明日香村界隈で古墳を見学する散歩 | 写真小話

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私が撮影しながら散歩した備忘録的な記録

2024.06.01

宇治の近くで用事があったので、その翌日ちょっとどこか散歩して帰ろうかと思い立った。

京都散歩が合理的だけど、混んでるだろうし、せっかく宇治にいるなら奈良もありかな?

どうせなら、より古い遺跡なんかを見てみたい。

古代飛鳥がいいな、キトラ古墳を見に行くことにした。

外国人とか少なくて良さそうだしな。

宇治で泊った宿を出る時、宿のおばちゃんに「平等院は見にいかんの?」と聞かれ、平等院は前に見たから今日はパスと伝えると、前に見たのは何時?と聞かれ、そういえば20年くらい前かも…と答えると、そんじゃ今は綺麗になっているから是非見て行けと推され、ええーと思いつつ、じゃ折角だからちょっとだけ見て行くかって事でいきなり平等院に立ち寄る事にした。

その折角だからって言うのが色々ナニなんだよな。

宿は宇治公園のそばに建っているので、宇治公園を通って平等院に向かう。

塔の島にかかる橋を渡って宇治公園へ

なんか風情あるよね

 

平等院には開門前に到着、すでに5人くらい待ってました。

開門と同時に入場し、ほかでもない鳳凰堂の真ん前に直行。

一番のりなので、ひとけなし、鳳凰堂の前ってちょっと殺風景なので、なんとなく大味な印象。

確かに10円玉だけど、まっ茶色の10円玉と本物の鳳凰堂は全然違うよね。

よし!終わり!!

と思ったけれど、まぁ折角だから、もうちょい辺りを見て回るか…

睡蓮が盛りでした。

まぁこんな感じ…

外国人も増えてきたので退散して駅に向かいます。

宇治駅から奈良線に乗って奈良へ南下。

明日香へ行くため、適当なところで同じく南下している近鉄線へ移動して乗り換える。

で、また途中で近鉄橿原線に乗り換えてひたすら南下、意外と遠いな…

さらに橿原神宮前駅にて、また乗り換えて壺阪山駅に到着。

今日はここからスタート。

壺阪山駅は小さな駅でまわりになにも無いけれど昭和感のある味わい深い駅でした。

古い町並みが良く保存されている地域を歩き、キトラ古墳へ向かう。

地域全体で瓦ふきの屋根になっており、景観が良い。

なかなかここまでやれている地域って無い気がします。

薫風が気持ちいい道を進むとほどなくキトラ古墳に到着。

あぁ、あれだ…

ここはまぁ、こんな感じだけど、すぐ隣に体験館があり、古墳の石室に描かれた四神や天文図を詳しく見る事ができます。

詳しく触れないけど、なかなか見ごたえありますよ、来てよかったな。

古墳なので、やっぱりビジュアル的に伝わりにくいからなのか、外国人の姿はとても少ないです。

でもでも、ここは本当にこれで良いと思います、外国人なんぞに理解されなくて良いんじゃないの、世界遺産は平城京ぐらいでやめておいて、こっちはこのままでお願いします。

 

キトラ古墳の次は同じような壁画で有名な高松塚古墳へ、キトラ古墳から北へ緩やかに山を下って行く。

高松塚古墳の入り口にあった塚穴古墳、ほんと古墳が多い地域やね。

高松塚古墳…

古墳なもんで、こちらも、まぁこんな感じ…

そしてキトラ古墳と同じくこちらにも壁画館が併設されており、詳しく知る事ができる。

しかし、高松塚古墳は四神の他に人物の絵が描かれてました。

ここはたしか、保存のために壁画に空調いれていたんだけど、管理しないでほっといたら、ものすごく痛んでしまった経緯があったよね、今はちゃんとしているのかな?…

それにしても見事な壁画であるけれど、これ描いた人ってどうやって練習したのか気になります。

漆喰にビシッと描くためには、そうそう失敗してられないから、相当練習したのだと思うのだけど…

本格的な製紙が始まって間もなくだろうから、紙はとっても貴重だろうし、地面に棒で描いて練習したのかね?

高松塚古墳の次は石舞台でも見ましょうか。

明日香の低い山あいに広がる棚田やら畑やらを眺めて歩く。

素晴らしい散歩道。

石舞台の公園に差し掛かるとミニコンサートやってました。

地元のイベントっぽかったけど、かなり盛り上がってましたよ、このあたりの保全に対する意識もそうだけど、この地域の人達の地元愛を感じます、首都圏にそこまで気持ちの揃っている地域ってないなぁ。

で、石舞台。

元は他の古墳の様に土を被ってたんだって、この周りを畑とか田圃にするのに使っちゃて、石室がむき出しになったらしい、ふうん。

石室の中は思いのほか広かったし、石組みもしっかりしています、当時の作業者の皆さまご苦労様です。

さぁ、お次は飛鳥宮跡でも見るとしますか。

石舞台からちょっと下って、田んぼの真ん中に飛鳥宮跡があります。

荒野じゃん!

まじで立体的な建物が無いので荒野に見えます。

僅かに公園風になっている所があって、そこでは少しその気配を感じる事ができる。

煮ても焼いてもこれしかありません。

この当時は天皇が変わるたびに遷都していたんだって(といっても割と近い移動)。

飛鳥宮は蘇我入鹿暗殺の舞台だそうな。

で、画像の四角い穴は、井戸の跡らしい。

ちょっと、飛鳥時代の歴史に疎いので、ピンと来ないんだよなぁ。

前の日にちょと勉強とかでは全然足りなくて理解できていない感じ、ここら辺にかつて皇族とか豪族とかの権力争いが血生臭く繰り広げられていたんだろうけど、肌感としてしっくりこない。

でも、遺跡としてはこんな感じで十分良いと思います。

あとは、その時代についてどれだけ思いがあるかで見方が変わる訳ですから。

 

飛鳥宮を後にして、近くにある石でできた遺跡を見に行く。

これは、酒船石、なにに使われていたかは良く分かってないらしい。

神事とかではなく、実用的に使われていたと想像すると、液状の物を各々の窪んだ所で加工して溝で次工程へ流したり集めたりして加工する様な使われ方していたように見えるけどねぇ。

でこっちは神事に使われていたんじゃないかと言われる亀形石造物、どこが亀なんだよと思っていたんだけど…

この画像の手前の円い水溜めが亀でした。

本当に亀を模して造られていています。

そこに神事を行う人(天皇?)がハマってなにかを行っていたんじゃないかって話。

う~ん、奥が深いなぁ、このあたりは、もはや神話時代の物もだいぶあるし、もっと勉強してきたらもっと面白いよね。

 

そろそろ帰らなきゃで近くのバス停へ向かうと、バス停が飛鳥寺の前だったので、飛鳥寺も覗いてみる事にした。

こじんまりしたお寺で、ここにある飛鳥大仏は東大寺の大仏よりも150年も古い大仏なのだとか、で、建立当時は東京ドーム1.5個分に相当する敷地があり、東大寺も凌ぐ威容だったらしい。

これが飛鳥大仏、火事で溶けたりして元の部分は頭のてっぺんと顔、右手だけだそうです。

ほっぺの辺りに補修跡があって、長くいろいろな歴史を感じます。

作った当時、大仏が完成してお堂に入れようかという段階で、大きすぎてお堂の入り口から入らない事が分かり、すったもんだがあったんだって!

現代でもうっかりやっちゃうヤツだよね、人間って変わらないんだなぁ、でも、当時の権力者(蘇我氏)は横暴だろうから、その時の担当者、粛清とかされてなきゃ良いけど…

 

おしまい