披露宴はしたくない。

彼の叔父さんと式の打ち合わせしつつ、ドレスコードどうするかとか、ブレイズメイドは同じドレスを…と聞いて、私の意見を頑張って伝えた。

結婚式は、ただ来ておめでとうと言ってくれるだけで良しとしたい。

私たちの結婚式のために、何か余計にお金を遣うことは絶対にさせたくないと。

特に私の友達は学生だから、みんな勉強するためにアメリカにいるので、今後使うかもわからない服を買ってもらうのも嫌。

みんな何着て来ても良い、ただ愛を誓う際に立ち会ってくれて祝ってくれるだけで良い。

それが私の望む結婚式の形であると。

みんなそれに納得してくれたので、ドレスコードはなし、ブレイズメイドも服の統一はなし(笑)

結婚式って、それで良いと思うんだけどね。

ちなみにアメリカでの結婚は、まずマリッジライセンス(結婚許可書)と言うものを取得します。

それが空の結婚証明書です。

裁判所で愛を誓うか、宗教のある人は教会で愛を誓うか、私たちのように無宗教だと、どこかにministerと言うライセンスに署名できる資格を持った人を呼んで愛を誓うかをして、ライセンスのブランク部分を埋めてもらい証明書を完成させる→後日役所に提出し結婚成立となります。

なので、式しないと結婚できないような感じです。

そう思うと、確かに、日本の入籍は終わってから結婚式をする…って、よく考えたら変ですよね。

そして教会は信者の場所みたいな考えがあるから、無宗教の人は教会で結婚式はできない、しない…らしいです。

一部の教会は無宗教でも式を挙げさせてくれるそうですが、宗教によっては結婚式に出席できない人も出るため、私たちは彼の叔父さんの家を選びました。

無宗教でも教会で結婚式あげて、死んだら寺でお経…日本って変だよなと改めて思いました。

私は中高カトリックの学校だったので、渡米前はカトリックの洗礼を受けようかと、ずっと思っていました。

理由は、お経のありがたみがわからないから。
死後、お経を聞いてもありがたみがわからないので、好きな聖歌で送られたいと言う死に方を想定しての考えでしたが

アメリカで死んでもお経を聞く方が難しいだろうと言うことと、結婚相手が無宗教で、宗教が嫌いと言う人なので、まあ、このまま無宗教でいれば良いか…と今は思ってます。
最近は滅多に起こらなくなった私ですが、今日は久々に怒りが爆発しました。

そして結果的に、ものすごく後味が悪くて嫌な気分。

私の答えをコピーしたがるクラスメイトに対して溜まっていたものがドカンと。

私がいつも予習してくるから写せば良い

やってあるの知ってるからテキスト貸してくれ

までは、うまく断って来ましたが

昨日から各授業で同じグループになることが続き、怒りのバロメーターが振り切れた。

毎度同じグループになるたびに、私の書く筆記体をスペルミスだと言う。

そして例えば、A、C、N、M、O、P等、大文字と小文字が筆記体だと同じ形で大きさが異なるのですが、筆記体を知らないから私に「文章の書き始め、いつも大文字にし忘れている」と言ってくる。

その都度、これで正しい、私は筆記体だから、これで良いんだよって言ってるのに、私の筆記体のAを消してブロック体のAを上から書いたりする。

筆記体では、これが正解なんだってば。
チェックする先生は分かってるから、そのままで良いって言ってるのに

毎回、大文字にし忘れていると言う。

彼の字がとてもキレイならともかく、読めないような汚い字を書くから余計に嫌な気分になる。

みんな大きさバラバラのブロック体を書くけれど、私の筆記体は、きちんと大きさ揃っておる!

何より、人生において最初の一文字を大文字にし忘れるなんてミス、1度もしたことないので、かなりカチンと来る。

今日も私に、また大文字にし忘れてると…

何回これで正しいって言えば分かるんだ!?とドッカーン。

If you want to say that, you should study Cursive first!!!
It's correct.
You don't know Cursive, right!?
I'm not stupid.
I think that you are always sooooo disrespectful.

文句があるなら、まず筆記体を勉強してから言え!これで合ってるの
筆記体知らないんでしょ?
私はバカじゃないし、おまえ本当にいつも失礼すぎる!

テキスト貸せも、スペルミスと指摘してくるのも、マジで失礼過ぎる。

この2週間で溜まりに溜まっていたものが、授業中にドカーンと言って、みんなを驚かせることとなりました。

私に怒られた彼は、平謝りで、泣きそうになっており💧
その後俯いたまま一切グループワークに参加して来ませんでした💧

結局、本当に子供だったのかもしれない。
だから人を敬うことを知らなかったのかもしれない。

子供なら尚更、失礼なことは失礼だと、きちんと言わないとだとも思うけど何とも後味悪い。

全然違う国から来て、全然違うカルチャー。
お互いが尊敬し合わないといけない。

分からないなら余計なことは言わないのがベストだと思うけど…他にも私をからかうジョークを言って来たりと「チョットいい加減にしろよ」と思う部分があったからドッカーン。

怒るのって疲れる。
もう眠くてたまらない(*´Д`)=З

そして、落ち込み過ぎじゃない?ってくらいしょぼーんと俯かれてしまい、私の方が泣きたいわ!

とりあえず授業終了後に先生には謝罪。

先生には、クラスメイトから予習がズルいと言われた時に「私は授業に集中したくて予習しているし、みんなテキスト持っているし予習できるんだから、みんな予習すれば良いだけの話だ」と話していて、先生もそう思うと言っていたんだけども

じつは彼は私が予習してるからテキストを貸してくれとも言ってくる、私のを写せば良いと平気で言うし、筆記体知らないのに間違えていないのをスペルミスだと言ってくる…2週間耐えてみたけど、あまりにも色々と失礼だと思ったもんで…今日は怒ってしまった。
ただ、授業中に怒ってしまったことは授業の妨げになったと思うので申し訳なかったですと言ったところ

全然間違ったことしてないし、授業の後に、私が謝りに来たことは、すごく良いこと、気にしなくて大丈夫よ…と言ってくれたので、少し気楽。

あと7日で今のクラスメイトとさよなら。
がんばろう(*´Д`)=З

せっかく留学しているので頑張って英語でも書いてみよう。

I got angry today. However, I don't like this feeling after I got angry and told someone off.
I usually don't get angry because I can handle that feelings very well. However, I can never agree with disrespectful indications. I think the students should respect each other.
My hand writing is the cursive. I know that nobody uses it anymore. However, I practiced it very very hard because I wanted to write cool and beautiful letters and I didn't know that is not common nowadays.
Unfortunately, some people don't know the cursive. Of course, it's ok, but I think they shouldn't point something that they've never studied.
I've never forgotten to follow the rules that the first word of every sentence should be capitalized. 'A' of the cursive is the same shape as 'a', but the size is different. 'C', 'M', 'N','O',and 'P' of the cursive are also the same.
I explained it many times, but some people point it that I made a mistake.
I really don't like it.
And one more thing, I usually prepare a lot for the classes because my listening skill is still not good and I want to concentrate on the teacher's explanation.
It means I always make an effort to cover my weak points and it's for my future but not other people's. I must make an effort a lot because I'm not young. I'm here and studying English for re-doing my life. I don't want to regret my life anymore. Therefore, I'm a hard-worker now.
When I was young, I couldn't study any subjects at all because I had lost my self-confidence and felt very pessimistic for the future. Consequently, I don't have any foundation for studying English now. Young students have a good foundation because their goal was originally going to the University in the U.S.
I still don't know a lot of words and I need to study a lot of them in order to cover my weak point. Otherwise, I can't live here in the future.
I sometimes lose my temper because I want young people to notice that they can have a super big hope and should spare no effort for their success. Usually, I can keep it on, but I held my feeling back today. The cause of it was a small thing, but I don't like the behavior that someone don't make an effort like copying other person's homework/answers. I felt that it was so disrespectful.
A lot of things happened around the same time. Consequently, I couldn't handle my feeling today. I know that my behavior was immature so that I feel guilty and uncomfortable now.