アブラゼミ恐怖症です・・・


こんばんわ。


この世の中で一番怖いものはアブラゼミです。

Gに関しては全然平気です。

「うわ!」くらい言いますけど、特に怖くはありません。


小さいのは最悪、素手でもいけるくらい平気です。


ただ・・・蝉に関しては話が違い、特にアブラゼミがダメ。


子供の頃、外で遊んでいた時にスカートにくっついて全然離れなかった経験から、怖くて怖くてダメです_| ̄|○


怖い怖い・・・って人に話し過ぎて、余計に恐怖心に拍車かかった気がしていますノд-。)クスン

言葉って言霊ですね。。。



大人になるにつれて恐怖症度が増してきていました。


夏場は、セミにビビる私に周りがビビる。

車運転中にセミに急ブレーキ踏む。

怖すぎて悲鳴もあげられず、固まる。

原付乗っていても、木の近くを走れずに右寄りを走ってしまう。

原付の信号待ちでは、いつどこからセミに襲われるか脅えては半分泣いている。


出掛ける時は、玄関をゆっくり開けながら、扉の近くにいないか気配を伺う。

外を歩く時は早く歩けないので、友達に手を引かれる。

母に手を繋いで歩いてもらう。


6月末くらいから10月半ばまで夜出掛ける誘いは断る。

ストリートダンサーなのに、この時期はストリートで踊れるわけがないのでスタジオダンサーになる。


やむを得ず夜出掛けると、懐中電灯アプリで道を照らしながらじゃないと歩けない。


セミにおびえ過ぎて、むしろスズメも鳩までも一瞬「セミか!?」とビビる。

ようするに飛んでいるもの全てにビクっ!!となる。

基本、家から駅までは車で送ってもらうけど、親がいないと車で仕事へ行くか有休使って家から出ない。


選挙の投票所の入口に木が多過ぎて、セミが怖くて投票せずに帰った→以降、不在者投票に行くようになった。


セミにビクビクする私を人は「フラワーロックかwwww」と笑う。


ともかく、もう本当に蝉がダメ。

アブラゼミがダメ・・・と言っているのは、ある意味自分への暗示です。

道端に落ちているのって全部アブラゼミで、透明の羽のミンミンゼミとかって見かけないので、あの良く見かけるのだけがダメ・・・と言い聞かせ


たまにミンミン聞える時は「あれはミンミンだから私を襲わない」とか言い聞かせて歩いたり。


じつは変質者に襲われた一件も、襲われたことは結構どうでも良かったのに、夏場だったために、本来一歩も家から出たくないところを、セミだらけの中を警察やら検察局やらに行かなければならなかったことが一番の恐怖だった。


駅から検察まで木が生い茂っていて泣きたくなった。゚(゚´Д`゚)゚。


犯人に対して思うことはありますか?って質問も「特にない」としておきつつも、内心は「夏は勘弁してくれよ!!」だった。

そんなこんなで


親からも「私たちが死んだあと、あなたどうするの!!」と、ずっと言われていました。


私も、親がいなくなったら、どうやって生きていこうって思ってました。


催眠術とか、本気で調べたこともあり


誰が見ても「異常」なレベルのビビり方に、たくさんの人に心配をかけてきました。



が!!



ダラスにはアブラゼミがいません!!


本当は、アブラゼミって関東に生息しているらしく、たまたま自分の住んでいた所に多かったみたいです。

日本にいても他の地域なら、そんなに脅えずに暮らせたのかもしれないです。


まあ、とりあえず、ここでは夏は暑いだけで脅えることはありません。


何でも大きいことが自慢のテキサスですが、蝉は10円玉サイズ。


そして、ほとんど目にしません。

鳴いてはいますが、音はいつも遠い。

去年は一度も見てません。


日本にいた頃は、夏が来るたびに憂欝でたまらなかったけれど、去年から夏を楽しめるようになりました。


アメリカに住むことは、簡単に病院に行けないとか、歯医者に行けないとか、食事飽きたとか、問題はたくさんあって日本に住みたいと思うこともあるのは事実なんですが、アブラゼミに脅えないで過ごせるだけでも幸せだなって思います。


私が生きて行く上で一番の不安要素だったかもしれないので_| ̄|○



今年も夏が来た。

脅えないで済む、二度目の夏。

今テキサスで暮らせていること、こればっかりは運命に感謝ですね。

アメリカ人と結婚しました・・・さて、苗字どうしましょう??となるわけですが


通常は3パターン


1、アメリカでも日本でも旦那姓(日本ではカタカナ)


2、アメリカでも日本でも旧姓のまま(アメリカでは夫婦別姓も珍しくないそうです)


3、アメリカでは旦那の姓、日本では旧姓のまま


日本の苗字を旧姓のままにしておくのは、何の手続きもいらないので、割りとみなさん日本では旧姓を選ぶそうです。


私の場合・・・


ちょっと一つstepを踏み忘れた感じで、上記3つのどれにも当てはまらない、アメリカでは旧姓、日本では新姓(旦那姓)に今はなっています。


アメリカは州によって法律も違えば、結婚のプロセス?も違う。


国際結婚をした人のブログを読むと、大抵は


マリッジライセンス(結婚許可証)を取得→結婚式→マリッジサティフィケート(結婚証明書)の登録に役所へ・・・で、この登録時に役所で苗字をどうするか訊かれて「悩んだけど旦那の姓にしました」とか「ミドルネームに旧姓を入れました」とか、そういう記事を見るんですが・・・


私が役所へ結婚証明書の登録に行った時は訊かれなかった。

旦那に苗字の話をしたんだけど「ここでじゃないし、苗字はいつでも変えられるから」と言われ「???」のまま終了。


テキサスは、いつ、どこで、どうやって苗字を変えるんだΣ(゚Д゚;≡;゚д゚)!?


本当は役所で変えられたんじゃないの?・・・と内心疑っているのは、旦那が人の多い所が完璧にダメな人で(日本の役所に比べたら全然混んでないんだけど)、役所に入った瞬間に思考が停止しているのが私には解った( ´_ゝ`)


ある意味、今後の目標が出来ました。

人が多い所で私が何とかしなければいけないから、率先して行けるだけの英語力を身に就けないと!!と言う目標w


ちょっと他の件でも別の日に別の役所でやる・・・と言出だして「No」と言って、結局、他のところでは出来ないからと列に並びなおしたものがあるので、確実に「人がいっぱいいるから必要最低限のことだけを早く済ませて一刻も早く帰りたい病」を発症していたと思うわけです。


なので・・・本当に、テキサスでは役所で苗字が変えられなかったのか?と言う疑問は今も持っているw


とは言え、済んでしまったことなので、今さらどうにも出来ないので、残された選択肢の方へ進むしかないわけです。



今さら、どうにも出来ない・・・けど、これが、かなり厄介でした。

本当に、事前にもっと完璧に調べておくべきことだったなと思います。


結局、結婚後、苗字を変える手続きを後回しにしたけれど、ビザステータスの関係でグリーンカード申請は、すぐに始めなければ行けなかったんです。


書類には、現状のままを記入しますので、私は全て旧姓で申請することに・・・


今後、SSNを取得して、車の免許も・・・と考えているけれど、グリーンカードを旧姓で申請している以上、他も旧姓ですよね?w


結構、何度も「苗字変えたい!!」と結婚前から、結婚後もずっと言ってたんだけど、旦那の頭のどこかで、これが「国際結婚」であることを忘れていたようで「いつでも出来る」と後回しにしてしまい、全ての手続きがややこしい状態に_| ̄|○


グリーンカード申請の手続きをお願いしている弁護士さんに相談したところ、苗字を変えたいのであれば面接の時に申し出てOKを貰ってから変えるようにと言われました。


イロイロ調べたところ、SSNや運転免許の苗字変更は費用は大してかからないけど、グリーンカードの苗字変更に関しては申請し直し扱いで約$500かかるらしい。


ならばSSNや運転免許は、とりあえず旧姓で取得して、あとから変えようとなった。


今は、ともかく面接が行われること(テキサスで国際結婚した人のブログで面接がなぜか免除された人がいたので、イロイロ謎)、そして面接時に苗字の変更を許可してもらえることを願うばかり。



話は少し変わり、日本での苗字の話。


国際結婚をして、日本で旦那の姓を名乗るとしたらカタカナ姓になります。


なので、それを嫌がって日本では旧姓の国際結婚カップルもたくさんいます。

旧姓のままであれば、銀行とかクレジットカード等の名義変更も必要ないしでラクなのです。


でも、じつは私は日本の方の苗字を変えたくて仕方なかった。。。


例え今、アメリカで暮らしていようとも、念には念をと言うか(*´Д`)=З


ちょっと前のブログでも触れたんですが、数年前に変質者に襲われた件で相手を告訴しています。

日本の法律の落とし穴で、誰だか解らない人の告訴は受け入れられないとなっているため、告訴する場合は犯人に私の名前と年齢(生年月日だったか?どっちか忘れました)は伝わるんだそうです。


そういう落とし穴のために、強制わいせつ罪とか告訴せずに泣き寝入りすることが多いと聞きました。


事件について少し書くと、犯人は余罪10件以上で、被害者は私以外にもたくさんいたわけです。

被害者の中には事件後、一人で外を歩けなくなってしまった人もいると聞きました。

若い被害者の親御さんとしては、事件によって娘の人生が狂ったと憤っている方もいたようです。


私に関しては、たまたま手負いの時だった・・・ので、手負いじゃなければ絶対追いかけて捕まえてた←そういう性格。

友達も「犯人ラッキーだったね!手負いじゃなきゃ犯人の方が危ないwww」と言うくらいなので、ようするに「舐められた!!」みたいな怒りは瞬間的にあったものの、怖いなんて感情は全くなく、その後も同じ道を夜中に一人で歩いておりました。


「絶対許さない!」とか、怒り、怨み・・・みたいな醜い感情は疲れるので、基本「まあ、いいや」となる性格の私。


確かに手負いの時に、後ろから乗っかられたせいで、腰が逝き・・・今までやって来た仕事は今後出来なくなりました。

ある意味、人生は狂わされているんですけど、それでも怒っても怨んでも何も解決しないので、正直、犯人に関しても「起きたことに関しちゃ仕方ないんで~」な気持ちでおりました。


犯人は余罪がたくさんありましたが、どの被害者の証言も有力ではなく、決定的な証拠もなく、警察も逮捕するまでに至らなかったのですが・・・私の証言が有力で逮捕となりました。



何でか?は、伏せておきますw



結局、私しか告訴できなかったんです。

怒っても怨んでもいないし・・・と、思ったのですが、他の被害者の気持ち、親御さんの希望を背負うこととなり、苦渋の決断で告訴しました。


犯人の弁護士には、その旨は伝えています。

私自身は、済んだことで、怒りや憎しみのような醜い感情を長く持つことは疲れますので、全く怒ってないこと、ただ、犯人か他の被害者か、どちらを助けるかと言うと後者になるため告訴と言う形になった。



弁護士を通して、私の気持ちが伝わってくれていたら良いな~と思うんですが、直接話しているわけではないので、相手に私の真意が伝わったかどうかは解りませんし、犯人の人間性も知りませんので、どのような受け取り方をしているかも解りません。


告訴した以上、相手は私のフルネームを知っていますし、年齢も知っています。

残念ながら、新聞に私の住んでた「区」まで載り(新聞社には抗議メールし謝罪されましたが新聞じゃ削除できないので、本当に気を付けてもらいたいものです)、調べようと思えば特定出来ちゃう気がしたんですよね。


そのため、いくら私が今アメリカで暮らしているとはいえ、念のために犯人の知っている苗字から旦那の苗字に変更をしておきたかったのです。


私としては、結婚後は日本では旦那の姓を名乗りたいのです。



でもアメリカでは、まだ面接に行ってないしで旧姓。


日本の婚姻届を出す際に日本領事館に問い合わせた所、アメリカの手続きと日本の手続きは別物なので、先に日本の戸籍の変更しても問題ないってことで、とりあえず日本の婚姻届提出時に「外国人との婚姻により氏の変更届」も提出したので、今の段階で私はアメリカでは旧姓、日本では新姓って言う変な状態になっています。


ちなみに、日本の戸籍の苗字の変更に関しては、婚姻後3ヶ月以内であれば、日本領事館に「外国人との婚姻により氏の変更届」を出せば手続き可能、それ以降6ヶ月以内であれば私が日本の役所と直接やり取りすることで可能・・・と、誰かのブログで読んだのですが、日本領事館の方からは6ヶ月以内なら出来ると言われたので、もしかしたら変わったのかな?


何にせよ、6ヶ月を過ぎると大変なのです。


婚姻後、6ヶ月経過後に苗字を変えたい場合は、家庭裁判所にやむを得ない変更理由を申告し、指定された日に出廷し、許可を得られないと変更が出来ないわけです。


やむを得ない変更理由はあるけど、家庭裁判所に申告、出廷が海外在住だと面倒だし、イロイロリスクがあるので、もう先に変えてしまいました(*´Д`)=З


あとは、グリーンカードの面接時にアメリカでの苗字の変更を申請して・・・



ちゃんと新姓のグリーンカードが来たら、日本国領事館でパスポートの名義変更となります。

これが一番の不安。


レストランやファストフードでアメリカ人の旦那が注文しても50%くらいの確率で注文した通りに来ない、この国(´;ω;`)


だから、面接時に苗字の変更を申告しても受け取って確認するまでは、申請通りに来るか解らないと私は思っている。



なので、ともかくグリーンカード受け取るまではパスポートの名義変更はしないでおこうと思います。



いろんな手続きがスムーズに行きますように願うばかりです。


前回のブログから大分間が空いてしましました。


ラップバトルの授業が嫌過ぎてパニック障害になった私・・・


その後、プロデューサーと話したところ表向き生徒には教えない最低限の出席日数があるとのことで、また私の場合、それが最後のセッションであったこともあり、ワーニングが出ても「次のセッションで同じように出席率が悪かった場合・・・」と言うワーニングなので、次のセッションがない私には関係ないとのことで、最後の2週間は週に2日ずつ出席して学校を終わらせました。


卒業はしていません。


それでも、さすがアメリカ


「今まで頑張ってきたんだから最後くらい、まあ、そんなこともあるわよ!全体通して見たら、あなたは良くやった!!」


とのことで、終わり良くなくとも全てよし・・・でした。


このブログの初期では自分の将来が不透明であったために「友達」として表記してきました、現在の旦那。


出会った時はhelloとnice to meet youしか話せなかった私が人生のやり直しのためにアラフォーで留学を決意しました。


最後は、不本意すぎるラップバトルにパニック障害、不安発作を起こすと言う、ある意味ミラクルで後味の悪い終わり方にはなりましたが


1年間の語学留学は、とても有意義なものでした。


私が自分の人間性を考えた時思うのは、この歳で旦那がいたから出来たことで


若いころに留学してみたところで1ヶ月が限界で、すぐに日本に帰っていただろうと思います。



そのくらい留学は大変な経験でした。


1年、アメリカ人と暮らしながら語学学校に通ってみたけれど、まだまだ完璧には程遠いです。

正直、日本人の性格ゆえに、こう考えているところもありますけど。


聞き取れないし、通じない・・・それが日常茶飯事なので、これからも勉強を続けなければいけないと思います。


もちろん、留学前に比べたら全然違うんですけど、でも、ここで自信を持って生活できるほどのスキルはまだないです。



この地で結婚して、この地で何の仕事をしよう・・・と思った時に、アメリカはネイリストが国家資格だし、また語学学校だけでは英語に慣れ親しみ切れてないので、進学したいのもあり、ネイリストを目指そうかなと考えてます。


メイクの仕事を15年以上続けて来ましたが、ヘルニアで今後はできない仕事です。


元々、ずっと絵を描いて来たのもあり、美容に関わることで、手先の器用さも生かせると思うと、ネイリストの勉強は自分に向いているかな?と思ってます。


ただ、ここはオシャレな街ニューヨークとは違うので、ちゃんと学べる学校が見つかるのか?私の英語力で見つけられるのか?と言う不安が今の所はありますね。


今は学校が終わり、結婚後の手続きでバタバタしているので、少し落ち着いたら勉強を再開しつつ将来を模索しようかと思います。

私の通う語学学校は101から112まで12段階にレベル分けされている。

101-103 初級
104-106 中級
107-109 上級
110-112 マスターレベル

となっている。
この構図を見ただけ、また109までのレベルにいる間には分からないことだけれどマスターレベルと言うのはアメリカ国内の四年制大学進学を目的とした論文の書き方や、大学の講義のためのノートの取り方、大学での授業を想定した内容となっている。

それに気付いたのは108の時。
109まではvocabularyと文法の授業の予定だったのが、学校がプログラムの変更を考え出して突然108のvocabularyをなくして論文の書き方についての授業に変えてきた。

私の語学学校は大学付属なので、四年制大学進学を目指している生徒は多いけれど、私はちょっと違う立場なのでプロデューサーと話して、論文の授業を一つ下のvocabularyのクラスへの出席に変えてもらうことができた。

そもそも、私の目は色々な問題があって細かい文字、長文を読むことができない。

書くことは問題ないのに、読むのには問題がある理由は自分でもよくわからないのですが…。

マスターでは大学進学に合わせた論文の授業がメインになると、そこで知り、そして目に問題のある私にとって不可能であるリーディングが必須であることを知った。

私は大学に進学しないため、マスターレベルへ進む必要はないと判断したので上級レベルまでを2回ずつリピートしつつ、文法とvocabularyを固めることに目標を定めた。
それでも払い終えた学費が余ってしまうなとは思ったのですが…

108をリピートした時、学校側は前回のセッションで試した結果、108レベルに論文の授業は不適切と判断したらしく108の論文の授業はvocabularyに戻った。

108をクリアした私の元々のクラスメイトは109へ上がり、vocabularyなしの論文の授業が続いた。

しかし、私が2度目の108を終え109に上がると、論文の授業はなくなりvocabularyにそれも戻った。

やはり109まで終えないと四年制大学への進学準備は難しいと言うことなのだろう。

109は先生運がなく…ものすごくストレスを感じるセッションでした。

コミュニティーやボランティア等についてのトピックで「私たちがこの語学学校に対してできることはなんだろう」と言う話し合いをすることとなった。

例えば1人1ドルずつ出し合って、みんなにクッキーを振る舞おうとか…と言われた。

結果、全員がクッキーを買って持ってくる(クッキー5ドルくらいするので1ドルどころの出費ではなくなった)、そして「みんな!試験頑張ってね!」と言うポスターを貼り、学校中の生徒を励まし、クッキーを振る舞おうと言うことになった。

私はこれに対し、英語を学ぶために学費を払っているのに、ちゃんとした授業を行わずに、5ドルとは言えさらに金を払ってクッキーを振る舞う意味がわからず…

そして、この先生はまともに授業しなくて以前もストレスが溜まった先生だったので、また、ほとんど授業をせず、テキストの半分以上をスキップし、学費払ってるのにまともな授業が受けられない上に、更に金を払ってクッキーを振舞わされ、最後はテキスト終わってないのに映画鑑賞…させておいて自分はスマホいじっていると、無責任すぎる色々にともかくストレスをためて終わったセッションだった。

この先生は現地の小学生がやるようなことを大人の私たちにやらせるのが良いと思っているよう。

ちょっとやった文法の授業は相変わらず答えを間違えていたし…歳だから耳が悪いのかな(-_-)

1番大事なところ間違えてたけど、私も嫌になってたので放っておいた。
次のセッションで結果的にリピートして、他の先生に習ったところ、やっぱりか…と言う結果でした。

こういうのよくあって、人間的にはすごく素敵な人で授業抜きに話すのは楽しいのだけど授業の仕方は最悪という先生。

どちらも素敵な先生もいるんだけど、何人かは人としては大好きなのに授業は最悪。

前回のセッション中、結婚が決まり、永住権申請のステップなどの話とともにプロデューサーの元へ。

109は終わったけどマスターに行く必要はないし、ただ学生ビザステータス維持のために学校には残り2ヶ月通わないとならない。
学費も、すでに払っているし、残りの2ヶ月はレベルにはこだわらないので(どんなに下のクラスでも構わないので)、きちんと授業してくれる先生のクラスで過ごさせてもらえないだろうかと相談したところOKを貰った。

新しいセッションが始まり、学校へ行くと、私の名前はマスターレベルに入っていた。

目の事情も話しているのに何でマスターなのかと何度もプロデューサーに尋ねた。

目のことは本が読めない…と言う言い方をしたのがダメだったようで、長文や細かい文字が追えないと言う説明をしないとわかってもらえないことに気づく。

プロデューサーからは、わからないにらクラスメイトを使えば良いのよ!クラスメイトに読んでもらって内容を教えて貰えば良いと言われる。

私が何でも先に先にと予習するのに対し、クラスメイトの誰もそうではない以上、私が知りたい時に誰も説明はできない。

そして人には得意不得意があり、私はwritingとspeakingに長けているけれど、全体の比率はリスニングに長けている人は多いが、writingに長けている人は驚くほど少ない。

あとspeakingも少ない。
もう上級レベルなのだが、周りが何言ってるんだか全然わからない。

それはもちろん、環境が違うからだとわかっているのだけど…

アメリカ人の旦那と暮らす私は生の英語に触れて生きているけれど、留学生同士で生活していたら、ネイティヴと関わる機会は0に等しいので、何がcommonな表現なのか知らないわけで、話していて何が言いたいのかわからない。

でも、みんな自信満々(・_・;

話していてももちろん、テキストやりとりしていても、マスターレベルなのに三単現のsがないとか、関係代名詞が使えないとか、カンマの位置が違うとか…ようするに、何言ってんだか全然わからない(つД`)・゚・

そうなると

自分でテキストを読むしかない。

そして顔の変形が始まった。
右目が開かなくなり、酷い頭痛に悩んだ。
そして半顔が麻痺し始める。←日本でOLに転職した時に、入力業務でこの症状を経験した。

結婚式を目前に、顔の変形が怖くて、109のリピートに戻れないか再度交渉した。

OL時代の顔の変形写真も見せて、ようやく109のリピートを認められた…のが一個前のセッションの話。

セッション終わりに、次のセッション(今回のセッション)について話し合いをして、プロデューサーからは109をリピートするかマスターに行くしか選択肢はないと言われた。

前回、マスターに2日出席してみて、マスターのメインテキストは、長文はあるものの多くはないので、結婚式の準備もなく時間に少しゆとりがあれば旦那に読んで要約してもらいながら何とかなるかな?とマスターやってみようか…と思いつつ、前回はvocabularyが長文読解テキストで、マスタークラス全部が長文読解だったから無理もあり、マスターに挑戦したい気持ちはあるけれど、あのvocabularyのテキストは無理だと話したら

「vocabularyのテキストは変わるから大丈夫よ」

と言われ、マスターをやってみることに。

マスターに行こうかなと思ったもう一つは、過去、私に嫌がらせをしてきたベネズエラ人が前回のセッションで卒業だと思ったので、もうマスターにはいないし、同じクラスになる可能性もないし…と言うのもあった。

このセッションが始まり、学校初日、クラス分けリストを見て、ベネズエラ人の名前がリストにないことを確認。

心から安心した。

マスターの先生は、1度目の109でクッキー振舞えの授業をやった先生だったけれど、マスターの授業に限ってはテキストを隅から隅までやるより、スキップしまくってスピーキングメインの方が気楽なので、逆に、この先生とならマスターもやり切れるかもしれないと思った。

1時間目に貰ったテキストは、前回とはまた違うテキストだった。
ここ最近、私の語学学校はいろんなことを試行錯誤している段階らしく、ものすごく難しいテキストを渡された。

不安の中、先生に長文が読めない旨伝えると、全然文章読む必要ないから、スピーキングメインだから大丈夫よと言われ、少し安心した。

実際、1時間目の授業は楽しかった。

2時間目…

学費を払い忘れていた生徒たちが支払いを終えて入ってきた。

そしてその最後に、過去私に嫌がらせをしたベネズエラ人が入ってきて、私の隣に座った。

息ができなかった。

ちなみに、数日後、私は重い症状の風邪をひき、医者からタミフルを処方されるはめになったのですが、それは彼女からうつったと思われる。
その隣に座った時、物凄い咳とくしゃみ、そしてずっと鼻をかんでいて、学校来ないかマスクして来い…というレベルだったので。

2時間目が終わり、プロデューサーの元へ。

このプロデューサーは彼女が私に嫌がらせしてきた時に最初に相談に行った人。
一連の話を知っている。

「いつもいつも迷惑かけてばかりでゴメンなさい。でも彼女と同じクラスでは息が出来ない、怖くてクラスに入れない」と泣いて訴えた。

プロデューサーは
「わかってるから、大丈夫だから、私はただクリックするだけだから大丈夫よ(^^)」
と私のクラスを変更した…長文読解メインのマスタークラスに。

2日目から長文読解メインのマスタークラスに入った。
テキストが読めない私には地獄だった。

今回のセッションで使い始めたマスターのテキストは1997年のテキスト。

古くて、テキストのレイアウト自体もものすごく見辛い。

表記されている字が小さいからなのか、正直、私は自分の病気に関して出来ることと出来ない差が何でなのかがわからないのだけど、そのテキストは長文のページ以外も読むことが難しくて目にとても負担がかかった。

4週間で一つの内容を、やるから出だしから内容がわからないと4週間何もわからないまま話が進んで行く。

旦那にテキストを読んでもらった。
旦那が言うにはアメリカ人が短大とかでやる内容だから、これは僕でも難しいと。

そして、作者が作った言葉が多いから説明が難しい。
私も自分で調べても、作者が作った言葉は、日本語でどういうことを言いたいのか全くわからない。

その作者が、考えた言葉の定義がクリアにならないと、前に進めないのに全くわからなかった。

クラスメイトが先生に、まだ意味がわからないと訊いた。

先生はテキストを読めば良いと言って説明しなかった。

テキストが読めない…

私には、このセッションは無理だと判断した。

レベルが固定されるのは第1週の金曜。
だから木曜までに、やはり無理だと伝えれば109、3回目だけどリピートに変えて貰えるかもと思った。

一度はマスターにチャレンジしてみようと言ったし、さらにベネズエラ人の件があって、またクラス変えを願い出ることに、迷惑ばかりかける自分がとても嫌で、罪悪感いっぱいでたまらなかったけれど、それでもこのまま4週間過ごせる気はしなかったから、何とかしなければと勇気を振り絞ってオフィスへ行った。

オフィスには、いつも相談にのってくれるプロデューサーはいなくて、新しく来た校長が「何か用?私が聞くわよ?」と言ってきた。

私の目には問題があってマスターのテキストが読めない、だから109のリピートに戻りたいんです

と伝えると、あなたは1度109をパスしているから戻ることはできない。
それが学生ビザのルールだから

と言われた。

今まで出来たことが何で出来ないのか不思議で仕方なかったけれど、いつもいつも迷惑かけている罪悪感に押し潰されかけ、勇気を振り絞って行ったオフィス…もう何だか目の前が真っ暗になった気分だった。

その校長は笑顔で
「先生にあなたの目のことを説明して。先生が助けてくれるから」と言った。

今、次に私に出来ることは、先生に私の目のことをわかってもらうことだと思い、担当の先生に説明に行った。

旦那が事前に説明文を書くのを手伝ってくれていたので、文章を見せた。

先生は「あー、私の兄弟も同じ病気なの。でも、あなたよりも悪いから、あなたは大丈夫よ(^^)」と言った。

そんな簡単なことではない。
でも英語で訊けない。

斜位なの?斜視と斜位は全く違うし、見た目には斜視の方が悪く見えても大変なのは斜位の方だけど、本当に同じなの?
私は斜位に色々と他の問題が混在しているのだけれど、見た目には全くわからないから説明が難しい。

目が悪いのに何でメガネをかけてないのかと、よく訊かれるけれど目が悪すぎてメガネでは矯正が出来ないのです。

ハードコンタクトのみ、私の目を矯正できる。

メガネもあるけれど視力が出せないので、メガネでは車の運転等はできない。

「子供の頃から3回手術したんだけど、上手く行かなくて」と付け加えると、先生は笑って

「彼の目なんて一生治らないわよ(^^)」と言った。

私は、何だか絶望的な気分になった。
この先、このセッションで目が原因で出来ないことを、この先生には認めてもらえないという絶望。

1番して欲しくない誤解、それは

「時間さえかければ長文が読める」

と言う考え。

時間かけても読めない。

単語を単語として「見る」ことはできても、それを文章として「読む」ことが出来ない。

時間をかけて小さな文字を読むことで、1度、右目がスパークした感じになって見えなくなったことがある。

無理をすると視界に欠損が起きる。

先生の兄弟の目がどんなか知らないけど、私は出来ないんだよ…。

頑張って行っても、先生が何について授業しているのかがわからない。
わからないならテキスト見ろ…毎日の無理な予習で毎日恐ろしい頭痛との闘い。

風邪がうつったと思われ、具合悪くてマスクして学校行った時は「具合悪いの?ん~…でも大丈夫そうに見えるけど(^^)」とも言われた→タミフル出されるレベルだった。

と言うことで、この先生がちょっとズレているのだと言うのはわかった。

この先生はゆっくり話してくれるけれど、なんでか私はこの先生の英語がこんなにゆっくりなのにも関わらず全然聞き取れない。

先生の話を聞いてみんなが笑っていても、私は先生が何て言ったのか、みんなが何で笑っているのかわからない。

大学の講義のようなビデオを見せられ、要約しろと言われてもリスニング力が弱くて何のレクチャーなのか何一つわからなかった。

テキストもまともに読めない、先生が何言ってるのかわからない、クラスメイトとの理解力の差に孤独を感じて仕方なかった。

私はspeakingが出来るから、みんな勘違いする。
でも私はリスニングが本当にダメで慣れている人と、多分テキサス出身の人の英語しか聞き取れない。

もう一つの授業は、最悪なことに1番厳しいと言う先生。
厳しいと言うよりも1番自分勝手なのを威圧して思い通りにしている先生。

7ヶ国語を話すモルタイリンガルのおばあちゃん。

このおばあちゃんの英語にはイギリス英語の訛りがある…と旦那が言っていた。

だからなのか、こちらも全然聞き取れない。

私の授業はすごく厳しいわよ!今まで私の授業に当たったことない生徒は、すぐに私の授業は大変だと知ることになるわ!

この人は宿題20ページとか普通に出す。

そして、メールで大量の資料を送りつけてきていつまでに勉強してオンラインでテスト受けろとなる。

私は7ヶ国語話すくらい勉強してるんだから、お前らももっと勉強しろと言う考え。

大量の資料、テスト、大量の資料、テストの繰り返しで、常に次のテストを考えなければならず、かなり精神的に追い詰められる。

そして、そんな中、そのおばあちゃんは宿題にラップ作って来いと言った。

このラップが宿題になった時、私は毎日が辛すぎて、家に帰ると涙が止まらず、自分でも何で泣いてるのかわからず

でも、泣いて泣いて

そして夜は吐き気で横になれず眠れない日々だった。

宿題は習ったidiomとことわざを使ってラップ作ってこい。

鬱状態の時にラップ…

見かねた旦那が考えてくれた。

風邪がなかなか治らなかったのもあり、咳が止まらずマスクして授業に出ていたのだけれど

学校行ったらラップはグループワークだと知り少し安心した…のも束の間、グループ全員が、まず私から行けとニヤニヤして押し付け始めた。

私は前日インフルエンザ疑惑で欠席していたから、ラップって何をするのかイメージも出来ないんだけど、と言ってるのに(そもそも、こんなに咳き込んでるのに?と思った)

音楽流して、早くしろとまくしたてられた

先生にも、カモンカモン!とまくしたてられた

頑なにやらなかった

クラスメイトにも嫌気がさした。

咳が止まらない、マスクしてる、前日までインフルエンザ疑いで休んでた人に対し、思いやりという言葉は日本にしかないのかと考えた。

グループワークなので、私の持ってきたラップの歌詞をサウジの男の子がやるとなり、翌日ラップバトル。

私は詩を書いて持っていったし、グループワークにきちんと参加した。

でも私の成績は0点にされた。

ラップをやらない人は後ろで踊れと先生に言われた。
ちゃんとやったが0点。

参加してなかった人は指名するから明日までに練習してきて、明日ラップバトルに出るようにと言われた。

私はその候補に入らなかったが、きっと明日指名されて月曜にラップやれと言われるのだろうと思った(木曜日)。

その夜、やはり気持ち悪くて眠れなかった。

やっと眠れたと思ったら、何だか恐ろしい夢にあっという間に目が覚めた。

旦那と出掛けてる最中に拳銃を持った男が現れて撃たれる夢を見た。

旦那が隣で殺されて、大声で泣き叫びながら目が覚めた。

それから、眠れず…

余談ですが昨日は行くところ行くところが火事になり火に追われ、焼き殺されかける夢を見た。

もう精神がやられている象徴だと思う。

朝、学校へ行く時間が近づいた時、突然、ひどい車酔いのような気持ち悪さと目眩で歩けなくなった。

学校に行きたくなくて、気が狂いそうだった。

気持ち悪くて何もできず、旦那がプロデューサーにメール。
旦那は今回の件には、学校に対してちょっと怒っていた。

プロデューサーからの返信は、ちゃんと私のことを考慮してスピーキングメインのクラスにしたのにベネズエラ人の子が嫌だと言ったのは私だし、それに答えて一度クラスを変えている。

下のクラスはもういっぱいで、どこにもどうすることもできないとの返答。

旦那は先生が、私の目について「私の兄弟の方が悪いから、あなたは大丈夫」と言ったことに対して怒っていて、それについてもメールしていた。

実際、先生は普段は先生ではなくプロデューサーのアシスタントがメイン業務なので、この2人は友達みたいな感じ。

だからプロデューサーは先生を庇いたかったのだと思うけれど

彼女の兄弟は本当に酷い目なのに、たくさんのことを達成してきているのよ!

と返答。

それは他人が判断することじゃないと私は思うよ。


私はあまりの症状に病院へ行きたいと旦那に頼み病院へ。

血液検査から尿検査から全部して身体に異常がないため、この症状は不安発作、パニック障害と診断された。

学校について考えると、吐き気と目眩はひどくなるので確かに確実。

吐き気は波があって大丈夫な時は大丈夫で食事出来る時もある。
横になれる時もあって、少し眠れる時もある。

でも目眩はなかなか落ち着かなくてシャワー入るのや、歯磨きのために洗面所に立っているのすら大変だったりする。

ソファに横に座って背もたれに頭を固定していると1番ラク。

でも、そこから頭動かせない。

頭固定しながらなら文章が、書けることに気付いたので私からもプロデューサーにメールした。

ここはアメリカ。
日本で私が彼女の立場なら土日もメールチェックして返答するけど、勤務時間過ぎたらメールも見ないし返答もないので、月曜まで返信は来ない。

旦那は結構怒ってメールしていたから、ちょっとそれもごめんなさいと、今まで感じた、ここに書いてきた内容を全部メールしてみた。

パニック障害、不安発作と診断されたため、学校へ行くのはほぼ不可能だと思うので、診断書とともに病欠しようとも思うけれど

例えば1セッション3日までは休んでも学生ビザステータスは維持できるので、診断書なしで3日休めるのなら、このセッションは残り6回だし行ってみようとも思う→不安発作ってそんな簡単じゃないから、そう言いつつも実際行けるかはわからないけど。
とりあえず、このセッションはインフルエンザ疑いとパニック障害で学校を休んだけど、両方とも病欠で診断書があるので3日のうちには含まれない。
なので、含まれないのであれば、あと3日は休める。

アメリカの病院は日本と違い、すぐには見てくれなくて予約を入れて3日~2週間待たなければならない。

急を要する時はERかUrgent Careというところに行く。
ERはドラマでもあるように、ああいうところなので、隅々まで検査され一度の診療費は10万超えが基本。
Urgent Careはクリニックなので1万5千円くらい。

その日にどうにかしたい場合はUrgent Care。
ただし、緊急用なので、診断書の、学校をいつまで休まないといけないって欄は1日分しか書けないので、2週間病欠するには予約取って、そういうホームドクターに行かないといけない。

旦那が診断書をプロデューサーにメールしてたから、プロデューサーも、月曜の朝にようやく事の大きさが伝わった様子。

今日、プロデューサーからメールが返ってきた。

パニック障害となり、これ以上悪くならないように、ちょっと変更をしたいから学校へ来た時に一度話しましょうとなった。

そして3日は休んで良いとのこと。
今日は診断書なしに休んだので、残り2回休める。
今週3回と来週3回行って学校を終わらせる。

最終試験の日は学校へ行かない。
私はこのセッションをパスする必要がないから出席だけが大事で成績は関係ない。
試験内容は、その読めないわからないテキストの総まとめに長文読解なので、出来るわけがないから受けない。

明日から学校に戻らなければと思っている。
とはいえ、吐き気とめまいが明日の朝どうなるかにもより、どうにもならなければ、予約待ちが何日後になるのかが疑問だけど、病院へ行って診断書を貰わなければならない。
診断書があれば休んでも学生ビザのステータスには影響はしないから、どうしても学校に行けない場合は病院を予約。

本当はグリーンカード申請の書類が受付けられて、ステータスが申請中になれば学生ビザのステータスを放棄することが出来るのですが、その申請がギリギリ間に合っていなくて、このセッションはどうしても終わらせなければならない現状。

あと6回。
旦那のために頑張らないと。

ともかく何もできないことが辛いです。

1日の大半をソファで過ごす悲しさ。シャワー浴びるのさえ吐き気との闘いで…

洗い物したりも無理だから、デリバリーやファストフードに頼る日々。

早く色々解決したら良いな。


あと6回終わったら、きっといろんな楽しいことが待っている。
頑張れ私。
若い頃は、何でも人のせいでした。
自分を正義と思い、間違っているものは傷付けることしかできませんでした。

物事を自分が正しいと思う角度でしか見ることができなかったからです。

怒鳴ってばかり、怒ってばかり…若い頃は何だか常に頭から湯気が出ていたような気がします。
友達や同僚、後輩に恐れられ、ビクビクされてばかりでした。

強い正義感は絶対に曲げることができませんでした。

でも、そうやって生きていると必ず自分に返ってきました。

自分が正しいと思っても、なぜか最後に泣いているのは自分なのです。

最後に居場所をなくすのは、いつも自分でした。

たくさん転職して、たくさん友達も出来ました。
でも、いつも長く続きませんでした。

私に魅力がないからです。
いつも怒ってばかり、怒りのあまり、怒りにまかせて余計なことばかり口走り、人は簡単に離れて行きました。

1人になって気付きました。

ずっと、私の生き方が間違っていたのだなと。

自分の生き方を何度も何度も修正しました。

33歳の時、突然気付いたことがありました。

そして、ずっと頭から湯気が出ていた私が怒ることをやめました。


嫌だなと思ったことを口に出すから脳が再認識して歯止めがきかなくなるのだと気付いたからです。

愚痴、不満、不安を口に出すのをやめました。

というより言い方を変えました。

若い頃は「あのヤロー、いらつくな!ふざけんなボケ!」でしたが

「何だか嫌な気持ちになった」と言う言い方に変えました。

ムカつく…とか、イラつく…とか、言わないようにすることにしました。

若い頃は、人にぶつかられたら「痛ぇなコラ!」と瞬時にスイッチオンでしたが、ぐっと堪えて「きっと明日起きたら忘れてる」と考えるようにしました。

何か嫌なことが起きても、ますばグッと堪えて「明日には忘れているかもしれないし」と、とりあえず1日置いてみることにしました。

不思議なことに大抵のことは翌日になると「まあいいか…」と思えました。

どうしても…な時は、母にだけ話すことにしました。

母以外の人には愚痴、マイナスなことを感情のままに言わないことにしました。

33歳の時に自分に対して決めたルール、それは

「マイナスなことをアウトプットしない、怒らない、まずは一晩おいてみる」

でした。

腹が立つこともそうですが、不安なことも、きっと言霊で「~だったらどうしよう」と言い続けると悪い予感が的中する気がして、不安に関しては口に出さないことを徹底しました。

そうしたら不思議と何ごとにも腹が立たなくなりました。
立ち直れないほど、理不尽な思いをすることもなくなりました。


やっとなりたい自分になれたな…と思いましたが、その時はもう34歳でした。

34年間自分勝手に生きて、振り回して来た人たち、傷付けてきた人たちを友達と呼んではいけないと思っています。

34歳を過ぎて、やっと生き方がわかったけど、きっともう遅いだろうな…1人で頑張って生きていこうと決心した後、今の旦那さんと出会いました。

アメリカと日本、私たちの間にはたくさんの壁がありました。

一つずつ一つずつクリアして…今ある中で1番大きな言葉の壁を時間をかけて小さくしています。

残念ながらまだまだ大きな壁です。
アメリカで1年勉強する程度ではなくならないと思います。

いろんなことを時間かけて見極めたいところ、私たちには時間がありませんでした。

学生ビザでアメリカ滞在中に結婚することは合法ですが、私は大学に進学するわけではないので留学期間は1年と少しです。

ずっと一緒にいたいなら、そしてリスクを避けるなら、いろんな結論を、1年で出さなければなりませんでした。

一緒に住み始めて半年…、タイムリミットまでも、あと半年だった時

向き合わなければいけない問題は、将来のことでした。

お互いを思い合い、趣味も価値観も一つのことを除いて完璧に合う、そしてお互いの国を好きである…全てぴったりな気がしました。

しかしながら、一つ一致しない価値観がありました。

それは子供についてです。

旦那は結婚しても子供を欲しいと思わない人なのです。

子供を持つのは責任重大なことだから、子供は欲しくないと言う彼と

最初から「子供はいらない」と言う結論は出せない私。

遡ること中学受験。
面接時に教頭先生が母に尋ねました

「将来どんなお子さんになって欲しいですか?」

母の答えは

「やはり、女の子に生まれたので結婚して子供を産んで次の世代を育てて行って欲しいと思います。」

でした。

母が私に、そんなことを望んでいるなど全く知りませんでした。

だから、私は、その答えにとても驚き、そして落ち込みました。
中学受験した理由も、自分の性格が原因で小学校には友達が1人もいなかったからです。

本当に性格の悪い嫌な子供でした。
嫌われ者で、友達が一人もいなくて、自分の性格が原因だと気付いた時、自分を知ってる人がいない中で自分を1から作り直さなきゃと思い、私立中学への受験を希望しました。

友達すらいない私を…好きになってくれる人なんかいるわけないのに

将来誰かと結婚なんか出来るわけがないのに、母は私に結婚を望んでいたのかと知った時、

驚きとプレッシャー、それと同時に、その夢を叶えられないであろうことに、反抗期だった私は怒るしかありませんでした。

昔から人間性に欠陥があり、人に嫌われてばかりの生き方でした。

母の妹は、私と誕生日1日違いでずっと独身です。

周りから「結婚『できなかった』人」と括られ、家族からすら煙たがられる叔母…兄は私が、その叔母にそっくりだと言い、誕生日も1日違いだし、きっと叔母のようになると、私に言い続けてきました。

あんな大人になりたくないと思いながらも、いつも孤独に生きる自分、そして独身のまま歳を重ねる自分は、どこか叔母に似ている気がして、ずっと自分の行く末に恐怖を感じながら生きて来ました。

どうして?
何がいけないんだろう…
どうしたら人に好かれる生き方が出来るのか…

何度も何度も生き方を修正して、34歳の時に、やっと「こうやって生きるべきだったんだ…」と気付き、修正を繰り返して、なりたかった自分になれました。

そして、一生を一緒に過ごしたいと思う相手と出会って育み始めた時は、もう36歳でした。

叔母と同じ道から、やっと外れた気はしています。
分岐点に立っているような、そんな感覚。

でも、もう36歳。
もうすぐ37歳。

ずっと生き方が不器用で、いつも人生の選択を誤ってばかりでした。
いつも親の助けなしには生きて来れませんでした。

金食い虫のどうしようもない娘でした。

大学に行きたいからと2年も浪人しておきながら、やりたいことが変わり専門学校に進学、お金のかかる専門学校に3年近く通っておきながら、心が壊れてしまい卒業できず、就職してもノルマのために給料は消え、自立が出来ず、ずっと親に頼る人生でした。

お金のかかる娘で申し訳ないと、いつか恩返しがしたいと思った時、私が母にできる親孝行は、きっと、ちゃんと結婚して子供を産むことだろうなと思ってきました。

でも、結婚したいと思う相手に出会わぬまま、どんどん歳だけとりました。

そして、やっと、一生を添い遂げたいと思った相手と出会い、結婚の話が出た時には、もう36歳。

彼が日本人で私たちが日本にいたら状況は全く違うだろうと思います。

親になる責任を持つことが考えられないと言う彼の意見は、もちろん「絶対」ではないけれど、将来的に気が変わる可能性はとても低いと言っている。

私がそれを聞いて1番に思ったことは、親からしてもらったことを親に返すことも、自分が親になって子供にしてあげることも、どちらも出来ないのは、人として最低だと言うことでした。

私の母は「親からして貰ったことは親に返さなくて良いから、あなたが親になった時に子供にしてあげなさい」といつも私に言っていました。

だから、それが出来ないかもしれないとなった時、これからの自分の生きる道は人として最低の道だと思ったのです。

彼の意見を聞いた時、もう日本に帰らなきゃいけないと思いました。
この先に残されているのは人として最低の道だから。

日本に帰って、たとえ一生独り身でも、せめて親に何かあった時に側にいるのが恩返しなのではないだろうかと思いました。

彼の育った環境やバックグラウンドを知った時に、子供を持つことで生活水準が下がることが嫌なのかと最初は思っていました。

彼はお金のない家に育ち苦労してきたけど、たくさん努力して今の生活を手に入れた。
今も、決してお金持ちではないけれど、でも満足のいく生活が出来ている。

子供を持つと、頑張ってやっとここまで来た今の生活水準は保てないと考えているのかと思ったのですがアメリカ人的に、そこは切り離して考えることだそうです。

この先、子供を欲しくなる可能性はゼロではないけれど、限りなくゼロだと彼は言いました。

とは言え、彼が子供を持っても良いと考えを変える日が来るとしたら、まずは私がアメリカで働き、しっかりと生活の基盤を築くことだろうと思います。

そのために、英語の基盤をしっかりと築かなければならないと思いました。

その道程はとても遠いです。

私がアメリカで仕事ができるようになり、生活に困らないレベルのお金を得られるようになるまで、一体何年かかるのだろう。

私は一体いくつになるのだろう。

日本のように住まいが密集していないアメリカ、保育園なんてないに等しいのです。

産休や育休も同じく。
長くても1ヶ月で職場復帰するのが平均です。
産休がバケーションのようですね。

幼稚園はたまに見かけても、乳児はベビーシッターを雇うか、夫婦交代で面倒を見るしかありません。
アメリカにいたら私の母に預けることもできないし、事情があって彼の母にも頼れません。

産んだ後、夫婦共に仕事をしなければいけない経済状況だと育てることがとても難しい…その部分の責任。

また、アメリカには日本のような国保がないのです。
オバマ大統領は必死に、具合が悪い人がちゃんと病院に行けるような国作りをしようとし、国民全員が保険に加入できるように動いていますが、民間の保険会社しかないアメリカ、保険会社は既往歴のある人間(一生、病院にかからなければいけない人間)への保証はしたくないため、私が保険に入るのは極めて難しい上に、入れたとしても保険料は恐ろしい金額になることが予想できます。

保険なしで自分の健康状態すら知りえない、そんな中で妊娠、出産…想像もできません。

一生薬を飲まなければいけない私が、アメリカで結婚して生きて行くだけで、言葉よりも大変な問題がたくさん出てくるのです。

もちろん、子供はいらない…と言い切ることは出来ませんし、今、諦める結論を出すわけではありませんが、正直、親になることはきっと、とてもとても難しいことだと感じています。

そして、遠距離の末にやっと一緒にいる今は、まだまだ2人でいたいのが本音で、子供を持つことで2人の時間が制限されることを今すぐには望めません。


2人の時間も十分だね…となる頃に、私は一体いくつだろう?と思っては、人生は残酷だなと思ったりもします。

結婚を決める前、お互いの将来についてたくさん話し、何だか迷路に迷い込んだ気がしました。

出口が見えなくなって母に電話…母と話すうちに見えた私の本当の気持ちは

「私は彼と一緒にいると親になることは出来ないかもしれない…それでも、彼と結婚しても良いでしょうか?」

もう誰のことも好きにならないと思っていたけれど、人を好きになった。
そして相手も私を好きでいてくれている。

一生1人で生きて行く覚悟をしていたけれど、一生一緒に生きて行きたいと思う人に出会えた。

この人は、私たちが、しわくちゃのおじいちゃんと、おばあちゃんになっても、私がたとえ、すごく太ってしまっても、毎日私をハグして、このキレイな青い目で私を見つめてI love youと言うのだろうと思う。

私は、この先一生、その愛に幸せを感じて生きて行くのだろう。

そう思うたび、これ以上の幸せなんてないと思う。

だから、母の望む形で親孝行が出来ないかもしれないけれど、それでも私は彼と一生を共に生きたい。

こんなにたくさん迷惑かけて、頼ってばかりの自立出来ない最低の娘で、更に母の望む形の親孝行も出来ない。

それでも、この人と結婚しても良いでしょうか…

母は、それで良いから、あなたが幸せなら、それで良いのだからと言いました。

何だか胸のつかえが取れた感覚でした。

なりたい自分になるまでの34年間、自分を好きになれなかった34年間。

あれから2年経ちました。

まだまだ素敵な人にはなれないけれど、34年も黒歴史を抱えてきた私

振り返れば振り返るほど最低の人生だった

でも、そんな私を、彼は好きだと言ってくれる。

私はそれが幸せで、彼と一生を添い遂げたいと思う。

胸のつかえが取れ、将来を考えた時に、1番に心に浮かんだ言葉は

私を好きでいてくれてありがとう。
最低な生き方をして来た私を、こんなに愛してくれてありがとう。

1番大事なのは、この気持ちだと思いました。

未来は誰にもわかりえない。
明日死ぬかもしれないもの。

先の先を見据えることも大事だけど、今あるこの愛を護りたい、そう考えて生きても良いかなと思いました。

それまでの母からの「結婚はできそうだけど、40歳までに1人産めたら良いね」と言う言葉や、アメリカ人の彼がいると紹介した時、周りが必ず「子供産まれたら絶対かわいいよね!」と言うのが、いつも大きなプレッシャーでした。

結婚する前も、アメリカ人の彼氏がいると言うだけで、何よりも先に
「私もハーフ産みたかったよ」
「子供は国籍二個だよね!」
「いいな~ハーフの子供」

どれだけ、この言葉たちに悲しい思いをしたかわかりません。

プレッシャーだった理由は、一生を添い遂げたい人には出会えたけど、自分が子供を授かる環境になれるのかすら分からない状態だったから。

でも、状況を整理して行くうちに結婚して親になることだけが幸せではないと自分を甘やかそうと思いました。

気付いたら歳とっちゃってたんだもの…

それでも、まさか、こんな私を無償の愛で包んでくれる人と出会えるなんて思いもしなかった。

1人でずっと生きて行くと思っていたけれど、一緒に生きて行きたい人が見つかりました。
まずは、それだけでも、とても幸せなことだなと思います。

結婚を決める前、私は彼に言いました

「never(一生いらない)」と言わないで。

まだ先のことはわからないから、結果的に授からなかった…なら、それで良いけど、今neverは言わないでほしいと。

彼は約束してくれました。

そして
「絶対に私より先に死なないでね」(笑)

とにもかくにも、今は100%子供を持てる環境ではありません。

残念ながら、ものすごいお金持ちと結婚したわけではないので、私も将来的にはきちんと働かなければいけないのです。

私のキャリアはメイクの仕事15年…でも、ヘルニアでメイクを仕事にすることはもう出来ないので、1から何かを学ばなければいけません。

気が遠くなりそうです(笑)

でもこれが私の人生。
先のことは何も分からないけれど、素敵な旦那さんと2人で前向きに頑張っていこうと思います。

まずは将来のアメリカに期待したいので、サンダース氏が大統領になることを願います(笑)