2023.05.07
最近せっかく散歩に行った時の備忘録としてこれを書いているのに、散歩に行ってから、記録を残すのにだいぶ時間差が開いてしまい、書く時にはだいぶ忘れてしまっているという、元も子もない状態になっちゃてます…
今回も5月7日の記録を6月末に書いているので記憶がぁ……でも書きます。
鶴川駅13時着、まぁいつもどおり、鶴川駅って鶴川になくて、地名としての鶴川はちょっと離れています。
鶴川駅の焼きたてパン屋でパンを買い歩き出す。
今回は、この辺り(鶴見川上流域)で多いと言われる横穴式墓地の遺跡と里山の風情を楽しみに散歩します。
果樹畑の傍らで咲く、名も知らぬ花、綺麗だね。
鶴川駅から鶴見川を渡って南下し、しばらく歩くと三輪ゆりの木通り公園に到着する。
この公園には古代(古墳時代)の窯の跡と横穴式墓地の遺跡を見ることができる。
横穴式墓地に蓋がしてあるのね?
と、思ったらこれは窯の跡、通常は窯が集まっている事が多いらしいけど、此処のは一窯のみ、スゴイ昔の事だから、なんとも憶測のしようもないけど、人と群れない頑固おやじの窯元だったのだろうか…
そういう事って今も昔もないだろうし…、想像は膨らみます。
ゆりの木通り公園を後にし、閑静な住宅街をちょっと進むと西谷戸横穴墓群に到着。
道端におもむろに登場。
コンクリートで固められており味気ない感じ、多分、補強しないと崩れちゃうんだろうね。
まぁ、しょうがないか。
こういう墓地は、さっきの窯跡じゃないけどある程度まとまって設置されてるけど、一族の血縁だったりするのだろうか?
この横穴墓地は7世紀ごろ作られたらしいから、約1300年前って事になる。
お墓が作られた頃はこの辺りの有力者だったのだろうけど、今じゃ誰かも分からないし子孫もいない…
いや、子孫はきっといるのだけど墓とは無縁になっちゃうんだろうね。
そして忘れ去られて、ある日忽然と発見されて、暴かれて中身を掘り出されてしまう。
葬られた人はきっと「オレそれなりに権力者になったし、子孫も安泰だな!未来永劫たてまつる事であろう」と思って逝ったと思うけど、まさかすっかり忘れ去られて、挙句の果てに暴かれちゃうなんて思ってもみないだろうなぁ。
西谷戸横穴の次は東へ進む、西谷戸横穴を過ぎてすぐに広慶寺というちょっと参道が変わったお寺があった。
仏像がずらーりと参道の両側に並んでいます。
ちょっと面白かったぜ。
道はすっかり田舎道。
お次は三輪の森の中にある下三輪玉田 谷戸横穴墓群である、名前が長いよ。
此処のは中が見学できる。
お墓の中身、もちろん埋葬品や仏さんもありません。
暴かれちゃって空っぽです。
奥にある棚が遺体を安置する場所、この構造はこの時代の横穴墓地では共通の様です。
埼玉にある吉見百穴なんかも一様に同じでした。
横穴見た後は、三輪の森をぶらぶらする。
緑が眩しくて気持ち良いです。
三輪の森をぶらついた後は、三輪の森ビジターセンターで鶴川駅で買ったパンなんぞを齧りながら、展示物などを見学。
良い感じの里山の風景。
鶴見川の流れを変えた後、旧流路を埋め立てた所に作った恩廻公園の所で鶴見川に出た。
旧流路は地下に水を貯められるようになっており、鶴見川の増水に備えています。
鶴見川って昔は暴れ川だったそうで、私の父親も鶴見川の氾濫を喰らった事があるそうです。
鶴見川に居たなんだか分からん鳥、くりくりオメメで可愛いね。
鶴見川沿いを上流へ進み、白坂横穴古墳群へ
急な崖状の斜面に横穴墓地はあります。
中を暴いた後はほったらかし状態。
このすぐ近くに椙山神社北遺跡があるので、そこに住んていた有力者のものかも知れません。
いったいどんな暮らしをしていて、どんな話をしていたのでしょうか…
白坂横穴を後にして、鶴見川を遡り、支流へ入りさらに上流へ向かう。
支流はもっさりしています。
花も咲いている支流を北へぐいぐい遡ります。
この支流は広袴公園の池から発生しており、この池にて支流は終了。
池の真ん中の柳に川鵜が休んでいました。
広袴公園から住宅街の坂を北へ登り、鶴川 台尾根緑地へ向かう。
緑地内は山道になっています。
途中、大きい私立の一貫校の辺りで、ちょいと眺めの良い所あり。
そんなこんなで、この山道を抜けると、そこは小田急多摩線黒川駅の駅近である。
山道の出口は青少年野外活動センターになっています。
そこからちょいと歩けば黒川駅。
駅前にドトールみたいなコーヒー屋あったら飲みたかったけど、無かったのでそのまま帰宅。
おしまい

























